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10月, 2021の投稿を表示しています

逆鱗に触れる

買い物に行って細君から 「今晩はいつもの居酒屋でしょ」と言われ 「明日クラス会で飲むから・・・」と答えると、 あっそうと言った途端、温厚な彼女の表情がみるみる変わる。居酒屋まで送って行ってくれと頼んでおいて、(自分だけ飲むのね)というのが逆鱗に触れたようだ。慌てて「行こう行こう」と前言を引っ込めた。龍には81枚の鱗があるらしいがその1枚が逆さに生えているとか。そういえば彼女は辰年だったな。

死んでたまるか

京唄子、鳳啓介の鳳啓介はこの大鳥圭介に倣ったものらしい。路頭に迷うことになる幕府旗本直参を北海道の屯田兵として住まわせる。受け入れない新政府に抗して、江戸幕府ならぬ蝦夷政府を立ち上げ14日間だけ独立国が生まれた。戊辰戦争を戦い抜き戦後も活躍した小さな巨魁にあやかって芸名にしたのだろう。(94冊目)

まとめる生活

身体はボディーソープ、顔は石鹸、髪はシャンプーと機械的に使い分けてきた。仕事を辞めて坊主頭にしてみると、わざわざシャンプーで髪を洗う必要がないことに気づいた。日常生活全般を振り返ればもっと無駄な使い分けがあるのかもしれない。荷物をまとめて外へ追い出される生活だけは勘弁してほしいものだが。

襲来 (上)(下)

親鸞を読んだ後だったので日蓮にかかわる本ならばと浄土宗と法華宗の違いに関心を持って読み進んだ。読み進めても日蓮の宗旨は念仏専心が語られるだけで前半400頁は苦痛だ。主人公は元寇をつぶさに目撃し生涯をこの一事にかけた若者なのだと解ってきてから俄然面白くなる。作者の名前からとっつきにくさが先立つが、「ははきぎほうせい」は覚えておいて損はない。(93冊目)

大司教さま〜

優勝すると来年、青春のグラフィティーコンサートの前座に出られるそうだ。決勝の10組はプロ級のバンドばかりでわれわれなど到底歯が立たない。「参加することに意義がある」と言ったのはかのクーベルタン男爵かと思っていたら、第4回大会で米英の綱引き大会が行われたのを受けてペンシルベニア大司教タルボットが言ったのがきっかけだったとか。大司教さまよくぞ言ってくれました。

読書をむさ『ぼる塾』

半年で60冊を超える本を読んでいると、大部になればなるほど話の筋が見えず読むのが苦痛になることがある。気軽に読み始めたつもりでもいつのまにか対象に接近しすぎているからだろう。本の方から「アップにするなよ!」と言われていると悟れば、読み方にも距離ができそのうち面白くなるから面妖だ。どうせ内容はすぐ忘れ、今更知識を蓄えても使い道はなく、ただの暇つぶしだと適当に距離をおいて貪るに限る。

回転寿司のハクション大魔王

コロナのせいで回転寿司も空き皿ばかりが回転して久しい。5までしか数えることのできない2歳のマゴと空き皿を数えていると、ネタだけがない寿司皿を発見したり、注文した品が他所で強奪されたりと回転地獄の様相だ。ハクション大魔王じゃあるまいし、せめてちゃんとした寿司皿をマゴの前に現してあげたいものだ。

渋沢栄一伝

この人について書かれたものでなかったら露伴の作品を手に取ることはなかっただろう。明治から昭和初期にかけての作家とはいえ格調高い名文に驚く。「青天を衝け」は脚本家のオリジナルだと言われているが、ストーリーの展開はこの作品を追ったとしか思えない。琴と琴二物あっても音は和せるものと、勤皇と攘夷の運動を評したのは慧眼だ。(92冊目)

親鸞 (上)(下)

親から愛情を注がれ、学校や職場で物事を教えてもらいながらも、早く自立するのは自力なんだと思っていた。他者を救いたい、他者の役に立ちたいと願う他者の思い(本願)に、救われたい自立したいという自分の願いが合致して光が生まれる。その光で自分が照らされ、照らされた光で他者を照らす。これからは他力本願なのだと目覚めさせてくれる。(91冊目)

一分ノ一 (上)(下)

背表紙に記されている「やさしいことをふかく」(上)「ふかいことをゆかいに」(下)とともに、記されていない「むつかしいことをやさしく」が作者とこの作品のテーマだったのだろう。奇想天外、圧倒的な知識と語彙は若い頃読んだ「吉里吉里人」を彷彿とさせる。爆笑しながら深く考えることができる作品だ。上下巻900ページの大作が未完に終わったことが悲しい。(90冊目)

