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12月, 2021の投稿を表示しています

やさしさに回帰するとき

やさしさは見つかったろうか?組織から離れひとり 読書漬けの日々を送って、人間関係は極端に矮小化した。孤独な老人の手慰みといえば、ちっとも上達しないギターくらいのものだ。弾いている時間は少年時代の自分に戻っている気がするのが続けられる理由だ。やさしい自分に出会えることは幸福だ。来年もよい年でありますように。

年間ブックレビュー

本格的に読み始めたのは4月からだが、今年一年92冊の本を読んだ。硬い本から柔らかい本までよくも読んだものだ。 推し、燃ゆ 火の鳥 大地編 時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 鬼神の如く 蒼天見ゆ 墨龍賦 霖雨 川あかり 散り椿 秋月記 影ぞ恋しき 花や散るらん いのちなりけり 無常ということ 考えるヒント 安いニッポン 徳川慶喜 みなかみ紀行 右大臣実朝 失敗の本質 柳生宗矩 これでおしまい 勝海舟 時雨のあと 春秋山伏記 剣客商売 勝負 難題が飛び込む男 土光敏夫 風林火山 1Q84 優駿 ノルウェイの森 グレート・ギャッツビー 樅の木は残った 車輪の下 ロング・グッドバイ 郵便配達は二度ベルを鳴らす マルタの鷹 さらば甘き口づけ ドナウの旅人 春風伝 それまでの明日 流星ワゴン 落日燃ゆ 最後の記憶 あかね空 栄花物語 芙蓉の人 アルジャーノンに花束を 解夏 日付変更線 深重の海 舟を編む 知の旅は終わらない 龍は眠る 梟の城 精神と物資 無私の日本人 スタンド・バイ・ミー 一分ノ一 親鸞 渋沢栄一伝 襲来 死んでたまるか ポーツマスの旗 草薙の剣 大阪のお母さん 永すぎた春 山の音 雪国 飢餓海峡 あはれからもののあはれへ 奇縁まんだら 朱を奪うもの 恩讐の彼方に 人新世の資本論 宴のあと 銀の匙 夏の砦 まぼろしの維新 光秀の定理 愛するということ 吉良の言い分 北条政子 文字渦 武士マチムラ 漂流 スピリチュアルズ 日本史の謎は地形で解ける さぶ 一汁一菜でよいという提案 風神雷神

スマウォでカウントダウン

まさか自分がスーパージェッターになれるとは思いもよらなかった。2月から2ヶ月半、昨年一年お世話になった職場にお手伝いに行くことになったため、腕時計がいるじゃないかとスマートウォッチを買い求めた。スマホの音楽も聴けるし届いたメッセージも確認できる。なんといっても腕時計に向かって電話の受発信ができるのがスーパーでジェッターだ。長生きはしたいものだ。

風神雷神 (上)(下)

葉室麟の墨龍賦では海北友松ついて知ることができたが、風神雷神図屏風を描いた俵屋宗達の生涯を知ることができる。海北の雲龍図も宗達の屏風も建仁寺所蔵というのも繋がっていておもしろい。天才という者にしか聞こえない風や音(雷)というものがあるのだろうと素直に受け入れることができる。建仁寺再訪は来年かな。(122冊目)

回線問屋の悪あるじ

まったくほとほと疲れ果てました。事前に何度も配信テストしたのに、いざ本番になってインターネット回線が切断してYouTube配信できなくなるとは。防音部屋に入ると切断するということは、Free Wi-Fiの電波が遮蔽されるほど微弱なのかもしれない。ではスマホでデザリング接続もできないのはなぜなのか。いろいろあっても楽しいXmasコンサートだったわい。

せんべいと機関銃

手土産にする煎餅の会計をしに細君がレジ窓口まで行っている間、ショーウィンドウの前で買い物カートの番をしていると、いつの間にやら次から次へと中年のおばさんたちに取り囲まれた。どおやら私越しの商品が気になるのか、店員を捕まえて機関銃のように喚いている。幸い細君が戻ってきてその場を立ち退くと、おばさんたちもいっせいに散ったのは一体なんだったんだろう。

サンタクロースの約束2021

昨年は緊急事態宣言のせいで中止となった発達障害幼児保育園でのサンタ訪問、2年ぶりの実現となった。さすがに3回目ともなれば子供たちやママたちの姿を見て泣くこともなく、ギターを触りにきたり、不思議そうに歩き回る子などとも友達のように接することができるようになった。ひとりひとりにプレゼントを渡しながら来年も来るよと約束したのだった。

一汁一菜でよいという提案

そういえばちょっと前に小学生のマゴから電話がかかってきて、学校の宿題で「じーじが子供の頃の晩ごはんのおかずは何だった?」と聞かれたことがあった。はて?思い起こしてみてもなかなか浮かばない。やっと出てきたのは焼き魚だった。筆者と同じ昭和32年生まれのわれわれには一汁一菜が当たり前だったのだ。飽食の時代に育った人にはきっとピンとこない本だろう。(121冊目)

