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投稿

1月, 2020の投稿を表示しています

樹木麒麟はくるのか

迷いに迷った挙句、剪定の仕事は丁重にお断りした。樹木と対話したいという気持ちは持ちつづけているが、組織プレーは御免被りたいからだ。となれば樹木について独学し、読者の敷地を拝借して腕を磨くのもいいではないか。十兵衛光秀だって信長の専横に抗って反旗を翻したのだ。もっとも、腕を磨くための空地(あきち)もなければミツヒデにはなれませんが。

細雪(全)

三島由紀夫が敬愛し、ノーベル文学賞に何度も推挙されたこの文豪の作品を初めて読んだ。上中下3巻を全巻1冊1,000頁にした大部だったが、まるでドラマか映画のようにぐいぐい読者を物語世界に引き込む文章力、構想力は天才と呼ぶにふさわしい。戦前の古き良き日本の風俗や人情が偲ばれ、軍部の言い掛かりで連載中止となった障害も乗り越え完成されたことに感謝したい。

車はつらいよ

おい満男、西雀荘の駐車スペースを確保するために今ある2台の車を1台に買い替えようと思うんだがどう思う?え、なに?どんな車かって、国産の軽か中古の外車のどっちにしようかと思ってな。しかしなんだな、いくら西雀荘のためとはいえ車まで外車にしたら近所の人が羽振りの良さを不審がるな。歳を考えたら軽は軽でも軽 トラ ってとこだよな、まそうするよ、満男。

深刻な申告

還付があるだろうとeTAXで確定申告したところ、逆に27,000円の追徴となったので、仕方がないと納付した。年末調整で還付があったのに追徴とは、と腑に落ちず税務署に確認した。すると転記ミスが見つかっただけでなく、後で電話がかかってきて記入漏れも判明して、やり直してみると50,000円も戻ってくることになった。申告ってまさに深刻なんですね。

アキオさんそこ右です

車のテスト走行を1時間半だけやって5,000円もらえるというんで、早速面接に行って来週運転することになった。てっきり本格的なテストコースにでも連れていかれて、老人は老人なりの運転技術をご披露するのかと思ったら然にあらず。某自動車会社のD社が運転支援システムの研究開発に使うデータ収集に協力するのだそうだ。自動運転の時代を前に、年寄りがこんなことしているのがかわいいと思いませんか?

三次元的明日に架ける橋

3月の初めに細君と青森の鶴の舞橋を見に行くことになり、Google earthの三次元映像で模擬旅行を楽しんでいる。退職して1か月くらいは生活圏に麻雀を含めてあれこれやりたい事、やらなきゃいけない事が平面的に押し寄せてきて収拾がつかなかった。漸くそれらが楽しんでやれることなのか、長続きすることなのか三次元的に見渡せるようになってきた。橋を渡る頃には進路もはっきり見えるといい。

モモ

岩波少年文庫ミヒャエル・エンデの児童文学。小学校5・6年以上対象だが、大人にも充分読み応えのある良書。時間とはなんなのか、あくせく働くだけの現代社会はこのままでいいのかと問いかけてくる。働き方改革というお題目はともかく、いかに短時間に効率的に仕事を進めるかに腐心してきた我がサラリーマン人生とは、いったいなんだったのだろうとその意味を根底から覆したくなった。

なくてななくせない

俳句教室を終えて3時半から大甚で同期の友人、我が細君と飲んだ。いい気分で電車に揺られうとうと。帰路持っていたはずの鞄がないのに気づき、降車駅に電話して幸い回収したものの細君が呆れていた。かつて会社の重要書類をなくしたことに朝気づき、ゴルフに行くか探すかで迷った際、「仕事と友達とどっちが大事なの?」と迫ってゴルフを選ばせた細君だ。選択肢はなくなっても悪癖はなくせないものですね。

