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5月, 2022の投稿を表示しています

そして、バトンは渡された

結局今月は16冊、今年に入って62冊目を読破したが、読書だけで日々過ごしていくのも勿体ないような気がしてくる。書き方によっては主人公の境遇で暗くなるところだが、からりと爽やかな展開で描かれていて心地よい。親から親へ、親から子へ渡されるバトンに目を止めると、現実の人間の営みにもっと身を任せたくなる。(184/1000)

俺の物語

夢枕に預言者が立って寿命は65歳だと告げられたそうだ。還暦を過ぎてもういいやと考えていたのが、あと3年なにができるかと考えた時、若い頃挑戦した物語と音楽の融合に挑戦しようという気になったという。物語を紡いでラブソングは生まれるが完成までの道のりは険しいらしい。40年前に買ったアルバムにサインしてもらい写真に収まって、俺の物語について考えてみたくなる。

とんび

デビュー10年ぐらいの頃の彼はやはり素晴らしかったということなのだろう。とにかく途中中盤あたりで泣けて泣けて先に読み進めない。飲み屋のたえ子さんの娘が居酒屋へ来た時のくだりなどもう読むのが嫌になる展開だ。もうこれで終わりかと思ったら後半、倅のアキラの細君に関する場面でダメ押しの涙腺崩壊だ。間違いなくこれまで読んできた180冊のベスト10に入る一冊だ。(183/1000)

角松は冥土の旅の一里塚

まさか長女の婿が同じミュージシャンのファンだとは意外だった。その上婿がチケットを取ってくれて一緒にコンサートへ行けるとはなんという幸せだろう。音楽のチカラとは恐ろしいものだ。角松敏生がそれだけのキャリアを重ねてきてくれたことに感動しながら、自分の残りの人生を噛み締めて今宵は音楽に酔いしれたい。

ゼツメツ少年

これはひどい。ぜんぜん文学作品の体を成していない。何のために何をどう表現したいのかが後半になればなるほど意味不明だ。突然登場する自殺する少女とその父への鎮魂のために書いたノンフィクションなのか。ただの自己満足のためだけなら、出版社に責任がある。(182/1000)

予定調和でない老後

わざわざ三越まで行って買い求めた大口屋の麩饅頭。6個入りの内2個は当日夫婦で食べて、4個の内2個は倅にやり残りの2個は明日我々で食べようと思っていたら全部倅が平らげてしまったという。細君に不機嫌を装いながらも、ハプニングの方が饅頭よりうまいと内心喝采する。予定調和通りに進む老後など面白くもなんともない。

どんまい

予約待ちの「とんび」を手にする前に重松ワールドをもう一度覗いておこうと500ページの大部に挑んだ。正直なんだこれ?という読後感だ。あまりにも人間同士の関わり方が絵空事すぎるし、結末も映画化を意識したような仕立てになっていて閉口する。野外コンサートでミスして落ち込んでた細君に「どんまい」とLINEを寄越した長女のひと言の方が値打ちがある。(181/1000)

隠蔽捜査

読み始めは東大卒のキャリア警察官僚の胡散臭い人物像ばかりがクローズアップされる。こんな男にはなりたくないものだと軽蔑しまくるのだが、豈図らんや徐々にそのイメージは見事なまでに覆される。最後半に至ってとうとう彼の潔さ、原則を貫く鉄の意志に賛辞を送りたくなる。今も宮仕えで憤懣やストレスが溜まっている方には痛快な一冊となるだろう。(180/1000)

悔悟か、介護か。

老老介護の話を聞くにつけ亡父のことが思い出される。余命宣告を受けた父とはいえ、その父を介護する気などさらさら持ち合わせなかった老母。悩んだ末父を施設に入れたが、今となっては今度は自分がそうされるのではないかと何かにつけ反発する。こんなことなら母も巻き込んで自宅で介護すればよかったと悔いる。亡父に申し訳なかったと詫びる月命日の墓参が続く。

ツナグ 想い人の心得

きっとツナグの第一作は本か映画で見たのだろう。状況設定はめずらしくもなく入り込めた。入り込めたのだが、2続編として編まれた5篇に作品としての深い洞察は見当たらない。死者と会って依頼人の抱える後悔をただ辿るだけでは文学的価値は望むべくもない。我が国の文学界も実業界同様人材不足だろうか。(179/1000)

