スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2020の投稿を表示しています

コロナ損保の火災保険「デジタル化」

いよいよ5Gスタートだから携帯ショップへ行かねばと慌てる夫。あなた大丈夫よ、5Gを使えるのはまだ限られたエリアだけだから、パソコンで調べてみなさいと妻。ほんとだ、なんだ家庭では使えないんだと納得する夫であった。まったくこの国は戦後なにをやるにも他国の後追いだ。リスク分散と御託を並べて要するに失敗を回避してるだけじゃないか。自動運転や在宅勤務を実現しようと声を上げるどころか、延期を決めたら掌返しで感染爆発で火をつけるだけでは保険はおりませんけど。

秒速5センチメートルで歩く

新しい職場に足を踏み入れる4月1日がだんだん近づいてきた。新入社員に高揚感は俳句における季語のようなものだが、老獪な手品師のような隠居老人の初心には種も仕掛けもない。さはさりながら、出入口はどこか、食事はどこでとるのか、同僚にはどんなひとがいるのか等々40年ぶりの心配もある意味新鮮だ。奇しくも長女の孫が新一年生、次女の孫が1歳でいきなり保育園デビューと相成り、孫ともども桜の舞い散るスピードで歩んでいきたいものだ。

しゃぼん玉

自分のことで頭がいっぱいじゃけえ、人のことまで考えられん。自分のことだけの奴は、人の心が分からんと。自分が痛いち思うことは、人じゃって痛いとじゃ。シゲ爺のこの言葉にタイトルに込められた意味を読み取れるだろう。割れまい割れまいと自分のことばかり考えているしゃぼん玉人間ではなく、他人も同じしゃぼん玉なのだと思って割れないしゃぼん玉になりたいものだ。最終盤は涙なくして読めない。読書三昧最後を飾るにふさわしい良書で、いいしゃぼん玉ホリデーとなりました。

ご隠居の酒場放浪記〜黒川

東京では週末外出禁止が要請されている中で、当地ではまだまだ感染爆発とまではいっていないのをいいことに仲良し3人組で焼き鳥屋に繰り出した。さても店内は閑古鳥が鳴かんばかりかと思いきや、次から次へと客が入り気がつけばほぼ満席状態。午後6時前から飲みだして10時半過ぎまで、まーいっぱいまーいっぱいとよくも飲んだり。こんな飲酒爆発ならなんべんでも大歓迎ですね。

春秋うちあけ話

日本経済新聞のコラムを書いているのが高校時代の同級生だったというのは、新聞を購読している頃から気付いてはいたが、本当にそうだったと知って「あいつが・・」と驚いている。己を棚に上げて、一風変わった男だったからである。社会の木鐸、公器という立場でコラムを執筆せねばならぬ使命から、批判的あるいは批評家としてしか嘆息しえないのは越えられない境界だろう。それでも批判を恐れず発案、提言する拠点を目指してほしいものだ。

ダ・エンチョウコード

来月から勤務する予定の某地方公共団体から、欠員が生じたので当初の4ヶ月契約ではなく1年契約でどうかと打診があった。せっかく自由契約の身分を手に入れ組織と縁を切ったのに、生まれ育った地元への恩返しを理由に、敢えて過去の経験が通用しない仕事に就こうというわけだ。しかも新職場は禁煙で、禁煙を強要されて職を捨てたのだから、はじめから禁煙なら文句はない。1年契約への延長を喜んでいるのは本人より細君なのだが、亭主の顔を描く画家は妻だったということか。

人間の絆 (上)(中)(下)

サマセット・モームによる上中下3巻1,200頁に及ぶ古典的名作。「絆」は原題ではbondage (隷属、束縛)となっているように、生まれながらに障碍を持ち天涯孤独であった主人公がこれでもかというほど青春の蹉跌に苛まれる。東洋のある王が賢者に人生とは何か書物にせよと命じ500巻に著したが多すぎると50巻に要約したが、それでも多いと書き直させられ1巻にまとめた時には王は死の床にあった。結局1行で言うことになり「人生とは生まれて、生きて、死ぬものだ」と語ったとある。まさに本書から学ぶべきことが集約された逸話だ。