ハートランド

やはり本物はすごい。細君の大好きな福山雅治のコンサートに行ってきたが、井上鑑(key)今剛(eg)高水健司(b)金原千恵子(vi)など錚々たる顔ぶれ。福山の声にも圧倒されるが、音の厚みに酔いしれた。圧巻は照明だ。なんでこんなことができるのと言いたくなるような技術力に言葉も出ない。電子チケットにココアの自動入力、歓声の代わりに拍手と手拍子だったがライブの深化を見た。

さぶ

代表作と言われるだけのことはある。『お前か気づかず、また興味がないにしても、この風には秋の爽やかな味がするし、木犀の花の香が匂っている』と登場人物に語らせた一文が全編を通じて流れる人生の味わい方なのだろう。「さぶ」は主人公ではなくずっと脇役なのだが彼抜きには成立しないところが作者の名人芸だ。(120冊目)

日本史の謎は地形で解ける

養老孟司も推薦しているから面白そうだと期待したが、地形という下部構造から読み解いた日本史はやや根拠に乏しく決めつけが多い。18章の各章も重複部分が散見され苦痛さえ覚える。理系官僚というのは専門バカになる典型かと思うと、我が国のコロナ対策が機能しないのも頷ける。(119冊目)

赤鼻のトナカイ

妻が癌にかかり4歳の娘から「なぜ私のお母さんは病院にいるのか」と問われて作られた詩だそうだ。それぞれ発育状況に差がある孫たちのことや、可憐な芸能人の訃報に戸惑ったりするが、普通と違うことに絶望しがちな暗闇のようだ。今週のクリスマスイブ、発達障害を抱える幼児たちに母親と歌って聴かせるこの歌が闇を少しでも照らしてくれるだろうか。

スピリチュアルズ

知人からお借りして読ませていただいた。人間の持つパーソナリティを8つに分解して、それぞれがどんな役割や機能を果たすのかをやさしく解説してくれる。長年仕事で理性、論理を司る左脳を使ってきたが、感情、言語を司る右脳を使って余生を楽しむ上であらためて自分自身を確認できるだろう。(118冊目)

四葉のフォロワー

このブログもいよいよ丸2年を迎えた。1日も欠かさずよく続いたものだ。このところブックレビューみたいになっているのが汗顔の至りだが、世情を高みの見物しながら放言するよりましだろう。ブログ以外にもインスタもやっているが、こちらはフォロワーが4人となんとも地味だがこれがまた楽しい。いつも幸せをいただいている皆さまにこの場を借りて感謝申し上げたい。

漂流

新聞記者というものはよくもまあこんなに事実を積み重ねて文章化することに飽きないものかと感心する。およそ700頁に及ぶこのノンフィクションも漂流事件そのものより、沖縄佐良浜に住んできた漁師の歴史を辿ることに費やされている。こんなに苦労して読んだわりには感動がないのは新聞的な取材性のせいだろう。(117冊目)

営業だもの

加入している生保の女の子から水曜日の10時半にカレンダーを持って行きたいと電話があった。ポストにでも投函しておいてと言ったが予め電話した上でその日に来ると言うので待っていたが電話も訪問もない。こちらから電話すると応答なく、「身内の体調が悪くなり行けなくなった」とショートメッセージ。おいおい、子供が熱を出してもそれをするなら約束時間前でしょ。営業はだれのためにするんだろうね。

今年の感じ悪い

今年の漢字が決まったそうな。この漢字を見てあらためて反省している人がいるだろうな。別段その人に同情するわけではないが、この人がこの漢字を書いた色紙を手にするといかにも感じが悪いのは気のせいだろうか。パネル好きなのはわかるが、万一居酒屋でこの人に会ったら感じ悪いよと言ってあげたい。

たばこ屋のおばあちゃん

クリスマスシーズンなのに人気商品の在庫がない。量販店に聞くとないない取り寄せもしないとにべもない。アイコスタバコですら対象商品がなければありませーんのひとことだ。いったいこの国の在庫管理はどうなっているのやら。常に在庫チェックをして売れ筋は予め積み増ししてきたはずなのに。在庫がない、売り切れを恥だと思わなくなった商法に賃上げ政策は空しく響く。

サムサムがクー

サムギョプサルとはサムが三、ギョプが層、サルが肉の意味だそうで、三段の豚バラ肉から三段バラなんて呼ぶ店もあるとか。忘年会肉肉コースでみんなと食べたのだが、顎が疲れるのなんの。噛んでも噛んでも噛みきれない。韓国語で123456789はイル、イー、サム、サー、オー、ユッ、チル、パル、クーだそうだが、噛む回数からしたら間違いなくクーギョプサルだ。

長い良川鉄道

朝5時起床、名鉄バスセンターから関まで高速バスで移動し、車庫見学をした後11時半から特別列車「ながら」に乗り込んでビール2缶。郡上八幡に着いたものの帰りの電車時間が迫っていてすぐ折り返す。午後4時に名古屋に到着して時間調整で細君と居酒屋。午後6時藤が丘まで移動して忘年会、カラオケも行って帰宅したのが10時半。都合17時間の強行軍、ほんとに疲れました。

