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10月, 2022の投稿を表示しています

老人の居場所

うどん屋の駐車場でのんびり紫煙を燻らしていたら車を停めるからどけと言われた。前日のスーパーでは通過する車にクラクションまで鳴らされて飛び退いた。居場所を求めてあちこちのイベントやら集まりに顔を出すと、主催者側のルールに縛られ窮屈な思いを味わう。年を経るにつれ居場所は失われていく一方だ。心配しなくてもいずれこの世からも退場させられるのだが。

千早振る神代もきかず龍田川から紅に水くくるとは

小学校3年生の孫娘が百人一首にはまっているそうだ。自室にこもって「ちはやぶる〜」と節をつけて唸っているとか。落語の隠居の解説が面白い。関取の龍田川が花魁の千早(姉)にも神代(妹)にも振られ廃業。実家に帰って豆腐屋を営んでいたら落魄した元花魁千早がやってきておからを乞うた。龍田川がおからをくれないので千早は入水自殺したが、隠居は八五郎に「とは」の意味を問われ千早の本名だと答えた。これは孫に教えてやらねばなるまい。

地の日天の海 (上)(下)

明智光秀=天海説が繰り広げられるかと思いきや、人口に膾炙した太閤記をベースに若き日の随風(天海)がどう秀吉や光秀、穴山梅雪、家康と関わったのかを物語る。改めて戦国動乱期を総復習するかのような巧みな筆運びに上下巻一気に読み進めることができる。2008年に日経新聞に連載されたそうだが、果たしてそんな頃なぜ読まなかったのか自分が阿呆に思えてくる。(253/1000)

老害の人

いまさら読むまでもなく自分が老害の人だと弁えてはいるがついつい手にしてしまった。この作者らしい大袈裟で非現実的なストーリー展開だが、結論は予想通りありきたりなところに落ち着くものだ。老人が老人のために利他の精神で自分の居場所を探す。老害は若い人にとって毒だが、本人にとっては薬となるから存在意義があるというのだがどうにも説得力を感じない。(252/1000)

老害のボーダーライン

グループLINEとは便利で愉快なツールだと結構活用してきた。調子に乗っていくつかのグループに跨ってみると、年相応の老害LINEに出くわして閉口する。孫自慢、定年後の充実生活自慢、イベントやお宝動画の押し売り、既読スルーで記憶スルー等々。我が身に置き換えても思い当たる節大有りだ。せめて飲み会やゴルフの日程調整だけにした方が友達をなくさずにすむかもしれない。

ご隠居の酒場放浪記 番外編

東海地区せんベロシリーズの管理人さんの指摘で、すでに投稿していた記事がフェイスブックでみなさんから閲覧できない状態だったことが判明した。細君と飲み歩く歴史ある漫遊記なので、時期はずれたが「ご隠居の酒場放浪記」にもラベリンングさせていただいた。相変わらずコロナ対策で酒場を自由に闊歩できない諸士に、一緒に飲んだ気分になっていただけるとうれしい。

江戸裏御用帖 (一)

シリーズものの第一作だから面白いのは当たり前だとは思ったが、期待通りの展開とテンポで進む一冊だ。なんといっても故あって武士として育てることになった6歳の他人の子を抱えた浪人岩城藤次が魅力的だ。こういう時代小説が手近に読める余裕は現役時代には得られない贅沢なんだろう。(251/1000)

たかが10%されど10%

全国割もなかなかどうして適用を受けるにはさまざまなハードルがあるようだ。スタート前に予約したホテルのフロントは、詳細は決まっていないが実施は決まっているから大丈夫と言っていた。いざチェックインすると開始前の予約は無効だという。内部調整の末結局適用を受けたが、後で計算すると割引率は40%ではなく30%とわかりガッカリしたのだった。

軽井沢酒場放浪記

紅葉真っ盛りの軽井沢。夜は駅前の酒場を放浪。一軒目、二軒目とも予約客で満員で三軒目でようやく入店。刺盛りと幻の酒河原屋で舌鼓を打ったが、女将が忙しくてのんびり味わえず。河岸を変えてもう一軒行けば、そこは若者が大騒ぎしていて店主に注意してもらうほどだ。そう書くと楽しくなさそうだが、いろいろあるのが旅の醍醐味。人生の紅葉期かくあるかな。

男の遊びは創意工夫

誰にも急かされず自分のペースで愉しめ、成否で一喜一憂せずともいいのが釣りの魅力だが、道具についても工夫がいるとわかって尚更惹き込まれる。なにせ昔は借り物で済ませていただけに、いざ自前の竿でリールを繰り出し巻き上げようとするとロックがかかってリールが回らない。ベールの下からラインローラーに糸を通さないといけないと分かった。糸の結び方といい、タナの探り方と創意工夫は男を魅了する。

