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1月, 2022の投稿を表示しています

マリー・アントワネット 運命の24時間

ギロチンといえばこの王妃を誰もが思い描くほどフランス革命、人権宣言の象徴的な敵対者とイメージされている。パリから脱出しヴァレンヌで拘束されるまでの迫真の24時間の逃走劇を知ると、歪められた歴史認識に気付かされて驚く。現代の視点から王権神授説があたりまえだった時代にあった彼女を論評することの滑稽さを認めざるを得ない。(136冊目)

アダムな想像力

図書館で本を探していたら横から女性の手が出てきて目の前でインデックスをめくる。なんども続くのでたまりかねて失礼じゃないかと言うと、読むなら座って読め、マスクから鼻が出ているとアベコベに注意される始末だ。アダムは神から指先によって生命を吹き込まれたそうだが、近頃のイブたちは指先で老人を弄ぶようだ。嘆かわしい世界だ。

にんじんしりしり

知人から「碧南美人」なるにんじんをいただいた。1月23日は奇しくも碧南にんじんの日だそうで、「いいにんじん」の語呂合わせだとか。さっそく細君に調理をお願いしたら玉子と和えて食卓に登った。甘くて美味しかったと知人に報告したと細君にいうと「にんじんしりしり」というので、それ作ってよと言ったら、玉子と和えたそれが「にんじんしりしり」だった。

山月記・李陵 他九篇

人が虎になる山月記は入試問題の定番だったが、40年を経て改めて読むと長い会社員人生そのものが己を虎に化した如くに読める。宮刑に処せられた司馬遷、孔子に全てを捧げた高弟子路、三蔵玄奘に出会う前の沙悟浄などなど早世したこの天才作家の筆力に唸るばかりだ。座右に置いて読み返すに足る小品集だ。(135冊目)

蒼き山嶺

登山が好きだから山岳小説はつい手にとってしまう。登山はしても冬山などに登ることはないから、想像の世界を構築するばかりだ。本を読むことは山を登ることに似ていると思ったのは読書感想文を書いた中学生の頃か。今回のこの山は何度も起伏を繰り返す縦走のような登山道だった。(134冊目)

前例踏襲圧力

また幼稚園へいさらしいけど、園長先生にもこまったもんだね。オミクロンはデルタとちがってじゅうしょうかしないらしいのに、やれかんせんしゃすうがすごいふえてるとか、いりょうあっぱくだと大人たちはさわぎすぎだよね。パパもママも同調圧力でまえはじしゅくしてたけど、こんどは前例踏襲という日本人のいちばんわるいところがでてるよねー。

三国志 (三) 草莽の巻

群雄割拠、合従連衡、盛衰興廃して劉備玄徳を除けば魏呉蜀の三国時代をだれがどこを先導してゆくのかも望見できないまま第三巻まできてしまった。やっと曹操、孫策が抜きん出てきて今後の展開が読めるか。簡単に首を刎ねるのには慣れたが、馳走する肉を欠いて妻を弑する場面だけはわざわざ筆者も注釈するほど残忍で二千年の隔たりを嘆ずるしかない。

ダウンタウン・ヒーローズ

夢千夜日記の脚本家としてしか知らなかったが、旧制松山高校時代の痛快無比な青春の軌跡は読み応え充分だ。東大医学部に合格しても医術に疑問を持ち日大芸術学部に移ったり、売れない頃からの渥美清と親友だったりとこの人のその後の人生も実に愉快だ。本を通じてこんな魅力のある人に出逢えたことが幸せだ。(133冊目)

ちじさんがころんでる

尾身会長が核心をつく発言してくれたお陰で、市民に外出や酒類提供自粛だけ押しつけるだけで手を拱いてきた知事たちが手も足も出ないだるま状態に陥っているのが笑止だ。市民に背を向けて「だるまさんがころんだ」をいくら唱えようと大衆はじりじり動くことがわからないらしい。感染者数よりも重症化数にポイントを絞った対策をなぜ講じないのか。困った先生たちだ。

移植医たち

脳死臓器移植なんていう難しいテーマに挑んだ移植の異色作だ。アメリカでは先行して一般化していたのに、日本は遅れて認められることになった。いかにわが国の医学会が閉鎖的で保守的かがコロナを見なくてもよく現れている。生命の尊厳についてあらためて考えさせてくれる。(132冊目)