武士マチムラ

初対面や苦手な相手に対するときは、相手が息を吸った瞬間に話しかける営業経験と同様に、死中に活を求める柳生新陰流の合撃の如く沖縄空手の奥義が紐解かれる。余分な色恋沙汰抜きに武術の深化を追体験させてくれて一気に読了できる。こんな武術家がいたのかと、俄然沖縄にもう一度行ってみたくなる傑作だ。(116冊目)

文字渦

文字の渦ではなく禍ではないかと思いたくなるほど難解を通り越して意味不明な章が多い短編集だ。「誤字」の章では文章にルビがふってあるかと思いきやルビの文は文章と関係がない。「天書」では「門」を使う漢字でビット演算して謎解きをさせる。「金字」においては南無阿弥陀仏を極楽往生のパスワードにしたアミダドライブなる転生システムを説明する旅行会社が出てくる。とにかく疲れる一冊だ。(115冊目)

北条政子

日野富子、淀君に加えて北条政子が三大悪女だそうだ。永井路子がそのイメージを払拭する解釈を示して面白い。男から見るとなんと浅はかなと思える女の性だが、武家社会を興し源家の一族を壊滅させた歴史上の役割は男の比ではない。予想もつかない自動車操縦に出くわすたびに、「また女か」と毒づいて細君に叱られないようにしよう。(114冊目)

ツモってロン

スーパーで細君が買い物をしている間、外でタバコを吸って戻るのだが、待ってる彼女をスルーして叱られる。横を見ないで歩く習性は麻雀でもフリテンリーチをやらかす癖につながる。リーチと宣言する前に一度自分の河(捨て牌)を見て確認しない。一般的にはそれでもツモ上がりすれば許されるのだが、ローカルルールでは罰符となる場合もある。我が家のルールは悩ましい。

吉良の言い分 (上)(下)

時の政権を領した者でさえ、同時代あるいは歴史となった後にさえ評価は分かれるのが慣いだ。現代まで語り継がれたこの史実も、一方の言い分だけが罷り通っては不公平に違いない。公正な裁可をしなかった政権が産んだ悲劇だが、青年期の魅力的な吉良義央と最期を迎えた際に示した言い分が新しい解釈を歴史に加えてくれる。(113冊目)

星空の流細君その後

ちょっと前に細君と街中まで飲みに出て、帰りに彼女が星空を見上げていて蹴躓いて転んだのを読者諸氏はご記憶だろうか。その後御在所岳に登ったりした後判明したのだが、どうやらその時利き腕にヒビでも入ったらしい。捻ると痛いそうなので医者を勧めても、2、3週間も経てば治ると言っていうことを聞かない。素直に応答しない流細君にも困ったものだ。

愛するということ

神は愛や信仰の対象ではなく宇宙株式会社の代表取締役になってしまった。いてもいなくてもいいが社長だとは知っている存在。 琴や弓が弦を張りながらも音を奏でる矛盾した調和という逆説的論理こそ愛情の本質だ。 愛情はただそこにあることに気づくかどうかではなく、人生への真剣な取組みによって自ら生み出していかねばならない。愛の理論と修練についてわかりやすく教えてくれる。(112冊目)

マリオもしんどい

スーパーのカート置き場でおじいちゃんが同年くらいのおじいちゃんに細かい指導を受けている。どうやら新人のようで、先輩らしい男の言い草は横柄だ。喜多條忠が74歳、中村吉右衛門が77歳と身罷って、自分に残された時間の少なさに愕然とする。他人のカートを準備する忍従生活もしんどいが、カートにしがみついている自分も悲しい。

光秀の定理

ひとに本を薦めるのは小欄の目的ではないが、歴史や『麒麟がくる』で明智光秀に興味を抱いた方には断然薦めたくなる。なんといっても光秀その人より、彼を助ける坊主と武芸者のコンビの存在が面白い。結果、光秀の定理すなわち行動原理が読み解かれる。数学的、確率論から定理の裏づけを構築するなどは類を見ない痛快さである。とにかく読んでほしい。(111冊目)

まぼろしの維新

組織の横暴やら不合理というものに気づくのに年齢は無関係だと思うが、若い頃よりも経験を積んで老境に入ってからの方が当然諦観に至りやすい。西郷もきっと進んで隠遁生活を選んだろうに、周囲が許さなかったのは気の毒だ。500ページの3分の1を庶流の熊本隊の動きばかり追って、肝心な西郷の心の動きや評価をしないまま完結したのが残念な作品だ。(110冊目)

酒呑王はかく飲めり

だいたいビールや酒を飲むのにあんなうまそうな顔して飲まないだろう。日本のみなさまと呼びかけてノスタルジーを喚起されるとなおさら飲みたくなくなる。「最初の一杯が旨い」とか本当のことを言ってほしいものだ。えっ?私がいちばんうまそうに飲んでる?電通は使わないか。