ウエストサイズストーリー

ニョウサンチが主役に座りそうな人間ドックに臨んだ。昨年やや高かったケツアツは正常。タイジュウも努力の甲斐あって2キロ減った。タイジュウは減ったのにウエストが逆に増えるのはおかしいと、女性検査官が何度も測定し直す。増えててもいいですけどと言っても測定の手を緩めず3回試技の最小値が選択された。 cast nyosanti ketuatu taijyu west

善人長屋

前回と違ってこちらは名作の部類だろう。江戸の長屋を舞台に繰り広げられる裏家業を持つ人々の善行が短編で繰り広げられる。最後は成さぬ中の妻子にまつわるいい話で締めるところなどは憎い展開だ。講談か落語にしてもたっぷり聞かせくれるに違いない。(178/1000)

モニタリング隠居観察

昨夜から地元ケーブルテレビへの録画出演が始まり、28日まで何回も放映される。ありがたいことだが、困るのはこれから放映エリアでは諸肌脱いで義侠心を発揮するのも躊躇われることだ。少々カチンとくることがあってもニコニコ笑っていないといけない。あれあの人どっかで見たな、なんてことになるようでは隠居の沽券にも差し障りがあろう。老害と指さされぬよりはましか。

世直し小町りんりん

吉川英治文学新人賞を「まるまるの毬」が受賞したのが2015年だから、その3年前に書かれているだけあって円熟味が増している。惜しむらくは終盤に結末を詰め込みすぎていることか。読み進むのが難儀になる。名作と駄作が混淆しているところもこの作者のおかしさかもしれない。(177/1000)

宴のあと

薄曇りながらもなんとか雨にも遭わず無事野外コンサートを終えることができた。お手伝いしていただいた方々に感謝感謝だ。ボーカルマイクはメインミキサー、楽器はステージ上にコンパクトミキサー。アコギのゲインは絞って生音に近づける。アンサンブルを考慮したミキシング。セミプロのみなさんにさまざまな技術を伝授していただき実りが多かった。来年はもっと充実させたい。

久礼と鰹

店長から今日のお刺身は鰹がお勧めだと言われ、ならば4種類入荷した酒の中から高知の酒を迷わず選んだ。「久礼」という酒が辛口だとのことだがさわやかな喉越し。鰹だけじゃなく鰈も併せて2点盛りにしてもらえたが、この鰹がただの鰹じゃない。所謂鰹特有の生臭さが全くなく、まるで鮪の中トロのような食感だ。たまりません。

烏金

この作者の作品にのめり込んで続けて読んではいるものの、デビュー当時のものは金春屋ゴメス同様内容も展開も稚拙だ。その後の涅槃の雪、心淋し川などの名作が稚拙さを乗り越えて生まれてきたのだから、作家の人生というものも面白い。もう少し付き合ってみるか。(176/1000)

人斬り半次郎 賊将編

鹿児島出身の義弟に薦められて賊将編も読んでみた。津本陽の「まぼろしの維新」でダラダラと記された西南の役の顛末を読んでいたので、どうせ桐野利秋の後半人生についても失望を重ねるだけだろうと思いきやさにあらずだった。池波正太郎にかかると、西郷は維新後の日本にとってどれだけ重要な人物だったのか、桐野の天衣無縫が可愛げに思えるほど上手く描かれている。

九十九藤

九十九と書いて「つづら」と読ませれば「葛」の一文字も同じ意味だ。曲がりくねった人生と藤の蔓に囚われたような紆余曲折はまさに「つづら」のようだ。葛の藤のようだから人生は葛藤そのものなんだろう。仕事で大事なのは人であり、人を育てることに信念を曲げてはならないことを改めて悟らせてくれる。(175/1000)

人と音楽を繋げる

新聞社の取材を受けたり、当日のケーブルテレビ局の撮影の打合せをしたりしながら漸く森の音楽会開催まで漕ぎつけた。取材等で「なぜ音楽会を開催するのか」と聞かれるのだが、このところ続く芸能人の自殺を思うと、コロナ禍で塞がりがちだった人々の気持ちを解放するためというのが相応しい理由になろうか。映画インターンシップでGoogleは「人と情報を繋げる企業だ」と示されたが、人と音楽が繋がればもっといい。

シャアとザク

リカマンで酒を物色する夫をよそに細君は冷蔵棚に釘づけ。行ってみるとお気に入りの「作」と「彗」がセットで販売されてるとか。「直汲み」と「おりがらみ」を買ってからネットで調べたら、「彗」はシャアと読みザクはガンダムに出てくるモビルスーツだそうで、ガンダムファン垂涎の日本酒セットだそうだ。

