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8月, 2020の投稿を表示しています

西雀荘に吹く風

西雀荘建設から約8か月、コロナという逆風は吹いたが、市内の東からはじめての一般利用者が現れた。高校生2人、小学生1人のサンマーで、小学生には母親が付添い空席の北の席に座る。西陽の残る中、講師役の我が倅が全自動雀卓の仕組み、設定ルールの確認、対局時・対局後のマナー等について説明。真剣に耳を傾ける彼等に遊び感覚はゼロだ。終了後トップをとった小学4年生の姿はまるで藤井聡太だ。西雀荘もいよいよ南入だ。

尻馬と重箱

また大事な時に辞めるとほんとうのことを言って批判されてる議員がいるが、病気を持つ人のことをどうのこうの言っているわけでもないのに揚げ足取りもいいとこだ。ここ数年巧妙にこの国を右傾化させてきた勢力にとってお坊ちゃんの敵前逃亡は相当痛手だったろうが、論点を取り違えているのに批判の尻馬に乗って議員をバッシングするお調子者とはいったい何者だろう。重箱の隅をつつく正論は右翼よりもっと厄介だ。

ご隠居の利き酒巡り〜作

三重県鈴鹿にある酒蔵清水清三郎商店の直販店太田商店までわざわざ行って買い求めた「作」シリーズの逸品。布製の巾着袋に納められ東京、鳥羽、ここ太田商店でしか手に入らない。FLINTとはヤマトタケルの命を救った火打石の名を冠したそうだが、精米歩合60%の馥郁たる日本酒の味わいはこの猛暑で疲れた体力を回復させる命の酒だ。木と木を摺り合わせていた先人にとって、石英の一種フリントに鋼鉄片を打ち合わせる発火方法の発見はスマホの登場みたいなものだっただろう。

幸せの種子を育てる

長年世話になった会社を辞めてまで手に入れた自由と創造という幸せの種子。一年間の地元地域社会への奉仕という束縛は課したが、ようやく手に入れた種子も育ちつつある。西雀荘へ初めて高校生が見学に訪れ、全自動雀卓に感激して、来週仲間を誘って来てくれるそうだ。焦らずゆっくりゆっくり水を撒き、自分で自分を称えながら幸せの大輪を咲かせよう。春が過ぎ夏が終わり、いよいよ秋を迎えたら最後の冬を乗り切るのだ。

寝てまった家宝

果報は寝て待てとは因果応報の仏教用語に由来するそうで、前世の行いが現世の報いとなるとか。せっかく地元ケーブルテレビの取材を受けて汗だくでパフォーマンスしたのだから、なんとか放映してほしいと願っていたら想いが叶った。観るのが怖いというのも正直な気持ちだが、なんたって全国放送じゃないから気楽といえば気楽だ。ケーブルテレビを観れない読者諸氏にはこの際接続契約をお勧めしたいと言っておかないと報いが降ってくるかもしれぬ。

OVERTHINKING LEADS TO NEGATIVE THOUGHTS

バンド活動は非常に楽しいが、より一体感を出そうと追究していけばいくほど越えなきゃならんハードルが次々と現れる。そのうちだんだんと音楽が「音学」になってしまって、学ぶことが辛くなってきたりする。毎日ギターを弾いてる時は、日々音が深くなっていくのが楽しいのになんとしたことだろう。学ぶのはもういいから、とにかく楽しみたいというのは贅沢だろうか。

蒙コロナ来襲〜令和の役

午前の仕事を終えてランチを摂る前に飲食店の外にある喫煙所で一服。この猛暑の中ほぼ命懸けの一服だ。室町時代にポルトガルの宣教師が伝えた煙管は、寛ぎの道具として茶道に取り入れられたので一服と言われるようだ。コロナで茶室にも入れないご時世だが、一服もせずにモクモクと働いて手に入れたい健康とはいったいなんなんだろう。おーい、コロナ様お帰りだぞー!