ユリコちゃんのてくまくまやこん

イオンモールで昼食をとる前に一服しようと喫煙室へ向かうとコロナで封鎖されているではないか。密閉・密接・密着、たしかに3つ揃っている。ユリコちゃんがテクマクマヤコンと都民コンパクトに向かって呪文を唱えたら、さっそく群集心理に飛びつく人々が食品を買い漁る。この分では喫煙嫌いのユリコちゃんのお膝元である東京の喫煙室など真っ先に封鎖に違いない。ああ喫煙者という流浪の民(シューマンのこれも3つの詩の1曲)を救うスーパーミラーの呪文は誰が唱えてくれるんだろう。ラミパスラミパスルルルルル〜

ご隠居の金融教室 第2回

日銀もETFの日経平均株価損益分岐点が19,500円なのに、それ以下では大幅含み損となるので必死らしい。損益分岐点というのは事業活動では以下のように算出される。完全競争下における総費用関数(TC)を X³-8X²+30Xとした場合、限界費用関数(MC)は総費用関数を生産量Xで微分して得られる。MC=3X²-16X+30 また平均費用関数(AC)は総費用関数を生産量で除すればいいから AC=X²-8X+30となる。損益分岐点はMC =ACとなる点だから 3X²-16X+30=X²-8X+30 求める生産量Xは4ということになる。確かに利益がなければ分配もないのだが、そろそろ最適生産量というものにも目を向ける時期かもしれません。

ファーストにつきたかった磯野カツオ

サザエさん時空というのをご存知だろうか。話が進行しているにもかかわらず登場人物が歳を取らない空間及び現象のことをいい、磯野時空、サザエさん方式ともいうそうだ。オリンピックの延期は「選手ファースト」だとユリコ風の表現で正論を装うのはいかにもあざとい。中止を回避する方便にしたかったのだろうが、チケット購入者や選手村マンション購入者だってファーストだろう。試合の行方が二転三転する中で、審判を務める為政者の時空だけ止まって見える。

山下流運転免許皆伝

山下達郎が細君のアルバムを満を持してapple musicに配信した。なんでもappleの録音精度が彼の要求水準に適ったかららしいが、彼自身の作品はなかなか伝授する気にはならないようだ。かつてラジカセで一生懸命録音し、カーステで再生して助手席の彼女を異次元に転送させていた世代からしてみれば、bluetooth でたやすくプライベートサウンドを手に入れることのできる世界はパラダイスだ。余計な詮索だが達郎はまりやをドライブに誘わなかったのかいな。

青森県鯵ヶ沢町中村地区バス停

面接試験の時に「万一合格したら必要な知識を身につける本を紹介してください」と頼んでいたのだが、勤務先から忘れずにレジュメが届いた。こりゃ勉強しなくちゃといま読んでる本の上下巻の上を速攻で読了し、下巻に入ったのだがどうも話が繋がらない。念のため上巻に戻ると解説があって、読めば上中下3巻だというではないか。中があるなら上を上中下の上とでもしといてくれればいいのに。本を読まない最近のネット人間は上から読むのか下から読むのか知らないそうなので、上→下→中もありかもしれない。ちなみにこのバス停の次は下中下ですが。

漁父の理

亡父は生前知人に小生の話をする際「倅」と呼んだ。なぜ「せがれ」かというと楚の政治家屈原が「漁父の辞」の中で「顔色憔悴し形容枯槁」と著し、憔悴→やせ、枯槁→かれ「やせがれ」が「せがれ」に転じたかららしい。屈原は妥協を嫌う孤高の人で、一方漁父は世の流れに従う融通無碍の人だった。屈原は非業の死を遂げるが、彼の死を悼んで命日の5月5日が端午の節句となったとか。初めての異動で思わぬ栄転に浴した倅は父に似て孤高に寄りがちなれば、痩せて枯れた父が漁父となって温かく見守ってやらねばなるまい。