ダライ・ラマ自伝

映画セブン・イヤーズ・イン・チベットでもダライ・ラマ14世の幼少期と1951年の中国人民解放軍進駐の様子が描かれたが、自伝によってその後40年間に及ぶ中国政府によるチベット人100万人の虐殺を知ることができる。精神的支柱として一見弱腰だが、非暴力を貫き通した強靭さは気高くさえある。今年85歳を迎えるこの偉人と同じ星にいることのなんと幸せなことか。

プレバトの細道

不意に落つ熟柿避けつつ定年路  緊張しながら俳句教室第一回に参加。17名の生徒のうち男は4名、熟練者ばかりの中初心者は自分一人だけ。先生はわざわざ東京から来てくださっている著名な女流俳人。夏井先生ばりにビシビシと生徒の俳句を添削していかれる。定年の侘しさがよく出ているとお褒めの言葉をいただいたものの、この細道も随分険しそうだ。

大リーグボールの正体

細君に内緒の借金が清算できないままだと気がつき夢の中でうなされることがある。醒めてみるとそれが借金なのかどうかも定かでないので、彼女に確かめるわけにもいかない。揺れる小舟の上で50円玉めがけて飛雄馬が投げる球を受ける伴宙太の心境だ。当たるとも思えないが、当たったら進退窮まるだろう。清算できていない大リーグボールの正体とはいったいなんなのだろう。

夫婦ぜんざい

鏡開きの日もはや過ぎて、その間ぜんざいを作ろう作ろうと言いつづけてきたが、ぜんざいの嫌いな細君はいっこうに作る気配がない。今日のお昼はなんにすると問われて、そろそろぜんざいを食べないと月がかわると訴えて、漸く重い腰を上げてぜんざいに取り組んでいただけました。そうしないと毎日毎日ぜんざいぜんざいと言うから仕方ないわねと細君。夫婦善哉と思っているのはきっと夫だけなんでしょうね。

自己PR:飛べません

シルバーの剪定やハローワークの仕事もいいけど、ちょい役のいろんな仕事もやってみたくて申し込んでみた。婚活パーティーの司会は即不採用だったけど。映画のエキストラ、カラオケの仮歌入れ、自動運転のテストカー運転。60過ぎた飛べない鳥にできることはたかが知れてるでしょうけど、一応祖先は恐竜だって覚えておいてくださいね。

水戸光圀

東野英治郎の水戸黄門を毎日見て、西山荘の名をもじらせていただいた管理人として山岡荘八のこの書は必読であった。「ものの哀れをよくかみわけてつらぬくがまんを節度という」「政権をあずかる者は、今の自分に与えられた権力は仮りのものとよく悟り」等々、今の世の驕れる権力者に読ませたい歴史小説の先駆。西雀荘に隠居する吾も爪の垢を煎じて飲みたいものだ。

シゴトするなら

姉ちゃんなにそのキャラ。会社じゃそのキャラ通してんだ。無理するとストレス溜まるぜ。ていうか、その仕事させられてる感イタイし。俺なんかさ、バイトだし、好きにやってるけど結構客ついてるもんね。正社員だからとか、認められたいとか関係ないし。会社が仕事するんじゃなくて、自分が仕事するってこと思い出しなよ。

紅茶のおいしい喫茶店II

柏原芳恵のこの歌詞の意味が不明だと細君に聞いたところ、カップは恋する乙女の比喩で想い人の心を惹きたい願望だという。よくよく調べてみると、この喫茶店は大分に実在していたらしく、南こうせつの兄が経営していて、お皿にグッバイ、カップにハローと描かれていたということだ。なるほどそれでガッテンだが、カップに生まれ変わった夫の頭を銀のスプーンでくるくる回しているのはやっぱり細君なんですね。

紅茶のおいしい喫茶店

失業保険を受給するためハローワークなるところへ初めて行った。窓口の女性も親切だったが、求職登録する係の年配男性になぜか気に入られ、個人的なツテでいい仕事を紹介してくれるとまで言われた。お願いしてハローワークをグッバイしたのだが、それで思い出した柏原芳恵の歌詞が意味不明だ。 ♬白いお皿にグッバイバイバイ そしてカップにハローの文字が お茶を飲むたび行ったり来たり いったいなんのこっちゃ?

