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2月, 2022の投稿を表示しています

人斬り半次郎 (幕末編)

桐野利秋について触れられた小説や映画をみるにつけどうにも好きになれなかったのに、池波正太郎にかかってその青年時代を描かれるとなんとも愛すべき人物になる。るろうに剣心や鬼滅の刃なども大方半次郎から着想を得たに違いないと勝手に解釈したくなる。賊将編まで読んでしまうと人物像が歪むといけないのでここまでにしておくのが賢明か。(144冊目)

見えないものの値打ち

厳しさには愛情の裏打ちがなければならないというのが共通認識だった時代を生きてきた。パワハラなんていう言葉が生まれてからは、愛情の有無を問われることさえなくなった。ロシアの侵攻はウクライナの親ロシア派にとっては愛情表現かもしれないが、西側寄りの国民にはパワハラだろう。子供たちに厳しかったかつての自分にどれほど愛情があったか振り返るのは難しい反省だ。

盤上の敵

推理小説とかミステリーというのは400ページあってもスイスイ読んでしまえる。読んでしまえるが、主人公に近い登場人物に暗く悲惨な過去を背負わせるところがどうにも苦手だ。プーチンによる歴史的反抗が行われている最中に、事実は小説より奇なりとバイロンの言葉を引くまでもなく現実に現れた盤上の敵こそ不快でしかない。(143冊目)

モデルナにもてるなあ

先週モデルナのワクチンを接種したのに幸い今まで同様副反応らしきものは現れない。細君などは微熱と関節の痛みに襲われたようだが、なんとなく羨ましくなる。職場の女性軍からはあまりの通常モードを不思議がられているほどで、鏡よ鏡どうして私はと尋ねたくなる。何事にも思い込みの激しい性格は「予防」という言葉に弱いということなんだろう。

三国志 (十) 五丈原の巻

二ヶ月間にわたって読み進んできた三国志もついに十巻読了した。三国志演義を吉川英治が新訳した圧巻の大部だった。前半は曹操、玄徳、関羽、張飛、後半は諸葛孔明の活躍に彩られた歴史絵巻で千年以上読み継がれてきただけのことはある。さすがに孔明の死を迎える大団円だけは胸に迫るものがある。智謀湧くが如しの人も日常は質素な人であったが隙のなさがわずかな欠点だったという作者の総括は慧眼だろう。

厭離穢土欣求浄土

こんばんは、徳川家康です。あまだ夜じゃないですね。お久しぶりです。なにやら私のことが気に入らないそうですね。たしかに、大御所となってからの私は信長公のせいで殺された信康の遺恨を当時の武将に晴らすなど老害を振るいまくっていました。あなたのお母さんもそうでしょうが、年をとると自分のことしか見えなくなるようでいけませんね。長生きするのも考えもんですな。

新三河物語 (上)(中)(下)

忠の諱をほとんど有する子孫50名が登場するだけに、彦左衛門に代表される大久保一族の勃興から盛衰までを描いた物語の冒頭はとっつきにくい。中巻、下巻と読み進むうちに変貌していく家康への嫌悪や武家社会の哲学的変容も読み取れ、ストーリーに魅き込まれてしまう。畢竟肩書きや地位に拘らず、いかに生きるべきかを考えさせてくれる改訂版彦左衛門の三河物語である。(142冊目)

三国志 (九) 出師の巻

出師の表を読んで泣かない男子はない、と古来我が国ではいいつがれてきたという。四書五経に親しんできた時代には孔明の名文として座右を占めていたに違いない。玄徳の後を継いだ幼君に忠を誓い、徳を説き、開戦を促す名文が脈々と読まれ継がれてきたこの国の文化こそ大切にしたいものだ。

CMあーせいこーせい

広告代理店も最近はクリエイティビティとまったく無縁になったようだ。テレビのCMときたらどれもこれも替え歌ばかり。安易といえば安易だし、CMソングを作る作曲家が現れないのも一因なんだろう。こんなことしてたら日本の音楽業界も衰退する一方だと危惧するのは余計なお世話か。