まだ僕って言ってるんだね。

会社へ入ると僕じゃない私だとまず正される。割礼のようなものだ。そもそも僕は馬鹿とか愚かを表していたそうだが、松下村塾で吉田松陰が使い始めて長州藩士に広がり人口に膾炙したらしい。僕系男子などという甘え上手に必須の一人称だが、橋下や吉村のような弁護士あがりに多用されると気持ち悪い。平民皆平等を旨とした維新の立役者に倣ったとしたら勘違いだろう。

ハイハイでバイバイ

振り返ってみるとよくも悪行を重ねてきた人生だ。出世したさに敵に①寝返ったり、ライバルを蹴落とさんと②ズリーこともした。悪事が露見すると素直に認めず③居座ったりもした。60を過ぎてようやく無益な揉め事に巻き込まれるのがいやになった。どこで誰からどう難詰されようと、④ハイハイと受けとめることが苦にならない。ハイハイの次は天国へ⑤歩きながら人生にバイバイだ。

あるのになかったアルバム

高校時代の悪友に強引に誘われて、「自分が愛したこの一枚」のレコードを持ち寄って聴く会に行く羽目になった。細君に頼んで押入れから引っ張り出してもらったアルバムその数100枚強。しかしなぜかその中に自分が持っていこうとしていたアルバムが見当たらない。彼女に言わせればそれだけだとのことだが、どうにも納得がいかず家探ししたら、特に大事にしていた50枚を発見。再生して聴けないところがもののあはれだ。

夏休みの思い出

夏やすみはみじかかったけどとてもたのしかったです。じーじのおうちにいって花火をしました。でもスペイン村には行けませんでした。ばく買いする外国人もさいきん見ません。そのかわり小池とか吉村とかいうおばあさんやおじさんが、しょっちゅうテレビに出てきていやになりました。はやくコロナがいなくなってほしいです。おわり。

山PのP

コロナによる経済活動の縮小で煤煙が消え、ロサンゼルスは街並みや遠方の山々がくっきりと見えるようになったとか。人類の健康には害悪のウィルスも地球環境にはプラスのようだ。今夏の異常な暑さも化石燃料の排出が減って直射日光を遮るものが少ないせいかと思えてくる。山にも政治家にもピークがある。コロナだってそろそろピークに差しかかっているんじゃないだろうか。

次は名古屋ドームか?

ダメもとで申し込んだら、なんと8組の出演者に選ばれてしまった。10月25日日曜日森林公園のお野立て所で広芝生に寝ころぶ聴衆を前に演奏させてもらえる。 お野立て所はあの植樹祭で天皇陛下が玉座とされた場所だ。恐れ多いことだが、 高齢者バンドの元気で大ボケのステージをご披露したいものだ。午前10時から午後3時まで、持ち時間は30分だけだがぜひご家族で冷やかしにお越し下さい。*画像は昨年のもの

それは正常旗か?

首相の健康状態が気になるところだが、無策の政府に代わって知事に権限を与えて休業を命じさせたり、補償をすべく特措法の改正を声高に叫ぶ輩がどうも胡散臭い。硫黄島で星条旗を掲げた兵士たちが戦費の調達に利用されたように、一見国民の不安に寄り添ったような言論は、よく考えれば私権の制限という劇薬でもある。旗を立てたのは闘った兵士だということを忘れてはなるまい。

手上げかい立ての瀬戸

恩人からいただいた和菓子が美味だったので、猛暑の中店舗まで買い求めに行った。目当ての羽二重が売り切れていて残念がると、奥からわざわざ初代の奥方らしき高齢の女将が出てきて、別品を拵えている最中だから待てと言う。一代で築き惜しまれて亡くなった初代の信条に適うもてなしだ。狭い海峡を手を上げ櫂を立てて進む舟の如し。

稚児の手に玉蜀黍も投降し

期間限定で運河の辺りに設営されたビアガーデンへ細君と行ってきた。4種類のクラフトビールを飲み比べながらのBBQだ。この日も日中の気温は37度、運河からの夕風が涼やかだ。食材の玉蜀黍を焼き網に並べながら、そういえばお盆に来ていた孫が玉蜀黍の実を小さな指で上手に解いていたなと思い出した。玉蜀黍は秋の季語、もう秋の気配だ。

