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7月, 2023の投稿を表示しています

宇宙人と出会う前に読む本

宇宙のことを体系的に学ぼうとするにはちょうどよい入門書かもしれない。銀河系を含む宇宙全体の7割を占めるダークマターの存在がまだ何もわかっていないとか、素数のみを使った数学さえ未知の世界だとか。プラス1もマイナス1も足せば0になる真空でさえ、プラスとマイナスの1という存在があるという。存在があれば非存在も考えたくなる。(342/1000)

あま〜い

高校時代の同級生と昼飲み。還暦を過ぎてそれなりに分別を弁えているはずなのに、酔いに任せて青春時代に戻って無礼講だ。危うく喧嘩沙汰になりそうな輩を双方宥めるのも骨が折れる。2次会でこんな甘いものを口にしたくなるのも当然か。

盆踊り

コロナで休止だった町内盆踊りが漸く再開された。町内にこんなにも人が居たのかと疑いたくなるくらいの人出で賑わい、泊まりに来ていた我が家の孫たちも夜店に並んだ。酷暑でもこういう日常がやはりありがたい。

暑中見舞

孫自慢は禁句だが、小学校4年生の彼女からこんな手紙をもらってはご披露したくなる。盆踊りの状況を立体工作する発想はなかなかどうして賞賛ものだ。「大好き」「いつもありがとう」「長生きしてね」など泣かせる文句が散りばめられていて、これは一生の宝物だ。

湯婆婆と湯爺爺

今日から3日孫たちがお泊まりだ。初日はそれぞれの母親も一緒にジブリパークへ行ったのだが、館内を一歩出ると茹だるような暑さだ。そんな中、湯婆婆の指輪を買い求めてご満悦の細君。孫たちを風呂に入れてのぼせた夫は差し詰め湯爺爺か。

縁たけなわ

半年に一回恒例になりつつある倅主催の焼肉宴会。麻雀、人間ドック、再開発事業と話題は進んで宴たけなわとなった頃、倅から実は結婚したい相手がいるとまさかの宣言。30歳も過ぎてそろそろ身を固めてほしいと思っていただけに、成否に若干の不安はあるもののうれしい知らせだ。超えるべき山はあるようだが、決め手も縁次第ということか。

義貞の旗

楠木正成だ、新田義貞だといった歴史上の人物を詳しく知る機会は意外に少ない。後醍醐天皇、建武の新政、足利尊氏ほどに歴史の表舞台に立つこととは距離を置かされてきた所以だろう。南北朝に別れた一方の帝側すれば朝敵とみなされても仕方ない。義貞の爽やかな生き様が描かれていて、楽しませてくれる。(341/1000)

冷酒と年寄りの小言

参加者にビンゴゲームを応用して、再開発に必要なアイテムを書き出してもらったものを翌日集計して公開した。当日の発表では具体性に乏しいとか批判もあったが、生産的なプレゼンという点では文句はあるまい。発表時より事後に何かを産み出すという当初の狙いをあとでわかってもらえるのがこのプレゼンの味噌だったわけだ。

宴のあと

あれこれ準備に頭を悩ませたが、無事プレゼンを終えることができた。午後は市内の大型商業施設のここへ移動してみんなで懇親会だ。年代も性別もバラバラのメンバーが集まって、めいめい好き勝手なお喋りをしたのだが、なんとなくそんな無駄な時間を楽しく感じられた自分を発見して驚いている。

吉原御免状

死ぬことと見つけたり、があまりにも強烈だったせいで全集第一巻を読んでみる気になったが、これは影武者徳川家康と死ぬこととを合わせたような作品で、なんとも詰まらない作品に出来上がったものだ。吉原の成立ちを微に入り細に入り知ったところで、それが何を教えてくれたのか甚だ疑問と言わざるを得ない。(340/1000)

tomorrowこし

設楽町のトウモロコシが美味しい。毎年この時期になると1時間半かけて道の駅まで車を飛ばす。20本以上買い求めて、折角だから遠くない距離にある先祖の菩提寺まで足を伸ばす。その足で茶臼山までドライブすると、そこは気温23℃の別世界だ。こういう今日を明日も送れるといい。