難局物語

南極物語か〜なつかしいなあ、よーしビデオに撮ろっと。たしか初デートで細君に誘われて見たっけ、待てよそれは植村直己物語だったか?細君とビデオを見ながら「初めて一緒に見たよね。植村直己だったっけ?」と同意を求めると「南極物語も植村直己も私の記憶にはないわよ」!!!そう言われてみれば別の女性だったかもしれぬ。さっさとその場を去る細君に気兼ねしつつ最後まで見ることもなく録画を消去したのだった。

ぼ、ぼ、僕等はテレビ探偵団

テレビ画面の真ん中に線があるわよと細君に言われてふーんと聞き流していたら、だんだん赤い帯状の線が目立ってきた。15年も前のものだからメーカーに聞くと部品がないそうだ。最新の4Kテレビに買い替えネットで昭和の懐かしいアニメなどを観たのだが、画像は隔世の感だ。当時のアニメはあの時代のテレビでちょうどよかったんだね。

隣家の眼差し

お向かいの家の窓際に置かれているカツラを載せる頭部だけのマネキン。いつもは横向きで気にならないのだが、今朝はこちらを向いている。カツラを被っていない白いマネキンが顔を向けているのがなんとも不気味だ。くり抜かれた目がなにかを語りかけているようだ。第6波が必ず来ると根拠もなく強弁してる大村に「ワクチンは何の為に打ったんだ」とでも言ってやってくれよ。

スタンド・バイ・ミー

ベン・E・キングの歌と映画はあまりにも有名だが、映画も小説もなんとなく遠ざけてきた。映画と同時並行で観て読むことになったが、映画からは甘酸っぱい少年時代への懐古が、原作からは感傷的だが虚飾のない流麗な文章が味わえる。Different Seasonsの秋編がスタンドバイミー、冬編がマンハッタンの奇譚クラブで2編が収められている。因みにショーシャンクの空は春編である。(89冊目)

無私の日本人

映画「殿、利息でござる」は何度観ても涙を誘うが、原作者はこの人であったかと驚く。驚くのは穀田屋十三郎ほか9名の無名の人ばかりではなく、本書が取り上げた中根東里、大田垣蓮月についてもだ。作者が言うのに倣えば、新首相の言う新しい資本主義や成長と分配などもあやかしにしか思えない。本当に大切なことは、無私にして善良な市井に生きる人々の営みだと思える。(88冊目)

雪の華

こんな悲しい設定なのに、ヒロインがずっとポジティブで明るいので救われる。葉加瀬太郎のバイオリンが心を揺さぶる。登坂広臣の不良っぽさが中条あやみの純真さを温かく包み込む。フィンランドの景色、オーロラ、中島美嘉の歌どれをとっても映画を堪能させてくれる。

精神と物質

メッセンジャーRNAでコロナ抗体を作る?何じゃそれはと不思議なままワクチンを接種した人が大半だろう。抗体の多様性、つまり生まれた時に持っていた抗体遺伝子が、その後C、V、J、Dなどの抗体遺伝子としてさまざまな細菌などの抗原に合わせた抗体タンパク質を生産する。その道を開いたのが利根川進だったわけだ。分子生物学の発展がなければコロナにも立ち向かえなかったということがよく理解できる。(87冊目)

梟の城

竜馬がゆく、坂の上の雲、胡蝶の夢、播磨灘物語その他若い頃に読んで以来の司馬遼太郎だった。歴史の隘路というか傍流である忍者の目線から戦国期を捉えたものは司馬作品の中でも異色だろう。独特のかな漢字混じりの文体と豊富な漢語表現力にあらためて畏怖させられて、なんども立ち止まって味わった650ページの大部であった。(86冊目)

腹は出たが、腹は立たない。

買い物に行って何気なく店の中の姿見などに映った老人に気がつくことがある。横から見た姿だけに、なんだえらく腹が出ている老人だなと嘆息すると自分だ。会社勤めしていた頃はこんなじゃなかったのにと悔しいが、腹が出たわりに近頃ではまったく腹を立てたことがない。腹を立てないのではなく、腹の立つことが皆無なのだ。そんな自分がなんともかわいい。

龍は眠る

スティーブン・キングといえば「ショーシャンクの空」「スタンド・バイ・ミー」「グリーンマイル」の原作者だが、エピグラムに彼の出世作「キャリー」に著された架空の書名を引用したのをみても作者の意欲が伝わる力作だ。モダンホラーともいえなくもないが、映像化にも充分耐えられる構想と展開だろう。(85冊目)

僕の名前を知ってるかい?