管理会計の国のサラリーマン症候群

そもそも管理会計とは予算をもとに実績を検証し利益計画や効率性追求のための経営判断に資するものだ。おそらくわが国の上場企業の殆どが金科玉条にしている経営戦略だ。現場の戦士は予算対比どれだけ成果をあげたかで出世競争に駆り立てられる。針小棒大に物事が見えるのが不思議の国のアリス症候群だそうだが、予算達成能力が高ければ優秀だと決めつける偏見こそが企業の活力を削いではいまいか。

ご隠居のだいじょぶか〜

最近細君に対して禁句となっている言葉が「だいじょうぶか?」だ。電池のプラスマイナス入れ間違い、携帯の操作なんかで初歩的なミスをみるにつけつい言ってしまう。彼女にしてみると相当カチンとくるそうだ。年上の自分の方が先に耄碌するに決まっているから、せめて彼女にはしっかりしていてもらいたくて口に出るが、抑えられない自分こそだいじょぶか〜だ。

笑う警官

もともとは「うたう警官」だったそうだ。スウェーデンのマイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー夫妻が書いてアメリカで映画化された「笑う警官」を見本に角川春樹に勧められて改題したとか。「うたう」という警察隠語は自白、内部告発だそうで、確かに登場する刑事も警官の誰も笑わない。無意味な改題だが推理ものは一気読みしてしまう。(131冊目)

関ヶ原 (中)

上下と読んでからの中巻だが、絵巻の全体を頭の中に浮かべらるほどに著名な歴史的事件だからこそ違和感がない。家康の幕下に差し込まれていく群雄の進退を巧妙に描けるのはこの作家ならではだろう。思い立って映画も見始めたが、脚色が作品を逸脱させすぎて観るに堪えないものとなっていたのがよくわかる。

まちつくしたくつした

く、くつしたがまだ届かない。ご記憶の読者もおありだろうが、マゴが失くしたメルちゃんの片方のくつしたをAmazonで注文したのが1月の4日。正月休みの影響もあったとはいえ、予定の15日になっても未到着だ。発送元の中国China Postからは、コロナで発送作業の人手が足りないというメールが寄せられたが、ある程度集荷物が溜まってからしか発送しないのが原因のようだ。メルちゃんのメールに気を揉むとは笑えない話だ。

20年後を考える

会社に入って10年目ごろ決算書の分析をしながら、財務内容が痛んだ企業の負債を資本に組み入れたら改善するのにと呟いても誰も関心を示さなかった。20年後、負債性資本やデットイクイティスワップなどがあたりまえになった。倅にどんな気持ちで仕事に向かったらいいか聞かれたことがあったが、20年後を想定しろと答えたことがあった。日々の読書も20年後に役立てたいがもういないか。

三国志 (ニ) 群星の巻

憎たらしい董卓相国が権力の座から追われてスッキリしたかと思えば、呂布やら孫堅やらが次々と現れて権謀術数を競い覇権を争う。肝心な劉備玄徳は呆れるほど暢気にお人好しを貫いてどこ吹く風だ。王道はかくもあらむといったところか。少年時代に読んだ漫画雑誌にあったような連載読本のようだ。

武器よさらば

若い頃「老人と海」を読んだ時にはよくわからかった老人の気持ちが今ならよくわかるのと似ている。第一次世界大戦時の実体験をもとに、悲惨な戦闘のディテールと哀しい恋愛の結末が経糸と緯糸を織り合わせるように描かれている。さすがノーベル賞作家の作品だ。500ページの大部もまるで映画のようにあっという間に完読させてしまう。(130冊目)

鬼怒川

結城紬の名手としての女性の一生を明治、大正、昭和と描くのだが、夫、子、孫と奇しくも結城秀康の黄金埋蔵金に絡んで不慮の死を遂げていく。さすがに三代目までくるといささか読み疲れるが、早世したこの女流作家らしい着眼点で進行する女の一生だった。(129冊目)

三国志 (一) 桃園の巻

全10巻、吉川英治によってこの古典が人口に膾炙したと言われているらしい。桃園の巻からスタートしたので、残る9巻はのんびり読み進むとして、誰もが読みたくなるようにさせてくれる理由がよくわかる。こういう作家が今は見当たらない。(128冊目)

関ヶ原 (上)(中)(下)

てっきり上下巻と思って借りてきて上巻を読了したら中巻もあるとわかったが、中巻は後回しにして下巻を先に読み終えた。司馬作品の代表作でもあるが、家康も三成も嫌になる程人間臭く描かれている。「人は利害で動いている。正義で動いているのではない」というのが両者の違いだが、太平洋戦争における日本人や軍部を暗喩しているようで司馬らしい史観だ。(127冊目)