目には見えないもの

社主のお別れの会に赴くと、奇しくも新入社員時代にお世話になった研修所の方や初めて仕えた上司に出会った。目には見えない何かが働いているとしか思えない。翌日先祖の出身地まで食材の買い出しに行って菩提寺に立ち寄り線香を手向けたくなったのもそういうことからきたのかもしれない。目には見えないものの大切さを感じる昨今である。

真夏のゴルフ

朝7時スタート。すでに暑い。午前中スループレーとはいえ果たして最後までいけるかと不安が頭を擡げる。持参したペットボトル2本も飲み尽くし、最終4ホール前まできたところでなんだかボーッとしてきた。これはもしかするとヤバいかもしれないぞと最後の2ホールは棄権してカートで乗り過ごした。無事帰宅できたのが不思議なくらいだった。

社会実験

さて、今度の日曜日にプレゼンが終わると次は社会実験に移行するようだ。そこでいち早く地元のイトーヨーカドーへ行って、店内に設けられたシアタールームを使わせてもらえないかサービスカウンターに申し出た。するとマネージャーが飛んできて大歓迎の意向を示してくれた。われわれのバンドだけでなく、他の活動をする団体にも呼びかけなんとか実現したいものだ。

ホントーーク

蛍ちゃんに万一聞かれることがあったらこう答えよう。3年半で読んだ本339冊について統計を取ってみた。作家別では第一位が葉室麟17冊、以下西條奈加15冊、池波正太郎14冊、朝井まかて11冊、安部龍太郎9冊、上田秀人8冊、門井慶喜・藤沢周平6冊、山本一力5冊といったところで計91冊だ。

クスノキの番人

殺人事件が絡むミステリーかと思えばさにあらず。人気作家だけにとどまらない作者の実力をまざまざと見せつけられる作品だ。クスノキの番人という役割を通して亡くなった人や先人の想いをどう後世に伝えていくかというテーマを突き詰める。反面、現世に生きる者が過去を忘れてしまうことへの尊崇も見逃されない。物語を通して思弁を明らかにするとはこういうことかと感服する。(339/1000)

死ぬことと見つけり (上)(下)

葉隠とすぐにわかる書名だけに手に取るのに若干の躊躇いはあったが、読み始めれば斯くもエンターテイメントに満ちた物語とはと驚く。毎日死の予行演習を課してその日を生きる杢之助のスケールと佐賀藩における様々な騒動とが織り重なって息をもつかせない。こんな面白い本に出会ったことに感謝するだけに、作者の逝去により未完に終わったことが悔しい。(338/1000)

朝の霧

長宗我部元親が酷薄無情の人物として描かれる一方、主人公の波川玄蕃は不遇、逆境の武将として取り上げられる。歴史とは捉え方でこうも異なるものかと思わざるを得ない。男の妬心、疑心暗鬼という現代も変わらぬ人間の本質に迫る作品といえよう。(337/1000)

記憶の海

これだけたくさん本を読んでいると、すでに読んだものかどうかわからなくなる。図書館でタイトルに惹かれて手に取って、一応当欄で検索してみると同じ本を選んでいる。同じ映画を何度観ても感動するのと同様、つまりは記憶力のなさ故かもしれない。喜ぶべきか悲しむべきか、記憶の海をを漂う小瓶のような鑑賞能力である。

いかだ満月

あかね空、以来かもしれない。江戸庶民物というと西條奈加などが真っ先に浮かぶが、なかなかどうしてこの人の作品にも泣かされる。鼠小僧次郎吉の話かと思いきや、その遺児と妻の健気で真摯な生き方に次郎吉の生き様が重なってくる見事な展開だ。あの時代がつくづく羨ましくなる。(336/1000)

獅子

全12巻の真田太平記よりも前に上梓されたものらしい。93歳の真田信之がいかにして時の老中酒井忠清と家督相続をめぐって暗闘を繰り広げ打ち勝ったかを描く。その信之という人物がいかにして生まれたかを突き詰めたのが太平記だったそうだから、然もありなんと思える出来栄えだ。老年を迎えて斯くありたいと読者に響く一冊だ。(335/1000)

