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6月, 2022の投稿を表示しています

孤鷹の天

とうとう今月は18冊も読んでしまった。初めての作家だが例のサライの勧めで手に取った600頁の大部。舞台は聖武天皇の孫世代が争う奈良の都。スケールが大きすぎて読み進めるのに戸惑いがちだが、前半を過ぎる頃から止まらなくなる。最後に長岡京、平安京へと遷都を果たした重要人物の来歴も判明して成程と頷けるいい作品だ。(202/1000)

阿蘭陀西鶴

読み初めはうーんと思えるのに、読み進めるや読者を惹きつけて離さない独特の文体(と言っても作者出身の関西弁だが)の心地よさと相まって、あの西鶴と盲目の娘との暖かい心の遣り取りが涙を誘う。文学とはかくあるべしと西鶴に作者が語らせているのではあるまいかと思える。また一人いい作家に出会えたという喜びに浸れる。(201/1000)

区切りの200冊目は中学時代の担任教師の娘の作品となった。娘よりはほっそりとした美人だったが、教師としての威厳と規律に頑なな先生だった。自分にしか関心がなく被害者意識でしか家族に接することのできない我が母と、作者が母として憎んだ先生とが皮肉にも重なる。価値観や人生はそれぞれ異なっていいのに、偏狭な視野を排除できない無力は悲しい。(200/1000)

小さい予言者

重松清の「とんび」もよかったが、これは今年一番の収穫かもしれない。泣かされること間違いなし。稚内港北防波堤、小さい予言者の2編はあの世へ逝く前にぜひ読んでほしい。音楽演奏で曲によるBPM(テンポ)の違いに苦労するが、同じ拍子を強制される戦時下や現代社会では、拍の違いこそ貴重なのだと気づかさせてくれる。(199/1000)

作戦名「キッチンカー」

市当局や警察の許可を取り付けてようやく開催準備に漕ぎ着けた広場の音楽会。開催案内を受け取った知人から「キッチンカーは出ないんですか?」と素朴な疑問が寄せられて、この上またやり直しは御免だなと思いながらも地元の業者にTwitterで打診してみた。豈図らんや業者は先約を変更してまで来てくれるという。結果はどうあれもう一肌脱ぐか。

生でいかせて

田中屋の生せんべいが無性に食べたくなる時がある。なぜだかあのソフトな歯応えと甘さが心地よい。時たまスーパーの片隅で売られているのを見かけたりするのだが、そういう時にはつい見過ごしてしまって、食べたくなって探すとどこの店にも売っていない。手に入らないとなると一層食したくなる性は歳を取っても厄介なものだ。

楡の墓

三部作の第二作目だ。同じく明治初期の北海道を舞台に5つの物語が語られる。とりわけ最後のクラーク博士の逸話は胸を打つ。教育とは何なのか、目先の優劣や利害に囚われてしまうことの凡愚さを改めて省みるきっかけになるだろう。浮穴みみとは恐ろしい作家だ。(198/1000)

高瀬庄左衛門御留書

最新作となれば文体も構成も研ぎ澄まされており脱帽のほかない。御留書という地味なタイトルでは勿体無いほどの感動作と言って過言でない。齢を重ねた読者なら主人公の心持ちが自然と寄り添ってくる。こういう本に出会えるから読書はやめられない。(197/1000)

いのちがけ

これがデビュー作だそうだ。いきなりこんな泣ける作品を世に出されては時代小説愛読家も形なしだ。徒に時間軸に沿って事実を追わず、要所要所でこの忠義者の村井長頼を関わらせる手腕が巧みだ。加賀百万石の礎という副題がぴったりだと思えるのは、現代の多くの企業戦士に主人公のような気骨が不足していることが嘆かわしいからだろう。(196/1000)

万事オーライ

別府亀の井ホテルの創業者油屋熊八の波瀾万丈の生涯だ。明治末期から昭和初頭にかけて、今日の別府温泉、由布院の礎を築いた人の一生は実に豊かだ。バスガイドを発案して「発車オーライ」を言わせたのも、宮本四郎を発掘して東洋軒から「とり天」を名物にしたのも彼だった。てっきり男性かと思っていたら、三十里は「みどり」という女性作家だったのがまた面白い。(195/1000)