石を積む

墓参りから帰ろうとすると墓石の中央部に小石が積んである。誰がこんなところにと取り除けようとしたら一緒に来ていた一歳半のまごが積んだという。夭折した稚児は賽の河原で永遠に石を積まされるというが、大人たちのように線香を手向けるのではなく彼は石を盛って鎮魂を表したのだろう。結界における石積みが功徳の構築なら、石を積むようにしてコロナに立ち向かいたいものだ。

カムイチェプ(神の魚)

昨日の話題に引き続いて鮭の話で恐縮だが、正直この魚を美食の対象に考えたことなどなかった。鯖や小鰭は寿司ネタや酒の肴の四番打者だが、鮭はフレークでご飯に振りかけるだけの下位打者。あってもなくてもどっちでもいいと思っていた。細君に言わせると、朝食で食卓に出し忘れていると自分で出してきて食べていたらしい。こんがりよく焼いて食べると美味いと気づいたのがごく最近だとしたら、譬えは悪いが鮭は妻のような存在だったのだ。否アイヌ民族が崇めた神の魚かもしれぬ。

ご隠居の利き酒巡り

常連の居酒屋で必ず愛飲する酒を買い求めに三重まで行った。松阪で和田金や牛銀には行けないから、金でも銀でもない「まるよし」で限定一日30食のローストビーフ丼を食べ、鈴鹿へ引き返して「作」の酒蔵清水清三郎商店を訪ねた。趣のあるこの酒蔵では酒を販売していないので、近くにある太田屋で買い求めたが、自販機まであったのは驚きだ。当分酒には困らない買い物ツアーとなったが、家のホットプレートでこんがり焼いた鮭が美味いのにはもっと驚いた。酒も鮭も作にこだわるべきか。

ウナギ美味しかの山

コロナより熱中症を心配しながら夫婦で延べ3日もかけた剪定、草刈り作業も無事終了した。家主からいただいた謝礼で邸宅の近くにある鰻屋で特上うな丼を注文。謝礼はあっという間に鰻に転じた。道楽でやらせてもらっているので無償が基本だが、鰻代を支払ったあと細君の手に残った釣りの小銭がこの道楽の皮算用だった。小銭釣りしかの川か。

Bridge over Troubled Body

ひどい肩こりだなと思っていたら歯が痛みだしぐらつく。これはもう抜かなきゃならんと覚悟して歯医者に行くと、抜かずにボンドで固める処置を施してもらえた。先生の手が神の手に見えた。歯は他の大病に代わって痛んでくれたのかもしれぬ。そう考えれば覚悟でき、覚悟するとなんでもない手が神の手に見えるものだ。神の手を前に手を合わせたくなる。

つれづれなるままに、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

自分の金で買ったタバコなのに、健康の名のもとに喫煙ルームを閉鎖した会社のやり方に腹を立てて辞めたら、どうやら今度はコロナ感染防止で飲み会禁止だそうだ。社員の健康は会社の関心事ではあるが、健康を盾に私権の制限に立ち入るのは優越的地位の濫用だろう。ならばコロナに感染したくないから会社に行かないので給与を補償しろと言えば良い。健康を謳い文句にする商品や組織にはくれぐれもご用心。

イソジンの次はサルボボか

虎列刺と書いてコレラと読むそうな。コレラ菌はコッホが発見したが、北里柴三郎が発見したペストは黒死病と別名が付されている。インカ帝国を滅亡させた天然痘は奈良に大仏を構えさせたが、お土産で貰ってもうれしくないサルボボは天然痘除けらしい。さてコロナはどうするか。顔やら外出という露出が無くなったのだから「虎露無」とでも当て字しておくか。

ドキュメント街頭6ヵ月

ドキュメント72時間やガイロクはみなさんもお好きな番組だろう。なんでもないイッパンピーポーがありふれた普通の生活を送っているかと思いきやさにあらず。それぞれが意外なドラマを抱えている。市井に生きる普通の人々を相手にする今の仕事も、ことが金にまつわる事柄だけに、さまざまな人々の事情に接する機会に出会うと共感したり心の中で応援したくなる。気がつけばもう5ヶ月目、6ヵ月はすぐそこだ。