流転の中将

尾張の徳川義勝、会津の松平容保と兄弟の桑名藩主松平定敬(さだあき)が辿った流転の幕末の日々だ。北海道から上海まで渡った挙句、最後は日光東照宮第八代宮司として生涯を終えたという。波乱に満ちた生き様に胸が熱くなる。(334/1000)

音楽の力

婿さんからなんともうれしい誕生日プレゼントだ。学生時代に買ったアルバムは昨年直接本人に書いてもらい、最新CDはサイン入りで贈ってもらうとは思いがけない宝物だ。長生きしていてよかったなと思うのはこういう瞬間なんだろう。音楽の力を改めて感じる。

次の一手

近頃、いろんなイベントを企画したり、再開発事業に提言したりと活動の幅を広げる中で、どうもこれは違うなと思うことが多い。ただ演奏者を集めてイベントを終わらせるだけでいいのか、隣人のさまざまな声に耳を傾けるだけでいいのか。なにかもっと違うアプローチや工夫があってもいいのではないか。あれこれ考えるのがまた楽しいのかもしれない。

オペラ座の怪人

現役引退してバンド活動以外で人前でプレゼンするとはなんとも刺激的だ。観衆は役人二人と老齢の理事ひとり。頭の硬い相手に型破りな手法が果たして通じるのかドキドキハラハラだったが、一応の手応えを持って終わることができた。ステージでする演奏もそうだが、こんなこともできるのかと新しい自分を発見する思いだ。

平蔵の母

池波正太郎の鬼平犯科帳を超える平蔵ものはないと決めつけられなくなる。表題作をはじめ6編の火付盗賊改にまつわる物語はじんと答える内容ばかりだ。この作者にこんな力があったのか、池波を受け継ぐのはこの人なんだなと思わせてくれる作品だ。(333/1000)

役所のいごこち

まさかとは思ったが、23日のプレゼン本番前に当局の事前チェックがあるとは予想外だった。ありきたりなパワポ発表ではたいした果実も得られまいと考えた末の手法も、前例踏襲の役人の硬直化した思考回路にはすんなり馴染まないのだろう。明日はひとり役所に乗り込んで、単独公演を大いに楽しんでくるとするか。

李下に冠を正さず

細君と山梨県までバス旅行に行って来た。目的地は桃園で桃狩りをするのだが、車中閉口させられたのは周囲に座る女性たちのお喋りだ。出発してから解散するまでずうっと喋りっぱなしだ。よくもまあ話題がつかないものだと感心したくなるのだが、同性の細君でさえ呆れていた。最後まで我慢していたのは武士の情けというものだろう。

渋江抽斎

鷗外の博覧強記、博渉ぶりに頭が下がる作品だ。前読「灯台からの響き」の主人公が愛読したので手に取ったのだが、渋江抽斎その人の生い立ちから事績、病没までにとどまらず、その交友関係者から子孫の最後に至るまで詳細かつ丹念に調べ上げる。驚くべき調査能力と言わざるを得ない。これは小説なんだろうか。(332/1000)

LINEアウト

名古屋市内まで飲みに行った帰りに細君に駅まで迎えに来てねとLINEしたが通じなかったことがあった。どうやらLINEの通知がひと月ほど前から表示されなくなったそうだ。LINEのヘルプに問い合わせメールを送っても、Appleのせいじゃないかと当事者意識ゼロだ。その点Appleは電話対応でいろいろ試行してくれたが原因不明だ。LINEの公式アプリのアップグレードを待つしかないようだ。

灯台からの響き

ちょうど自分と同年代の中華そば屋の主人が、亡き妻の過去を訊ねて再出発を果たす物語だ。昼間はなんの役にも立たず、夜闇の海で光を発する存在それ自体で航路を指し示してくれる灯台。まさにそれが亡くなった妻の存在ではないか。晩年を迎えた男の生き方ではないか。自分を支えてくれる友人たちの姿ではないか。そんな思いを抱かせてくれる一冊だ。(331/1000)