梅もどき

本多正信といえば家康の謀臣が代名詞だが、子の正純については知る機会がなかった。お梅という家康から下賜された妾女を通して彼の潔白一徹さがよく理解できる。伊勢にある梅香寺がお梅の建立に拠るものだそうなので、いつか訪れてみたくなる。正純が辞世に「梅もどき」を詠んだのも彼女への想いが伝わるようだ。(194/1000)

お店の音楽会

まだ半年も経っていないのに今からクリスマスの準備かよと呆れられそうだが、年末に「お店の音楽会」を開催する該当店に応諾を得て細かい打ち合わせを済ませた。ゴルフ場のグリーンが望めて夕景が次第に迫る絶好のシチュエーションで家族や友人と早めのディナーを摂りながら音楽に耳を傾ける。いい年末、Xmasにしたいものだ。

他山の石を集める

道路占用許可は16営業日かかるところを半分の8日で承認がおりた。その足で所轄警察署に出向き22日には使用許可がいただけるそうだ。この町に音楽の文化を花開かせるのもなかなか容易でない。千葉県柏市の先進例を見ると、始めは登録制だ、アンプはダメだと細かい規制があったのが、最近では街角ライブとして規制も緩やかになり活性化しているようだ。当事者とコンタクトをとって情報収集してみよう。

出絞と花かんざし

佐伯泰英だから当然といえば当然だが、これは出色の一作に違いあるまい。萬吉とかえでの世に出る物語が躍動感をたぎらせて伝わってくる。逆境や不遇に苛まれる場面がないことが物足りないという読者でも、ここまで直球勝負されれば納得だろう。水戸黄門が大好きな人ならお勧めだ。(193/1000)

80歳の壁

妹と外出中に突然両足が痺れて歩けないと訴えた90歳の母を救急外来に運んだ際に、読んだという妹に借りた。80歳の壁はとうに超えた母よりも、われわれ兄妹が迎えている60歳の壁に有益な書籍だろう。やりたくないこと、嫌なことはしない。健康診断の数値に縛られず薬に頼るな。結局なんともなかった母を見るにつけなるほどその通りだと思えるのだった。(192/1000)

潮待ちの宿

大鳥圭介の生涯を辿った「死んでたまるか」の際には、さほどこの作家を凄いと思わなかった。サライの「時代小説は生涯の友」特別号で取り上げられていたので読んでみた。人情ものとして読むなら確かにお勧めの一作だ。若き日の河井継之助も登場すれば、悲運の長州藩士も扱われ、あっという間に読み終える爽快感がたまらない。(191/1000)

鳳凰の船

人情ものの歴史小説にはやはり心を潤わせるものがある。日常的な他人との交遊が疎になり乾いた心の大地を慈雨のように湿らせてくれる。「楡の墓」「小さい予言者」とこの後続く三部作だそうだが、初めて手にしたこの作者の語り手としてのスタンスが和やかだ。函館を舞台にした5編に彼の地への憧憬が掻き立てられる。(190/1000)

路上ライブの壁

来月の路上ライブ実施に必要な道路占用許可がなかなか降りないので、市の担当部局に問い合わせたところ許可迄16日かかるという。書類が各部局に回るからというのがその理由だそうだが、当市だけのことかと思ったら県のホームページにははっきり16日と記載されている。せっかくの市民のコミュニティの場が提供されていても手続きがこんなに面倒ではなかなか利用者も少なかろう。

ある男

蛻にいかに響くか蝉の声 最終盤に主要人物の息子が読んだ句が象徴的だ。結婚した相手が戸籍交換によって、過去の忌まわしい自分の歴史を清算して再出発しようとする。まるで蝉の 蛻(ぬけがら)のように。変身と存在、過去と未来の愛の形、様々な問題提起を与えてくれる一冊だ。映画「マチネの終わりに」がこの人の作だとは驚きだった。 (189/1000)

紫陽花の花

駅前広場で路上ライブをするから「広場の音楽会」と名づけた。年末には市内の飲食店を借り切ってライブをやりたいとオファーしており、オーナーから承諾が得られれば「お店の音楽会」と銘打つつもりだ。「森の音楽会」と合わせて3大音楽会となる。当市に音楽文化のがく片を点在させたら、他の愛好家と連携して紫陽花のように無数の花が咲くといい。