三国志 (八) 図南の巻

ついに第八巻まできた。清廉潔白すぎて無欲すぎる劉備玄徳が蜀を建国するに至った。王道・覇道とひと口に区別するけれど、王道を突き進むには天の時、地の利、人の和が揃わねばならぬことがよくわかる。無職になって老境を迎えて、人格を磨くことに腐心する気概も失いがちな昨今だが、まだまだ人の道には終点がない。

三国志 (六) 赤壁の巻

世に有名な赤壁の戦い前夜までを描いて、諸葛孔明の知略智謀に感嘆するばかりだ。3日で10万本の矢を用意してみせると豪語し、敵に撃たせて奪取する智恵など最たるところだろう。敵水軍の船を鎖に繋がせ火計をもって殲滅する象徴的な戦術も、孔明によって立案されたというより、実行される環境を整えた戦略だったことが驚きだ。

三国志 (七) 望蜀の巻

六巻が貸し出されていたので、例によって頓着せずに第七巻を読み進んだ。「人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなもの」などという箴言を見つけては頭を垂れるしかない。そこへ第六巻が返却されたと通知がきて世の中はうまくできていると思い至る。

52ヘルツのクジラたち

東野圭吾を除いて図書館の貸出予約50人待ちの本とは尋常でないので買い求めた。虐待、ジェンダーという大きな社会的テーマを扱っているのに説教くさくない。むしろ二度泣けクスッと笑えたりもしてさすが並んで読みたくなる一冊だ。通常の鯨は10〜39ヘルツなのに、52ヘルツというチューバの最低音で泣く鯨がいるという。悲しい声に胸が熱くなる。(141冊目)

八月の犬は二度吠える

同世代だとどうなのかというと、見てきた景色が重なるせいか内容は共感できる。共感はしても、読み終わりたくて通勤途上立ち止まって読了したという推薦者の帯はいささか大袈裟すぎるかもしれない。映画にすればそれなりの脚本が書けるだろうが、著者がおちゃらけた芸能人だというフィルターが作品の価値を左右するのが惜しまれる。(140冊目)

一個でも三顧の礼

わがバンドで今必死に取り組んでいる曲がある。今井美樹の「プライド」だ。これがまた簡単そうでリズムをキープするのが難しい。そこで、細君にカホンを叩いてもらったらどうかと声を掛けたが返事はない。諸葛孔明だって三顧の礼を尽くさねばならなかったわけだから、再び頼んだが回答なし。いよいよ三回目に動画を見せながら楽器の現物を注文したいと相談してようやく了解を得た。果たしてどうなることか。

あの頃の空

やはり戦前に生まれた人の作品には人間そのものが持って生まれた業とか哀愁というものが自然に現れており読み応えがある。全八篇の短編集だが、われわれ老境世代のいかにも頼りない存在意義に様々な角度から光を照射してくれる。さわやかな無力感といえばいいのだろうか。暖かい日差しを受けた公園のベンチか海辺のホテルの窓際でゆっくり読んでみたい一冊だ。(139冊目)

おかえりMr.バットマン

どうも自分より年下の作家の作品には馴染めないものだ。小見出しやタイトルにそそのかされて読んではみるが、結局内容の浅はかさや凡庸な文章に落胆するばかり。そんな都合のいい展開はないだろう、また同じ論理構成の繰り返しじゃないかと突っ込みたくなるだけだ。文学の才能はごく一部の天才にしか賦与されないものらしい。(138冊目)

まじめ人間ギャールズ

男性社会で生きてきたせいか、上司もいない女性社員ばかりの職場で仕事をしてみるとつくづく女性の生真面目さに敬服する。正社員がたまに顔を出そうが出すまいが一心不乱に黙々と仕事に専念する。子育てや家事に上司も他人の評価も関係がない世界で培われた資質なんだろう。愚痴ばかり言ってる男たちに見せてやりたいまじめさだ。

三国志 (五) 孔明の巻

五巻目にしてついに諸葛孔明登場だ。劉備玄徳がまさに三顧の礼をもってして孔明を訪ねる劇的場面が描かれる。これで役者は揃ったわけだから、残りの五巻が楽しみになってくる。それにしても騙されて曹操の配下に降らされた徐庶とその母のくだりは読んでいて胸が痛む。

