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4月, 2023の投稿を表示しています

金髪ウィーク

だんだん野外コンサート本番が近づいてくるとお天気が気になる。過去2年も一ヶ月前くらいから長期予報を見ては一喜一憂してきた。こうなったら先々の天候を予測するより、なにかご利益がありそうなことを身に施したらどうかと考えた。そこで、思い切って金髪にして降雨予想の今日外出してみたのだが、やはり雨は降ったのだった。ゴールデンウィークの間の願掛けだ。

ジーマックス

通学団の最後尾につく一年生の男の子が元気がない。なんとか横断歩道を渡った途端その場を動かない。どうしたのと声をかけるうちにポタポタと涙を流し始めた。今日の給食はなにかな、今日はどんな楽しいことがあるかなと励ましてると、送り出した母親が心配になって後を追ってきた。ようやく一緒に学校へ向かってホッとしたのだが、片腕は残せただろうか。

幸村を討て

真田シリーズに連続チャレンジとなった。この作者の人称使いだけは相変わらずいただけないが、5人の武将との関わり方を通じて、真田兄弟を分析する手法は面白い。とりわけ毛利勝永の存在だけは知らなかったので、淀君との縁から人となりまで興味深く読める。それにしても500頁はやっぱりしんどい。(311/1000)

拝啓、一筆啓上。

お父様、あのアルムのかんいちオンジは私に「クララは美人だからマスクを外せ」と言うのよ。いまだにマスクをしている女は顔に自信がなくて美人じゃないからだって。たしかにアルムのお山でもマスクを外してる女の人はとっても美人が多いわ。私も明日からマスクを外します。お父様お許しになってくださいませ。

ナビが必要なのは

ナビゲーションは最早車の運転に欠かせない。難点は更新限度を超えると、道路が新設されても反映できないことだ。今度の新車はスマホと連携させるので最新のGoogle Mapでもってナビしてもらえる。期待してUSB接続したが画面に表示されないので、ディーラーに見てもらおうと電話してたら、あら不思議映ったではないか。車より老人のナビが必要だったとは情けない。

木挽町のあだ討ち

これはすごい作品だ。300冊の中でも文句なしに上位に入れるべきだろう。芝居小屋の5人に木挽町での仇討ちの顛末と各々の数奇な運命を語らせるうちに、えっと声を上げざるを得ない展開へ進んでいく。この作者の真骨頂発揮というべきだろう。とりわけ3人目の阿吽の久蔵の場面は子を持つ親なら涙なくして読めない感動ものだ。(310/1000)

葉加瀬太郎

愛知県芸術劇場大ホールで葉加瀬太郎のコンサート。生のバイオリンの音に自然に涙が出るのが不思議だ。西村由紀江のピアノ、柏木広樹のチェロとのアンサンブルが歌を必要としない。映像も加わって、こんなステージングがあるとは予想外だった。音楽ってやっぱりいいもんだね。

レギュラー満タン

中学校の同級生等と飲み会。会場まで細君に車で送ってもらうことになったが、新車に買い替えることになった車のガソリンがギリギリの状態。インジケーターで点滅する量を心配しながらなんとか辿り着く。なんでもそうだが、多少の余裕をみておかねばならぬと改めて思うのであった。

マイナンバー保険証

ようやくマイナンバーカードで医療機関を受診できるようになった。まずは顔認証で読み取ろうとすると一致しない。仕方がないので暗証番号を入力。受診が終わって精算しようとすると、今月から国保に変更になったためかデータが反映されないという。結局保険カードを提示することになったが、DXの道険しといったところだ。

いい加減にしろ!

なにを言ってもかわいい盛りの4歳の孫が、膝の中でいきなり「いい加減にしろ!」などと言うものだから、そんなことば誰に言われたのと聞くと「自分に」言われたのと答えた。たしかに誰かが自分に言ったに相違ない。あとでママに聞くと、トゥイーティーのDVDで乱暴な言葉が飛び交っているらしい。やはり男の子はおもしろい。

真田三代 (上)(下)

あのつまらない三谷幸喜がドラマの下地にしたであろうと容易に推測できる。原作とも呼ぶべきこの作品こそ、真田三代の意地と誇りを克明に描き出している。耐え忍ぶだけでなく、時には覚悟を決めて立ち向かうことも必要だという作者のあとがきが全てを物語っている。ドラマ仕立てにして我が物顔にしたあの男はこの本を読んで何も感じなかったのだろう。(309/1000)