三つ子の合意形成

ママとなった娘が3歳のマゴに、YouTube画像は今日はこれでおしまいにしようねと言い聞かせる。「合意形成」とママが呟くとマゴも「合意形成」と鸚鵡返ししながらもっと見たいとごねる。3歳の子供でも難しいのだから、日曜日に迫った野外コンサートの準備でさえ仲間の間での合意形成はなかなか容易でない。どうなることやら。

魂手形 三島屋変調百物語七之続

語り部としての作者の力量を存分に発揮してくれた一冊だろう。収められた3篇とも「あやかし」 という言葉が似つかわしいほど非現実を中心にして語られる。非現実なのだが、なぜかより現実感のある人と人との心のやりとりが魂を揺さぶる。さすがというべきだろう。(174/1000)

ライオンのおやつ

貸出回数上位の作品だったので読んでみた。主人公の置かれた状況は余命宣告を受けて、エンドロールを観るような局面なのだが、不思議と暗くならない。おやつというありふれた日常の営みが人生を象徴しているかのような構成だ。夕食も終えて就寝を待つ年代に差し掛かった自分と比べたくなる。(173/1000)

心淋し川

心淋し川と書いて「うらさびしがわ」と読ませるのだそうだ。全6篇各章ごとに珠玉の江戸長屋世話話が綴られている。どれも胸にじーんと迫る深い趣がある。読み終えるのが惜しいと思えるこんな作品にはなかなかお目にかかれない。こんな作家に出会えてよかったとつくづく思えるだろう。(172/1000)

じんかん

司馬遼太郎や葉室麟を愛読すると、84年生まれの直木賞作家の作品はやはり稚拙と言わねばならない。そもそもなんで信長と小姓に会話させるのか意味不明だし、塞王の楯でも頻繁に繰り回しされる「己」という不確かな人称が煩わしい。歴史上の悪人とされる松永久秀に独自の価値を見出したい願望を果たすには「じんかん(人間)」での経験が足りないようだ。(171/1000)

Hi, kangchang!

毎年この時期になると、暇を持て余す若者が多いのかSMSや携帯アドレスにフィッシング詐欺メールが頻繁に送られてくる。まさかFacebookの友達がアカウントを乗っ取られて、こんなメッセージまで送られてくるとは想定外だ。ハイジャックの語源は乗っ取り犯が運転手に「 Hi, Jack!(よお、あんた)」と声をかけて油断させたことらしいが、友達にも気をつけなきゃいかんようだ。

ヒロシのソロキャンプ

みんなで、というのが同調圧力だったり押し付けのような気がして小さい頃から苦手だったそうだ。ソロキャンプにハマってみて、ひとりの居心地よさだけでなく、他者との関わり方までブレークスルーできるようになったようだ。キャンプギアや野営のノウハウばかりでなく、人としてどう生きればいいのかを教えてくれる良書だ。(170/1000)

走れ、若き五右衛門

まあなんと読みにくい作品だ。句読点も台詞も人称も無茶苦茶で、下ネタは縦横無尽。こんな作者の本は読まずに返却しようかと思いつつ読み進むうちに、どんどん作品世界に引き込まれ、気がつくと370頁を一日半で一気に読み終えてしまった。若き日の石川五右衛門の成長と精神の相剋に加え、戦国時代初期の時代感覚を追体験しているかのような作風は圧巻であった。(169/1000)

たかが餃子されど餃子

玉袋筋太郎の「町中華で飲ろうぜ」は欠かさず観ている番組だが、とりわけ餃子が出てくると目が釘付けになる。あんな餃子が食べたいなと、細君にキャベツ8割、肉2割で作ってもらうがどうも違う。あんな風にはできないわよと言われたらもうなにも言えない。こりゃあ中華料理店にでもバイトで雇ってもらって秘伝を会得するしかないか。

ジャマイカ人だった私

アマゾンプライムビデオでビデオをレンタルしようとしたら、「支払口座が日本でない」とか「クレジットカードの発行が日本の銀行でない」という訳の分からないエラーメッセージ。ヘルプデスクへ問い合わせて他社のカードに変えるとうまくいく。元に戻すとダメなので再度問い合わせカードの再登録をして漸く気づいたのは、自分の住んでる国がジャマイカになっていたのだった。