根拠なき裁き

はい、県独自の緊急事態宣言が出されていたことは知っていました。しかしどうしても四国へ行って鰹の藁焼きを肴に酔鯨か土佐鶴で一杯飲んでみたかったのです。えっ?細君も合意のうえだったかって?もちろんです。でも倅によした方がいいよと説得され結局やめることにしたんです。それでもわしは罰せられるんでしょうか?何を言ってるか意味不明な知事には責任はないんでしょうか?

泡アワー

まさに神の泡である。ただの缶ビールが芳醇な魔法の液体と化す瞬間だ。タンブラーに70%ほど注ぎ入れたら、髭剃り状の機体のスイッチを押しながら缶に衝撃を加える。するとこともあろうに、缶の中でシュワシュワと気泡が泡立っているではないか。おもむろに缶を傾け泡を注ぎいれれば、ななんと泡が舞い降りる天使の如くタンブラーの底を目指して沈殿していく。堕ちた天使は再び舞い上がり気泡となって悪魔の飲み物と化すのだ。などとサントリーから頼まれたわけでもないのにコピーしたくなる。

二年越しの恋

昨年は裏庭の紫陽花が咲かなかったのでがっかりしていたが、今年は見事に花をつけた。調べてみたら、紫陽花は咲いた茎の花のすぐ下に出た芽を残すことで翌年も同じ茎に花を咲かせるそうだ。咲かなかった茎は来年まで待てば花を咲かせる。花が散ることのない紫陽花は、気づくといつの間にか花がなくなっていて、どれが咲いたのかわからなくなる。それで7月後半盛夏を迎える前に花が咲いている状態で切り落とさねばならぬ。切ない恋の花だったのだ。*ピンクの線で切断

ファはファイト、シは幸せ。

キリスト教音楽ではファとシの増4度和音は不吉だとされ、♭や♯が生まれたそうだ。今週の土曜日午後2時から尾張旭の 新池交流館ふらっと で練習兼発表会を1時間やります。会場は先月の大ホールに比べこじんまりしているが、器材も揃っているし音響も充実している。気軽に様子を見にきていただくにはちょうどいいかもしれません。コロナと闘い幸せになりたい方はぜひご来場ください。予約連絡は不要です。

楽観の深奥で燻る魔は、万人が宿す普遍的無意識の『罪』の残滓

テレビ局の撮影は無事終わったが、あれこれ準備したコロナ対策は結局無用となった。カメラマンからすれば透明シールもアリーナ方式も撮影の障害であったわけだ。ディレクターがどう判断するかはわからないが、楽観的すぎるから活動を続けてこられたわけだし、それを無意識の罪と非難されるなら甘んじて受けよう。無症状、無意識な万人を断罪するこのウィルスと闘うには楽観的でいることしかなさそうだ。

DON'T GO TO EXCEL

とにかくわかりづらい。所管が観光庁だということさえ意外と知らない。宿泊施設にリンクが貼ってあればそこから飛んで 観光庁のHP だ。旅行者、事業者向けのサイトに入るが、旅行者向けのサイトには必要書類が様式第1号の申請書しかない。戻って「旅行者の皆様へ」を見ると還付に必要な各種様式の例があり、それでようやく様式第2号にたどり着く。たどり着いてもこのエクセル書式が初心者がこしらえたような不出来だ。「パパ、おうちまでいけないね」

ガンバレ!シンゾー!

本を正せば民主党政権時代に立法された特措法に問題があるのだろう。知事会の要請で彼等に権限を付与したせいで、下請け企業の社長の如き烏合の衆が大騒ぎする。それをマスコミが助長する。一都道府県の問題ではないのだから、国全体でどうコロナと向き合うのか首相が音頭を取らねばならぬ。いったん方針を決めたら職を賭してでも批判や非難に向き合えばいい。この国の民度はあなたが思っているほど高潔ではないのだ。さあ、頭を上げなさい。