十人十色

十人十色とはよく言ったものだ。人間年をとればとるほど柵(しがらみ)から解き放たれ、我欲や自己防衛が強くなる。便利なLINEなどその典型で、対面したらとても言えないことでも文字にしたら平気で主張できる。いちいち目くじら立てるのも阿呆らしいから、ひとさまざまだなと諦めるしかない。孫が描いた文字さえ正しく「まま」と読めないのだから然もありなんだ。

食べる幸せ

おととし一年間だけ勤めていた時にはほぼ一日おきに食べていた焼きそばが無性に食べたくなって久しぶりに食べに行った。92歳の母が血液検査で塩分の取りすぎを指摘されたそうで、大好きな漬物をやめるように言われたとか。母も息子もいい歳になって、今さら好きなものを食べずに過ごすこともあるまい。食べたいものを食べる、それが幸せというものだろう。

心の航海

バンドの練習を1時間早く切り上げて岐阜の清流プラザまで車を飛ばす。あの杏里も年齢には勝てないだろうと高を括ってコンサートに臨んだらとんでもなかった。声量、歌い方に円熟みが増してバラードなど何曲も自然に涙が流れる。バックバンド 小倉泰治(Key)、小松秀行(B)、Kenny Mosley(Dr)、吉田サトシ(G)Gary Adkins(Cho)、斉藤ノヴ(Percussion)、鈴木明男(Sax)の卓越した演奏にただただ感動だ。

僕の贈り物

森の音楽会に参加してくれることになった現役学生と打ち合わせをする為に、なんと43年ぶりに母校を訪ねた。芝生広場も変わらず学生たちが群れ、講義棟も概ねそのままだが、部室は新クラブハウスに移っていた。聞けば部員は4年生が抜けて14名だという。われわれの頃は70名の大所帯だったのに、これも3年間のコロナ禍のせいかもしれない。本番を利用して新入生を掻き集めてほしい欲しいものだ。

余命二億円

登場人物のキャラクターに灰汁が強すぎて辟易とする小説だが、思わず高村光太郎の「道程」の一節を最後に想起させる。僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる。人の命が未来を買うものだと割り切る俗悪弁護士の処世訓より、主人公が最後に気づく未来に対する決意が共感できる。時間のかかった250頁だった。(308/1000)

婦唱夫随

またまた今年もいつものお宅へお邪魔して剪定、草取りだ。例年草木が繁茂する6月以降にしていたが、鬱蒼と繁る前の方が作業は捗るだろうし、ハチ対策も万全だとこの時期に変更。それでも20キロ以上の廃棄樹木を処分することになった。庭の状態も3年を経てようやくどこをどうかまえば落ち着くのかがわかってきた。夫婦の共同作業が夫唱婦随ではなく婦唱夫随になるのも自然の成り行きか。

手前味噌

久しぶりに愛環鉄道に乗って岡崎まで昼飲みに出る。まるや八丁味噌とカクキュー八丁味噌の2軒を梯子して、味噌煮込みうどんを食べ、味噌串カツを肴にビールを飲む。まさに味噌漬けの一日であった。2年も熟成させて作られる豆味噌や、100年以上前の味噌樽を前にして、65年を生きてきた自分もまだまだ修行が足りぬと反省したくなる。

記憶の固執

またやってしまった。図書館で借りてきた本を読み始めていると、細君が「それ読んだわよね。私も読んだから」と言う。そんなはずはない、初めて読んでると言い張って読み進むうちに、あれやっぱりこれ読んだなと気がついた。読みたいならもう一回読めばと言われたものの、全体像が映像として浮かんでしまっては読む気にならない。この記憶力困ったものだ。

蘇我の娘の古事記

古事記は太安万侶と稗田阿礼によって編纂されたと習っていたが、本書は百済人の文官の子として育てられた、斉明(皇極)女帝の前夫の子蘇我入鹿の娘が口述筆記したものとして物語が進む。乙巳の乱で入鹿が討たれ、壬申の乱で父や夫が非業の最期をを遂げる。盲目の語り部として後半生を古事記編纂に傾ける生き様は、この国の始まりと出雲伝説も加わって刺激的だ。(307/1000)