泣き童子

おちかさんの聞き手版をとうとう手に取ってみた。艶があってやはりよい。怪談話が法話に聞こえる「小雪舞う日の怪談語り」などは秀逸だ。三島屋は百の怪談物語を集めるのだが、小生は雑駁な小説の類を千集めているようなものか。集め続けて心が穏やかになるのを期待したいものだ。(188/1000)

広場の音楽会への道

ようやく駅前広場での路上ライブの許可がおりたのはよかったが、なにせステージ周りに電源がない。あっても使わせてもらえない。困り果てて仕方なく乾電池で動くギターアンプ を新古品だが買い、早速弾き語りを試してみた。これがまたなんとも快適で練習に身が入る。これでギターもマイクもカバーでき、先々も様々な用途に重宝しそうなので安くない買い物だが一歩前進だ。

日本酒大学 理事長会見

瓶ビール大瓶633mlは633なだけに「大人の義務教育」だそうだ。高校は義務教育じゃないだろというつっこみはさておき、義務教育を卒業すると小生のように7種類の清酒を1合づつ7合も飲む隠居生活も手に入る。飲める人、飲めない人、飲み方の違う人、飲み方も様々なように義務教育の過ごし方もそれぞれだ。清濁合わせ飲んで知る境地だ。

レコードのアナ

案の定アナログレコードが懐かしくなり、約100枚所蔵するレコードを押入れから引っ張り出してみた。聴くにはプレーヤーを買えばいいのだが、それをデジタル変換してスマホに取り込もうとすると、変換ソフトは最新のスマホに適合していない。オーディオインターフェースとDAWを駆使すればなんとかできそうで、両方とも所有しているのになぜかやる気が起こらない。なかなか厄介な話だ。

黒武御神火御殿

三島屋変調百物語七之続も面白かったが、600ページに及ぶ六之続も四話だが実に面白い。特に表題の第四話は一番長いが、まるで芝居を見せられているかのような造作だ。シリーズものは回避が原則だが、こうなると聞き手が先代の「おちか」の話も読んでみたくなる。(187/1000)

ミキシングへの道 第一歩

先日の野外コンサートでベテランミュージシャンから教えてもらったように、ステージ上で楽器だけを集中させるコンパクトミキサーを買った。親切な取説を読んでもミキシングの専門用語が並んでいて理解できないところがある。ダメ元でメーカーに電話すると意外にも丁寧に教えてくれた。音楽でつながっている知恵や技術というものは利潤追求だけの企業倫理を凌駕しているもののようだ。

夜明けのすべて

前作もそうだったが、淡々と叙述されるのだが心になにかを残してくれる一冊だ。強度の月経前症候群とパニック障害に苦しむ男女の日々が綴られるだけなのだが、罹患したことのない人には容易に理解されない苦しみや立ち向かい方がよく理解できる。人はみな同じ価値観、生きる重荷を背負っているのではないと痛感する。(186/1000)

65歳の君に何ができるか

この街に生まれて育って、なにか地域のために恩返しできないかと思考を巡らせる。毎年5月に森の音楽会を開催する。年末には飲食店を借り切ってプライベートコンサートを企画する。駅前のロータリーで路上ライブに挑む。地道で小規模な取り組みの輪を広げていけば、「音楽都市」を標榜できないだろうか。

雪見酒

シリーズものは読みだすとキリがないからと、とりわけ佐伯泰英は避けてきたのだが。貸出回数上位なのと、タイトルに「酒」がついては避けられない。しかも主人公は「酔いどれ小藤次」だ。酒好きの小生が居酒屋の前を素通りするようなものだ。予想通り読後感は酔ったような塩梅で、当然もう一杯重ねることになろう。(185/1000)

めぐり逢い

こんな美しい調べがあったんですね。「そして、バトンは渡された」の中で主人公が弾くピアノ曲として知ることになったのだが、作曲家のアンドレ•ギャニオンは2年前に84歳で亡くなっている。こういう音楽にほんとうに癒される。たまには静かに耳を傾けるのもいいものだ。