老年について

紀元前45年共和制ローマの政治家、 思想家81歳のキケロが対話形式で著した短編。「老人が死ぬのは燃え尽きた火がひとりでに消えていくようなもの。果物でもよく熟れていれば自ら落ちるように、命も老人からは成熟の結果として取り去られる。死に近づけば近づくほど、陸地を認めて長い航海の果てに港に入るように思われる」老年には老年の最後の仕事があると思える良書でした。

立花氏と立ち話してみたら

亡父が「おまえも俺の歳になればわかる」と言っていたが、 立花隆のこの話 もまさにそういうことなのだろう。シルバー人材センターでいきなり剪定部門に加入はどうか?と実際に現場を見学させてもらった。みなさんマイペースで樹木と対話している感じで違和感はないのだが、それを組織の視点で見ようとする自分に問題があるのだろう。問われているのは「その歳相応の」自分になれるかだ。

ラッセル 幸福論

不幸の原因と幸福をもたらすものについて、学生にも理解しやすい文章で著述された1930年の古典的名著。酒やタバコが罪の意識を抱かせ不幸を招くという迷信に、キリストは水をワインに変えて飲んだ、偉大な聖者の時代にはタバコが存在しなかったと反駁する。幸福とは「私心のない興味」によって外部の人や物に関心を寄せると、自分が生命の流れの一部であることに気づけ、歓喜が得られることだと教えてくれる。

マツコの知らないアボカドの世界

マツコの番組でおはぎを取り上げると何故かおはぎが食べたくなるように、テレビにすぐ影響されてしまう。別の番組で紹介されたアボカド鍋を早速やりながら、アボカドはアボガドではなくアボカドが正しいことに気づいた。調べてみるとアボカドはメキシコのナワ族が話すナワトル語に由来してなんと睾丸を意味しているとか。そういえばそうみえなくもない。 マツコはきっと食べないだろうな。

主婦の主語零

いつからだった?といきなり聞かれて「なにが?」と聞き返すと「俳句教室」と答えた細君。話し相手といえば彼女だけになったせいか、生返事だけで聴き流していた細君の話をしっかり聴くようになって、たびたび主語がないことに気づいた。彼女の会話力が拙いのではなく、何十年にもわたって真剣に妻の言葉に耳を傾けてこなかった夫のせいだと反省した。とはいえ「さっきなにを聞かれたっけ?」と聞かれたことを思い出せない夫になってしまっているのも情け無い。

SECRET BASE CAMP

転校、転校でせっかく仲良くなった友達と別れ、またはじめから友達作りをしなければならなかった経験をお持ちだろうか。悟ったのは友情は永遠ではなく儚いものだということだ。おかげさまで麻雀を打ちに単独でお越しいただいた方があったり、ギター仲間が集まったりとこの秘密基地も賑やかになってきた。秘密基地が破滅基地にならないようトランプ大統領にツィートしとくか。

フェルマーの最終定理

ピタゴラスの三平方の定理はあまりにも 有名だが、これを3乗して立方体に敷衍すると成り立たない。つまり フェルマーの最終定理  x n  +  y n  =  z n    nは2よりも大きい には整数解はないという定理が300年間も証明されなかった。1994年アンドリュー・ワイズが証明するのだが、それがまさか谷山豊、志村五郎の楕円方程式とモジュール形式の統一を支えとしたとは驚きだった。読みやすい数学映画といってよい。

前略アンパンマン様

おもちゃのラッパを吹いて見せて、1歳のマゴにそのままくわえさせようとしたら娘に叱られた。唾液から虫歯菌が感染するらしい。公衆浴場でタオルを湯船に浸さないのは自分のタオルを守るためという説に説得力があるが、虫歯菌はどうだろう。タバコより自動車の排ガスの方が余程有害だという。オレ様がいなくなったら失業だね、アンパンマン。