滑舌ハマリ男

昼食を摂りに近くのスガキヤへ入っていつもの「ネギラーメン」を注文した。あれ?ネギが刻んだ青ネギで器も心なし小さい。どうやらネギラーメンと言ったのが、「ミニラーメン」と伝わったようだ。よく見るとスプーンも子供用だ。幼児ではないからさすがにこれでは足りないので加薬ご飯を追加したが、マスクのせいか滑舌のせいかとにかくハマってしまった。

少年間諜X13号

少年時代のかすかな記憶を辿っても、零戦に乗って少年が活躍する漫画に胸を躍らせた覚えがある。戦後10年しか経っていない世代にとって、少年の冒険小説は痛快だ。戦前の子供たちをワクワクさせた作品集だけに、今の時代からすれば違和感があるのは否めないがこの作家の別な一面が見えて面白い。(137冊目)

農耕接触者

エジプトでは紀元前7,000年から始まったと言われる。我が国では紀元前1,000年の縄文時代末期からだというから3,000年もわれわれは農耕接触者だということになる。2類から5類に感染症の分類が変われば濃厚接触者がどうのこうのという騒動も収まるだろう。見回せば農耕に接触してるのは近所の定年退職者ばかりで、弥生人もびっくりなんだが。

利用されているのは誰だ?

生きている人間ほど不確かな存在はない、と言ったのは小林秀雄だったが、人間死んでしまうと清濁併呑して清らかにされてしまう。石原慎太郎しかり、その変異株だと言われるこの人しかり。テレビに出させるなキャンペーンには大いに賛同するところだが、憎まれるのは彼とて生きている間だけなんだろう。正論を説く前に謙虚であるかを自らに問わねばなるまい。

気持ち幸福山

勤務して一週間があっという間に終わった。けっこう御局様のような辛口の女性もいたりして花の園もなかなか大変だ。9人全ての人となりをいち早く把握して、お菓子を配ったり冗談を飛ばしたりとなかなか気を遣う。それでも帰りがけにひとりの女性から「後藤さんが来てくれて職場の雰囲気が楽しくなった。来週も楽しみに来ます」なんて言われたりすると、気苦労も吹き飛ぶから不思議なものだ。

半分笑みチャンネル

上沼恵美子がYouTubeで薦めるお好み焼きの作り方を試してみた。粉大さじ一杯、玉子2個と玉子多めでふんわり出来上がりでたしかに美味しい。美味しいのだが裏面にひっくり返そうとすると、ふわふわ故にひっくり返すのが難しい。得意の広島焼き同様、鉄板上に支点を作り裏返すだけでいいのだが、失敗を重ねて4枚目にやっと気づいた頃には笑みも半分だった。

三国志 (四) 臣道の巻

関羽の劉備玄徳に対する忠心というのは日本史にも例を見ないのではないか。敵である曹操に見込まれて不本意にも隷下に属することとなっても志は曲がることがない。三国志の英雄が長い年月読む者を惹きつけて止まないのはこういう類稀な群像を描いているからだろう。

花の首ざかり

短期のアルバイトが1日から始まった。前の1年間と違って顧客対応もなく、一室にこもってひたすら整理仕事をすればいい。周りは女性ばかり9名に囲まれて、3時のおやつを食べたりコーヒーを飲んだりとまるで天国だ。服装も私服でいいそうで弁当持参なら雑談の花が咲く。わずかに2ヶ月半の契約だが、調子に乗ってクビにならないようにしなくちゃね。

アイコスの穴

もう7年くらいになるだろうか、アイコスに変えてから。保証交換も含めて機種も7回交換していることになる。なんといっても使い勝手の悪かったのは、吸い口部分を外してはしょっ中掃除しなくちゃならんことだった。それが今度の新型はタバコの中に熱線を発するブレードが組み込まれているのでただ差し込むだけでいい。愛煙家にしかわからないイノベーションだ。