冬の鷹

歴史作家の優劣は、気が遠くなるほど渉猟調査し尽くした膨大な文献、資料をどれだけ捨象できるかだと聞いたことがある。捨ててよい挿話が捨てられていなかった点が残念な作品だ。実質的に翻訳した前野良沢と解体新書として出版を実現した杉田玄白とのその後の人生の対比が、なにを取りなにを捨てるかの人生観と重なって読み応えがある。(126冊目)

老いと学びの極意

団塊の世代は学生運動、高度成長、バブル、高齢化、年金による財政赤字とこの国を引っ掻き回してきた。大層なタイトルにつられて読んだものの、この団塊歌手の一冊は司馬遼太郎と内田樹の著作を引用するばかりで彼自身の考えが全くない。団塊世代とは自ら考えない世代ということがよくわかる。どう学ぶのかを考えず、極意とは笑止だ。(125冊目)

さがしつくしたくつした

く、くつしたがない!正月に一泊した孫娘が叫んでいる。それも片一方だけだという。彼女を迎えにくる両親はすでにこちらに向かっており出発直前だ。どこへやった?なに?自分のじゃない?いっしょに抱いて連れてきたお人形のメルちゃんの?正月中家の中をひっくり返して捜索したが結局発見に至らず、お着替えセットをAmazonに発注したのだった。

新政酒造 No.6

いつもの焼き鳥屋へ行くと、店長がこっそり近づいてきて「新政酒造のNo.6と加茂錦の純米大吟醸があるがどっちにするか」と尋ねてきた。いずれも入手困難な秋田と新潟の酒だが、No.6は720ml定価3,000円を22,000円出しても手に入らぬ逸品だ。現存する最古の清酒酵母6号酵母を使用した無添加酒でまさに異次元の味わいだ。もはやここまでくると酔う飲み物でない。

ヒトの壁

ああすれば、こうなる。という予測と統御の発想に疑問を投げかけてくれる。現在は問題集ではなく解答集であり、なるようにしかならない、なぜそうなったのかと考えるしかない。理解は感覚系、解釈は運動系。文化は癒しであり現実社会と表裏をなすものだ。AIの時代と猫の「まる」とがそれらを象徴しているようで面白い。 (124冊目)

重耳 (上)(中)(下)

登場人物が錯綜する中国歴史物はあえて避けてきたのかもしれない。三国志にも手が届かなければ春秋戦国時代など言わんをやだ。孔子を輩出し、司馬遷が史記に著したこの時代が重耳の艱難辛苦により活写されると俄然興味を掻き立てられるのは万人に共通するのだろう。礼を尊び宇宙の法則に従う紀元前の人々が羨ましく思える大作である。(123冊目)

いいドラマつくれるのか

昨年の大河ドラマが幸田露伴の著作と瓜二つだとNHKに投書した途端、大森美香の肩書きが原作から「作」と曖昧な表示に変わった。永井路子の北条政子も40年前に「草燃える」として大河化されてるから、このお調子者のパロディ作家が永井路子を読んでないのを祈りたいものだ。オリジナリティとインスパイアとの危うい緊張関係に興醒めするのは正しい芸術認識なのだろうか。

妖怪ドリーム

正月だからと昼間から酒を飲んでしまうとついつい夢か現実かわからなくなる。小欄も書いたつもりで実は忘れていて慌てて書き起こしている始末だ。サラリーマンならそろそろお屠蘇気分も脱しねばならぬところだが、隠居の身分には毎日夢の中もごく自然な成り行きだ。身分を持たない正月とは妖怪の世界のようなものだ。

αのマゴたち

小学生の進化はすでにここまできているのか。4年生のマゴがiPadを操作しながらやっていたのが、新キャラクターを作って放送局に送信する作業だった。さすがにメールアドレスは持っていないので手伝ったのだが、指でスラスラ絵も描き名前や特徴まで書き込んでしまう。姉がすれば2年生の妹まで難なくやってしまうのだからα世代恐るべしだ。

99.9 元気高齢者

被告人は今年前期高齢者になりますね。年金も満額支給されるはずだ。99.9%前期高齢者であることは間違いない。前期高齢者というとなにか悪いイメージを裁判員のみなさんは持たれるかもしれないが決してそうではない。前期高齢者ではなく元気高齢者だと解釈したらどうだろう。0.1%の元気で逆転勝訴だ。