遥かなるセントラルパーク

複数のバンドが出演するコンサートを企画するたびに感じるのは、ミュージシャンというのは自分の演奏しか頭にないということだ。プロでもないのに、機材の据え膳は当たり前、セッティングさえ他人任せで、自分は来てやって演奏してやるんだみたいな自意識過剰しかない。いやプロではないからそんな勘違いをしてるのかもしれない。二度とやるもんかと思いながら、3回目の森の音楽会はあと1ヶ月後に迫る。

チャットGPT

スマホで一度検索してフィッシング詐欺サイトへ誘導されかかったのに懲りてやろうとしなかった。世間でこれほど広がるとそうもいかなくなり、漸くきちんと勉強しながらアクセスして利用にこぎつけた。簡単でもそれなりに命題を構成して質問してみたのだが、豈図らんや意外と求める回答が得られないのにガッカリ。なにをそんなに騒いでいるのかよくわからない。

責任転嫁の常套句

お客様の苦情を担当していた頃には、近くのラーメン屋へ行けば「九条ネギ」は大盛りにしてくれとあえて頼んでいた。苦情対応の中でも謝絶の常套句は「総合的判断」なのだが、総合的判断とはなんだと言われたら総合的判断と答えるしかない。久しぶりに街中へ繰り出してみるとマスク顔のなんと多いことか。個人の判断などという用語は責任転嫁と同じだとつくづく思うのである。

司馬遼太郎が考えたこと 1

尊敬するこの作者の文章がなぜ読みやすいのかを考えた時、造詣に富んだ漢語と和語の組み合わせだと認識していたが、彼の作風が説話の型式をとっていることだと気付かされる。89編の小話の内大国主命を頂点とする出雲族と天皇家との関わりや、大阪の女帝太田恵子の話が飛び抜けて面白い。やはりこの本も旅をする列車の中に持ち込んで読みたい一冊だ。(306/1000)

アウトリーチ

地元で音楽文化を花開かせようというグループの話が朝刊に載っていた。思ったことはなんでも行動に移そうという意識は今も旺盛で、載っていた主催者の連絡先にさっそく電話した。団体の手法は、待つのではなくこちらから先方に仕掛けるというアウトリーチ手法だそうだ。聞けば主催者はなんと高校の後輩ではないか。若い人のコンセプトとどう化学反応させていくか楽しみだ。

水平線に見えたもの

怒涛の3日間だったが、なんとか孫たち3人との共同生活も潜り抜けた。孫たちとはいわば水平線を望むかのように接することで老夫婦の気儘な生活スタンスも保てる。さりながら小学校高学年になった孫娘たちや我が家に初お泊まりする4歳の孫息子と起居を共にして新鮮な発見もある。彼等にとって初体験のカラオケで最年長の孫娘にこんな歌を歌われたり、帰りたくないと泣く4歳の孫を見て涙にむせんだじーじであった。

少しだけ、無理をして生きる

親子が違う生き方をするのは当然だが、その価値観の違いを互いに理解し認め合う。それで初めて精神的に親子になれる。今月からプロ雀士デビューした倅がデビュー戦での経験を自ら語りかけてくれた。サラリーマンとの二足の草鞋が理解できない父だが、冒頭の作者の言葉が親子関係について道標を与えてくれた気がする。(305/1000)

地鶏の炭火焼き

春休みの孫たち3人が今日から2晩お泊まりだ。リクエストに答えて庭でバーベキューをすることにして朝から炭起こしだ。いい感じに炭が熾ってきたところで、宮崎地鶏の炭火焼きを真似て味噌漉しで鶏肉を焼く。専用の焼き網ではないのでなかなかうまくいかなかったが、数回やるうちになかなかの出来になった。孫たちが来る前に全部食べちゃったのが誤算だった。

4月1日酔いの日

馴染みの店で同期の友だちと恒例の飲み会。日間賀島出身の大将が経営する店だけに、茹で蛸は毎回欠かせない。蛸を切る係も決まっていて、ぶつ切りした蛸を熱燗で流し込めばまさに極楽だ。散々語り合って、気がつけばひとり船を漕ぎ出す者もいる。隣で飲んでた若いOLグループが心配して、帰り際には声をかけてくれる始末。それで覚醒するのだから男とは悲しい動物だ。

第二隠居部屋

なんだか今更だが、バンドのブログを作っていなかったことに気づきさっそく作ってみた。過去の YouTube動画などもここにまとめてアップしたので、活動を振り返るにはちょうどいいかもしれない。小欄のように、あれこれ記事の内容を考えなくてもいいのがありがたい。徐々にこっちへ移行していこうかしら。 EVERYDAY WEEKEND