馬耳東風、馬耳念仏。

馬耳東風とは李白の「世人之を聞けば皆頭を棹(ふ)り、東風の馬耳を射るが如き有り」に由来するが、細君の反対を振り切ってライブハウスに乗り込んだ同級生の耳には音楽は東風なのであろう。さりながら彼も一人では行きかねたとみえ小生も同道したが、店に向かう道中突然降り出した雨に、居酒屋から吐き出されてきた妙齢の女性四人組に呼び止められ傘を共にした。これからライブハウスへ行くのだと言えなかった小生にとって音楽は東風どころか念仏ほどの価値しかないのかもしれぬ。南無阿弥陀仏。

一合白書をもう一杯

退職後、やろうと思ってたのが髪をどこまで伸ばせるかに挑戦することだった。およそ3か月で耳までカバーできるようになり、これで少しはフォークミュージシャンらしくなれたかなと喜んでいたら、4月から就職が決まってしまったので涙を飲んで散髪に行った。就職が決まってえ〜髪を切いってきた時〜もう若くはないがまだ老体でもないと、一合酒でも飲みながら自分に言い訳でもするとしよう。

沈黙の春

今から60年も前に出版された科学書。よくもこれだけさまざまな文献や事象を渉猟したものだと感心する。第二次世界大戦当時に開発された生物化学兵器に端を発し、DDTを始めとする殺虫剤がいかに自然界のバランスを破壊し、人間にも健康的被害を及ぼしているかをこの時代に洞察している。コロナウィルスももしかしたらそういう自然界の不均衡から生まれたのだとしたら、細菌を退治することだけでなく我々のライフスタイルそのものを見直さねばならないかもしれない。

不芳連絡

町内会長を降りてから2年、総会は委任状を出して欠席していた。回覧板で総会議事録が回ってきたので内容を見ていたら、訃報連絡の欄になんと自分の名前があるではないか。他の人はみんな亡くなられた方の名前が書かれているのにだ。そうか、町内では死んだことになったわけだ。そのわりに3日経ってもお悔やみがないとは、町八分どころか町十分になっちゃったんですね。西雀荘も西雀墓に改名するか。

濃厚接触禁止!

女性の接待を受ける飲食店へ出入りして万一コロナに感染したら、「濃厚接触者」と呼ばれるのにはどうも抵抗がある。濃厚な接触などした覚えがないのに、どんな濃厚な接触をしたのかと要らぬ詮索をされるからだ。濃厚接触者はまた健康の名のもとに排除される喫煙者と重なる。不見識かもしれぬが、禁煙に抗って会社を辞めた小生にしてみれば、私権や嗜好を制限される不愉快とはどういうものか分かってもらえるだろう。

ご隠居の金融教室 第1回

金融機関から「運転資金に使ってください」などと売り込みにこられたら担当者にまず聞いてみるとよい。「運転資金ってなんですか?」 通常、営業活動は流動資産と流動負債を抱えてその差額(流動資産−流動負債)である運転資金をプラスの状態で保有しているわけだから資金不足に陥ることはないはずだ。だから運転資金がプラスなら融資は必要ないよと言ってやればいい。えっと言ってフリーズする担当者はもう出禁だ。流動資産にも流動負債にも回収と支払の期間に長短があるので、いくら現金があっても資金ショートする期間が発生する場合があるのだ。コロナでいくら無利息だと金融機関から煽られてもその辺だけはよく考えて運転してくださいね。

きらいだーきらいだーきらいだー!

個人的な意見ですが、とわざわざ個人が断って発言したりツィートする理由がわからない。組織を代表して回答する場合以外はすべからく「個人的」だろう。個人的だと前置きすれば責任を回避できると思い込んでいるのか、組織に属しているから個人的な意見を控える予防線なのか。社説やコラムがコロナに関して政府や国民への呼びかけに抑制的なのは後者なのだろう。手柄自慢の会見しかしないこの国のリーダーが公人の毛皮を被った組織的個人を曝け出す姿は個人的にきらいだー!