アンアンでノンノなの

近所のこどもの騒音に腹を立てたり、西雀荘に集まる人の駐車問題に頭を痛めたりと安穏を謳歌する日々が然にあらず。放って置けない、すぐ対応するみたいな会社員時代の金科玉条が顔を出す。行くえを見守り、スローな生活リズムに親しめない。なにもしないのではなく、しようと思ったことをしないという引出しの中の整理が必要だが、なかなかアンノン族にはなれません。

存在と時間(上・中・下)

デカルトの「吾思う、故に吾あり(Cogito ergo sum)」を批判し、他人という共同存在がある故に自らがある。死は生の一形態である。誕生も死も単独の事象ではなく、時間というスパンの中で捉えれば生まれたまま実存し、生まれたまま死ぬのである。上中下3巻に及ぶハイデガーの考察は誠に難解キャンディーズでしたが、父を亡くした際自分の存在も消えるのではと考えていたことはあながち見当外れではなかったようです。

りゅうせいのサドル

りゅうせいを見に行こうと細君を誘ったら行く行くと大喜び。なんか変だなと細君に「りゅうせいって岸田劉生だよ」と言ってな〜んだとなったが、名古屋市美術館へ向かった。途中で愛知県美術館のコートールド展のポスターが目に入ると、こっちが見たいと細君。セザンヌ、ルノワール、マネ、モネ、と名だたる名画を鑑賞して細君曰く「予定調和じゃないのが楽しい」。りゅうせい君も女性という自転車のサドルで滑らないようにね。

おっとり刀

おっとり刀というのは「のんびり」というのではなくて、堀部安兵衛が高田馬場に仇が現れたのを聞いて刀を差す間もなく手に取ったまま出て行ったのをいうとか。西雀荘の管理人としては、東南西北どの方角でも宮沢賢治のいうこういう境遇のヒトがあれば、おっとり刀で駆けつけたい。そういうものにわたしはなりたい。 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ 負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

贈物を貰ったサンタクロース

昨年までは予定を書き込めるカレンダーを重宝していたのに、今年はそれもいまだに真っ白なまま。いっそ日めくりでもなければ今日が何日かわからないざまだ。そこへクリスマスイブにサンタに扮してギターで歌った保育園の先生から素敵なカレンダーが届けられた。ラミネート加工されて予定が書き込めないようになっていたのは、サンタの予定しか今のところないことを見抜かれていたんですね。

なだ葬送

東京に住む叔父が亡くなったが、斎場が空いておらず通夜告別式は1週間も先になった。公営だからというわけでもなかろうに、葬儀社に喪主を尋ねても即答してもらえない程混雑のようだ。近頃は家族葬ばかりで遺族さえ初体験となると、弔問客の遇し方すら知らない始末。葬儀社も低廉化の流れで関係者への憐憫など後回し。いったい人間の尊厳とはなんなんでしょうね。

しゃぶしゃぶ島の決闘

寒い晩は鍋に限ると食卓にしゃぶしゃぶが用意された。始まってすぐ細君が箸を床に落としたのを見て笑ったのがまずかった。しばらくして今度は自分が箸を鍋の中に落としたのを見てすかさず細君が「箸はしゃぶしゃぶできないわよ」と反撃。巌流島では遅刻した武蔵に腹を立てた小次郎が鞘を打ち捨てたのを見て、「小次郎破れたり」と武蔵が言ったそうだが、箸を鍋に投じた夫はまさに「破れたり」でした。

ご隠居の酒場放浪記〜新瀬戸

名鉄瀬戸線新瀬戸駅を線路沿いに西進して1分、焼き鳥「金ちゃん」は昭和に迷い込んだようなレトロな店だ。店内の柱や天井は真っ黒に煤けていて、懐古感たっぷりのおでん器の隣りにはこれまた郷愁をそそる酒燗器。この店でお勧めはなんといってもイカ串。歯応えがたまらない。どう見ても年上に見えたカウンターの老人客が1958年生まれと聞こえたのが酔いを妨げた。