今日は平日だと紙面で取り上げながら新聞は休刊だ。一般の月一回土曜休日が始まったのが1992年、新聞休刊も1991年ごろから歩調を合わせた。配達員の負担軽減と輪転機のメンテナンスが今なお名目らしい。配達手段の多様化や印刷のデジタル化は棚上げで、四半世紀も古い慣習を守っている。金額じゃなく通知額を間違えただけの年金機構を批判する資格があるとは思えない。

メルカる

学生時代に使っていたエレキベースをはじめてメルカリに出品してみた。なにせ40年前の楽器なのでお勧め価格の最低ライン18,000円で出したところ、あっという間に買い手がついた。梱包、発送手順も勝手がわからず細君に手伝ってもらったが、最低金額から始めるとは基本が分かっていないとダメ出しされた。彼女に言わせればメルカるとは断捨離ではなく終活だそうだ。

寛容ナショー

眞鍋かおりさんに悪いことをしたかもしれない。彼女が東野と佐々木アナのあいだ正面カメラの位置に座らされ、同じ女性の同意が欲しそうにたびたび見なくてもいい佐々木アナを見ながらコメントしていたのが気になった。無駄だと思いながらも松本の隣に変えたらとフジテレビに意見を送ったら、翌週その通りになった。視聴者の意見にワイドなショーだ。

妻にうどんを打って出せなくなったウドん鈴木

楽しみにしていたのに、町の公民館でのそば・うどん教室は応募者不足で中止とあいなった。たった10人の参加者募集で集まらないのだから、日本のうどん文化の行く末が案じられる。こうなったら麺打ちセット8,500円でも買って自宅で挑戦してみるか。はたしてウドん鈴木のこしらえたうどんを細君は喜んで食べてくれるだろうか。

知の旅は終わらない

文学とは最初に表に見えたものが裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくる世界。ある正義の尺度を持つ者にとっては喜ぶべき処刑が、他の正義の尺度を持つ者には吐き気がするほど恐ろしい。30,000冊の本を読んだこの人でなければ語れない真実だ。月間13冊を50冊にしても追いつけるかどうか。実体験を伴わない読書しかできない自分がちょっと悲しい。(84冊目)

舟を編む

本屋大賞受賞作の選考基準に異を唱えるつもりはないが、映画化やドラマ化を想定したような読者に日和った作品に出会うとがっかりする。ブックオフの蔵書といえばミステリーか刑事物ばかりだし、時代物は上下はあっても中が脱落していたりする。文体、構成、伏線のすべてに力量不足を感じさせる現代作家が多いが、本作もその例に漏れない。(83冊目)

イーヨンケイマックス

プラレールが最初に言えた言葉である2歳のマゴ。ママが言うにはマゴのお気に入りはE4系Maxという上越新幹線らしいのだが、10月1日にまさかのラストランでプラレールが手に入らないという。ジージとしてはなんとしても手に入れマゴを喜ばせたい。いろいろ調べてなんとかゲット。「ありがとう」を2回も繰り返したマゴがなんともはやかわいい。

マイナンバーカルテ

健康保険証がマイナンバーカードに統合されることになってやっと登録することができた。本来は3月にはできるはずだったのに、システム不備で延期になった代物だ。次回からは病院や薬局で使えるかというと、システム対応していないところでは使えない。お薬手帳が不要になったり、確定申告が楽になったりするくらいのメリットしかないが、そのうちカルテも共有されるようになれば先生方も楽になるんだろう。

スプーン2杯のしあわせ

ほんとうはハーゲンダッツが好みなのだが、価格優位で細君はスーパーカップを選択する。桃のタルトをひとりで食べ美味かったと感想を伝えた際に、なんでひと口でも残してくれないのかと詰め寄られたのでバナナチョコチップではスプーンをふたつ用意した。ふたりに一個づつ買えばいいじゃないかとも思うのだが、ひとりでは食べきれないでしょというのが彼女の理屈だ。果たしてそれだけの理由だろうか。

絶滅危惧種

固定電話にかかってくる相手といったら、90歳になる老母の数少ない知り合いか得体の知れない電話セールスくらいだ。いちいち丁寧に先方の用件を聞いてから断っている細君が気の毒になり、通話拒否機能のある電話機に交換することにした。エディオンに行ってみると、固定電話機を作っているメーカーはパナソニックとシャープの2社だけらしい。近いうちに絶滅するんだろうな。

深重の海

捕鯨に関する専門用語と大地町の方言で埋め尽くされた第一章から読了の自信が揺らぐが、次章以降で物語に引き込まれ圧倒される。タイトル通りなんと救いのない深重の物語だろう。亡父と同じ年に生まれたこの作者の見識に敬服するばかりだ。「酔鯨」を愛飲する小生だが、土佐に行く前に南紀大地町へ行って鯨が泳いだ海原を遠望してみたくなる。9月も結局13作品読んでしまった。(82冊目)