大いなる遺産 (上)(下)

あまりにも名作かつディケンズによる大作ということで学生時代にも手が出なかった一冊。やはり古典的大作だけのことはあり、壮大な物語の展開には現代のリアリズムにはない驚きと感動が得られる。もっと早く読んでおけばよかった。

ご隠居の酒場放浪記〜尾張旭

今夜は焼き鳥が食いたいとなんとなく思って細君を常連の店に誘った。失業手当も入って懐にも若干の余裕があったので前もって軍資金も渡した。焼き鳥屋の前まで来ると、隣にあるケーキ屋の駐車場が車で溢れているではないか。そこでようやく気づいた。ホワイトデーではないか!そうなんだよね、だから誘ったんだよと装ったが、先付けじゃなく後付けの枝豆みたいに亭主が見えたでしょうね。

いつはりのなき世なりせばイカばかり人の言の葉うれしからまし

唐突に学校を休校にして不安を煽ったのだから、自らオリンピック延期を申し出て世界に範を示せばよさそうなものなのに、IOCだ、WHOだと決定権を付け回しするさまは誠に嘆かわしい。テレビは四六時中コロナを取り上げ視聴者を煽っているのではと指摘されて、リスク回避のためだと正当化するコメンテーターに至っては絶句だ。WHOは疫病に関する情報が流言や誤報となって混乱をもたらす状況をインフォデミックと今回定義したが、大量情報伝染に煽られる方が余程怖い。

嘆きのテンシュと神様

世間の騒ぎをまたまたよそに、勤めていた会社の同期入社仲間3人で行きつけの居酒屋に集まった。店主曰く「まったく客がこの通り来ない。宴会はキャンセルばかり。こんな時に来てくれたお客様は救いの神様だ。」とまで言ってくれる。不安、不満が溜まっていずれ店主の体型が変化しまいかなどと余計な心配をしながら電車で家路に着く。迎えに出た細君に「これがホンマの父帰るやで」と言ってみたが通じなかったようだ。

嘲笑、反対、同調。

物事が成功するまでには3段階あるとショーペンハウエルは言ったそうだ。最初は「嘲笑される」次いで「反対される」しかしそれを乗り越えると「同調される」。社員に強制することもなく黙々とトイレ掃除し続けた鍵山秀三郎はそうやって社員の人間教育に努めたという。疑心暗鬼が疑心暗鬼を呼んであれもこれもが延期だ中止だとなっているのに、オリンピックだけを聖域にするのは、自分はしないで社員に掃除を強いる経営者と同じだ。嘲笑や反対を嫌い権力に安住する暗愚なリーダーに誰が同調するだろう。

コメント・ムリ

メメント・モリというのは古代ローマで「死を忘れるな」と言って凱旋した将軍を戒める警句だったそうだ。情けないことに小欄にコメント欄がわざわざ設けてあるのに、設定がおかしくてうまくコメントできないことが自分でやってみて判明した。挙句せっかくコメントしていただいていたのに気づかず返信が遅れたことを謹んでお詫び申し上げます。入力方法を改善しましたので、独善と偏見に陥る筆者に「正論を忘れるな」と諫めていただけると幸いです。

ロリータ

いくら「死ぬまでに読むべき100冊」に入っているとしても、このタイトルの本を図書館で借りるのはちょっとなあと思っていたら、コロナ騒ぎで図書館が閉鎖されブックオフで買い求めることになった。他の本と一緒にレジに向かう細君に気味悪そうな眼で見られたので慌てて100冊だからと言い訳したのも変な話だ。お察しの通り1950年代前半に出版され、所謂ロリコンの起源となった著作だ。確かに倒錯した世界が描かれているが、作者が言うように「虚構作品の存在意義とは美的至福を与えるかどうか」だとしたらこの作品はまさにそれに相応しい。