The Bucket list

映画「最高の人生の見つけ方」やロバートハリスの「人生の100のリスト」じゃないが、これからやってみたいことを書き出してみた。①麻雀②読書③ギター④剪定⑤金魚釣り⑥料理⑦油絵⑧俳句ということで、早速中日文化センターの俳句教室に申し込んだ。聞いた細君は呆れて笑っていたが、いづれ小欄にも拙い俳句が掲載されることになっても、読者諸子のみなさんどうぞ嗤わないでくださるとありがたい。

ネズミオトコはかく語りき

結局、シルバー人材センターの剪定グループに入会するのは辞退しました。期待してもらったのはありがたかったが、グループ長のなんともいえない威圧感が重荷だったのかもしれません。昭和を生きてきた諸先輩方には、いくつになっても抜け切れない組織人気質が残っているということでしょう。看板を降したらただの人、というのが通用しない社会はつくづく嫌になりますね。

Gone with the bell

ゴーンという鐘とともに去った男は今頃レバノンでどんな正月を送っていることやら。例年ならそろそろ頭の中を仕事モードに切り替えるのだが、もういくつ寝てもお正月の今年からはその必要もない。動物園の生活を軟禁状態として受容すれば、彼もわたしも無期限という自由を代償にしただけだ。レバノンで麻雀をするには旅費が高すぎる。

1/72時間

ドキュメント72時間に触発されて金魚釣りがしたくなった。春日井に金魚の釣り堀を見つけ細君と一緒に1時間没頭。こども専用釣り堀の金魚と侮るなかれ、これがアタリはこない、竿は引かない。ウキの小さな上下左右への動きを注意深く観察して、早すぎず遅すぎずアワセねばならぬ。二人で釣果は3匹、駄菓子と交換し、正月三が日72時間分の1時間を大いに愉しんだ。

古寺巡礼

目覚めなければ初夢に現れたその女性と結ばれていただろう。そうなったら二度と現世の妻と巡り逢えないという悔悟が抑制してくれなければ、 薬師寺の聖観音に連れて行かれてしまったかもしれない。法隆寺中宮寺観音の微笑も寝る前には見ない方がいい。全編を通じて天平文化に通底する日本文化の奥深さを知ることのできる名著である。奈良を旅する際には座右としたい。

青春62きっぷ

ブックオフで本を選ぶ方法にも二通りあると分かった。細君のように目についた書籍を躊躇わず手に取れず、青春時代に読み逃したり再読したい名著を探すので時間がかかる。読んで詰まらなくてもいいじゃないかと割り切れるほど余生は豊饒でない。もう一度青春時代に還りたいという凡庸な感傷ではなく、青春時代に通り過ぎてしまった駅にただ降り立てればいい。

Cogito ergo sum

斜視の治療のためメガネをかけなくてはいけなくなったマゴが遊びにきて言うには、目が治りますようにと寺院へ行って祈願したそうだ。 「お寺で目をつむると聞こえないものが聞こえるってママが言ってたよ」 目を開けて祈願していたマゴを窘めた娘の発言のようだが、園児のマゴの口からそんな言葉を聞くと妙に哲学的に響くから不思議だ。治癒を願っているわが心の声は果たして届いていてくれていただろうか。

離陸>着陸

パイロットによると着陸時の3分間と離陸時の8分間を魔の11分間というのだそうだ。ことに満タンの燃料で揚力を生じさせるため時速300キロ以上を出さねばならぬ離陸は着陸より緊張だ。6カ月かけて40年間の会社員フライトを着地させた今は燃料の充填中ということになる。満タンにして行く宛もないが、とりあえず今年1年はフライトプランをじっくり 練って慎重に離陸したいものだ。