ご隠居の酒場放浪記〜藤が丘

コロナの影響でこの店もわれわれ夫婦を除けば若い女性グループ1組とカップルが2組。焼き鳥か刺身メインの店に飽きて今夜はイタリアンで攻めてみた。そういえばイタリアもコロナ漬けだった。3月に株が下がるのは毎年のお約束だが、マスクや製紙会社の株価まで値を下げているのは損失回避の一策か。気がつかなかったが、シメのピザの表面に所得の再分配と描かれていたかも。

ノマ問題

興味津々とか是々非々等々、みなさんは「々」という字だけをスマホで入力したい場合どうしているだろうか。PCと違ってカーソルを動かして消すこともできない、読み方はというと「とう」でも「おなじ」でもない。「々」は踊り字というのだそうで、部首は「ヽ」一画の「ちゅ部」、音読みはなくて、訓読みは「くりかえし」「おなじ」だがそう入れても出てこない。苦労して調べてみたら、「きごう」「どう」と入力すれば出てくることがわかった。知ってた人には当たり前だろうが、知らなかった方は是々非々やってみてください。

ゴーン・ガール(上)(下)

映画化されたとは細君に聞いて知ったが、こんな怖いストーリーをよくも映画にしたものだ。かくあるべしと優等生や好人物になることを宿命づけられた人間が辿る最悪の人生を見せつけられる。女性の怖さもさることながら、それに抗えない男性の弱さに苛まれる。自然で普通な人生が一番だと思いたいならぜひ読んでほしい一冊。

淀川先生に聞いてみた

わたし前から気になっていることがあるんですね。このブログ、易きに馴染まず難きにつく内容のせいか、読者も一家言持つコア層に支えられていますよね。ところが読者の地域別分布を見てみると、なぜかアメリカ合衆国からの閲覧が19回もある。これはなんとしたことでしょう。もしや世捨て人の気儘な放言にFBIが警戒感を示しているとしたらえらいことです。アメリカで読んだ人はコメントしてもらえるといいですね、サヨナラサヨナラ。

親の意見と冷や酒は

自販機で缶コーヒーを買ったりしていると、買う気のなかった通行人がいつの間にか背後で待っている。スーパーでたまたま玉ねぎ売り場で考え事をしていると、なぜか玉ねぎ売り場に客が集まってくる。尾籠だが「つれション」と同じ原理だ。無用なトイレットペーパーを買い漁ったり、具合が悪くもないのに飲み会をやめたりする付和雷同の群集心理に感染するくらいなら、「宴のあと」のことでも少しは考えたほうがいいではないか諸君!

お・も・っ・て・な・し

読書三昧ができるのも今月一杯だなと残りの日数を数えながら図書館に向かうと、あらまあここも今月一杯休館だとさ。知らずにきた御同輩の方々と玄関に立ち尽くし、そんなバカなねえ、騒ぎすぎだよねえ、子どもたちはどこへ行けばいいんだろうねなどと頷き合った。「これはオリンピックを是が非でもやらにゃいかんからだ」などと呟く御仁もいて、成る程そういうことかと合点もいく。安倍の頭はオリンピック中止なんてまったく思ってないってことだろうな。

銀漢の賦

頭に霜を置き年齢を重ねた漢(おとこ)も銀漢と著した。銀漢とは天の川だそうだ。「有限をもって無窮を追うことなかれ」親友に遺した漢詩の一節に人生の真理を見いだすとしたら大袈裟だろうか。夕方amazonから届いて4時間で一気に読ませる葉室麟の筆力はさすがだ。主人公たちと同年齢を迎えた者にしか味わえない出汁が染みた逸品であった。かかる良書を勧めてくれた得がたい友人に感謝である。

緊張の冬、緊張の緩和

桂枝雀はかつて「緊張の緩和理論」を述べていた。知的に分析して変だなと思ったり、他人のちょっとした困る姿を見たり、赤ちゃんをあやしたり、タブーにちょっと触れるなど笑いを生じさせる緊張には4類型があるそうだ。青森旅行の申込者が25人中10人キャンセル、ホテルは日本人2組40名だけ、予選通過した発表会の開催中止もまだ許せるとして、休館となった演奏練習施設が当方都合の申請用紙を出せとは笑止千万だ。 全国民緊張の狂騒を呈すなか緩和を呼ぶなら嘲笑も拒まずだ。

銃・病原菌・鉄 (上)(下)

なぜ文明は肥沃三日月地帯からユーラシア大陸には素早く伝播したのに、南北アメリカ大陸やアフリカ、オーストラリア大陸では滞ったのかを人類1万3000年の歴史に遡って探求する上下巻600頁に及ぶ大部。食料生産の栽培化、哺乳動物の家畜化、各大陸の地理的条件等からその要因を解き明かすのだが、わけても先住民が滅ぼされる原因のひとつが豚に起因するインフルエンザ等の疫病だという事実は今日的だ。幅広い言語学への造詣、歴史認識はさすがピューリッツァ賞を得ただけのことはある。

霊界から一時的に蘇るご隠居

読者諸氏はご記憶であろうか。先日ハローワークに勧められて面接に行き迫真のブラインドタッチをご披露したあの仕事である。某自治体の臨時職員として4月から7月まで窓口に立つのだが、あろうことか内定通知をもらってしまった。一旦は霊界に戸籍を移した老骨だ。石を枕とし流れに漱(くちすす)ぐのだとわかっているのなら、石で歯を磨き流れに枕して耳を洗って漱石沈流と言い張る輩を相手にしてもさほど腹は立つまい。

よされ節

青森旅行で津軽三味線の演奏を聞いた。有名な津軽じょんがら節は生で聴くと圧巻の演奏だったが、津軽三味線はこれ以外に4種類あるそうだ。なかでも「よされ節」はかつて、この地方の人々が貧困や飢饉に遭遇した際に「こんな世の中は去れ」というねがいを込めて弾かれた節だったらしい。コロナで非常事態宣言に陥ったこんな世の中なれば、津軽三味線でも奏でて不安を吹き飛ばしてほしいものです。

空き家や 光琳塀に 梅描く

2回目の俳句教室、投句2句はズタズタに添削されてしまった。冒頭の句は、毎週月曜日から木曜日まで剪定の練習に行っている空き家(いえ)の塀からまるで尾形光琳が描いたかのように梅の枝が伸びているさまを詠んだものだ。「描いた梅は季語ではありません。下五を梅の花として次回作り直していらっしゃい」侘しい空き家、華やかな梅、一層深まる侘しさ、芭蕉の名句に倣って弁証法的に止揚した一句だが光琳の次を埋める3字が浮かびません。

あんなかれーになるの原則

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というのはトルストイの「アンナ・カレーニナの原則」だが、物事の成否の原因はひとつではなく、複数の失敗の要因をいかに回避するかだ。今頃青森に向け機上の人となっているわれわれ夫婦にとって、世の中の騒動をはねのけていく以上は、旅先でこそ互いにフォローしあわねばならぬ。読者諸氏から"夫婦も「あんな加齢になる」といいね"と言われるよう婦唱夫随で参ります。

踊る大トイレットペーパー

いったいなんっすか、どうぞ。すぐ帰ってこい?いま犯人の乗ったコロナを追跡中ですってば、どうぞ。は?僕の名前?ゆうじですけど、どうぞ。なに?トイレットペーパーのデマ流したかって?なんすかそれ、どうぞ。違いますよ、ゆうじなんてこの世の中にいっぱいるでしょ、ちがうに決まってるじゃないっすかもう、どうぞ。ハイハイ、くだらないことでいちいち呼び出さないでくれます?どうぞ。あーバカバカし。