遠謀

とうとう250冊まで到達した。目標の四分の一だが三年間でよくも読んだものだ。上田秀人のこの物語は始め林右近なる浪人が背負った宿運を晴らすのかと思いきや、家光の寵臣松平伊豆や右近の主水野備前守の遠謀や深慮に焦点を当てたものだと次第にわかってくる。読書も積み重ねているうちに、歴史理解とか共感を超えて自己超越へ向かっているようになってきているのが不思議だ。(250/1000)

情に棹さして流される

菅のあざとい弔辞を国葬追認に紐づけたい勢力に足元を掬われた玉川さんが気の毒に退場となってしまった。彼のいない番組はもう見る価値なしだが、人間誰しもいつかは現状を脱する時が訪れる。のんびり海を見ながら釣れない竿を差していると、視聴者の感情を慮りすぎて流されても、所詮人生は生々流転なのだと思えてくる。

千石万石も米五合

コロナで中断されていたかつての勤務先のOBばかりでやるゴルフコンペ。生憎の雨模様でキャンセル者も多数出たようだが、同期入社の二人と楽しくラウンドできた。加えてうれしかったのは、かつての先輩社員の多くと久しぶりに言葉を交わせたことだった。やはり同じ釜の飯を食った仲間というのはありがたいものだ。同じお米に肩書きというブランドは不要だということだ。

嘆きのミラーマン

ナイトライブでお邪魔する店内にある複数のテレビに、演奏するバンドの姿を映像で流してはどうかと店主からご要望をいただいた。そこで自分のスマホと自宅テレビとの画面ミラーリングのアプリをインストールして四苦八苦した挙句実験に成功した。喜び勇んで店主に報告したら、店内のテレビはインターネット未対応で実現できずとあいなった。泣くなミラーマン!

ナイトライブでナイトライフ

さて今度は広場の音楽会でお世話になったキッチンカーNEGO(ニーゴ)さんのレストランバーでナイトライブだ。午後6時から1時間半全18曲自分達の持ち歌を単独またはメンバーで演奏しまくる。ゲストに相撲甚句をご披露してくださる方々もお招きして、ちょっと早い忘年会を盛り上げるナイト(騎士)役といったところか。楽しむをキーワードにしてきた今年もそろそろ最終コーナーだ。

曾呂利新左衛門

上杉鷹山や歴史上の名参謀などについて著作の多い元都庁職員の作家だが、表題作の人物を知りたくて読んだもののまったく期待はずれの出来だった。歴史をこんなおちゃらけた記述に貶めて恥ずかしくないのかと筆者に問いたいくらいだ。世間でもてはやされるような作家はやはり高が知れているということだ。(249/1000)

ご近所大学

西雀荘の深夜の警備セットの音声がうるさいという苦情文書が匿名で、なんと倅の勤務先に寄せられたそうだ。さっそく警備会社に頼んで無音にしてもらったが、近所の苦情は直接言ってくれればいいだろう。誰の苦情かわからないだけに、向こう三軒両隣を含め8軒のお宅にお詫びに伺った。まさかの訪問に絶句した若い主婦もいたから、いたづらではないということか。近所も小学校レベルなんだなあ。

西雀荘の太公望

定年後隠居したら、ひとりでできる趣味、ふたりでやる趣味、3人以上でやる趣味をそれぞれ持つといいと聞いたことがある。3人以上なら音楽バンド、ゴルフ、麻雀がある。ふたりなら細君と居酒屋巡りと旅行やコンサート。さてひとりとなると読書しかなかったのだが、とうとう釣りを始めることにした。まずは海釣り公園であじのサビキ釣りでご覧の道具を買い揃えたのだった。釣果やいかに?

クリスマスの音楽会

いよいよ今年のバンド活動の集大成だ。年末クリスマスコンサートを森林公園にあるお店を借り切って開く。5月の森の音楽会、7月の広場の音楽会に続いて3大場所音楽会をこれで企画実演できたことになる。それぞれいろんな苦労があったが、先日の市民祭では観客のなかから我々のバンドに加入希望の方まで現れるといううれしい話も舞い込んだ。いろんなことに挑戦するのはやはりおもしろい。

酔眼の剣

酒をこよなく愛する曾路里新兵衛という浪人が主人公だ。ほぼ素面の時がないほど常時酔いどれているが、酔っても酔眼の剣で無類の強さだ。酒と肴を愛する小生にとっては憧れの生き様だ。極悪非道の高利貸しを懲らしめ、非情な御家人どもに鉄槌を食らわす。胸のすくような展開にスッキリして、鰹のたたきを肴に旨い酒が呑みたくなること請け合いである。(248/1000)

破斬

初めての作者だ。紀伊國屋文左衛門、後藤庄三郎光冨、柳沢吉保、新井白石と登場人物に遜色はない。慶長小判から元禄小判への改鋳に至る不正を暴く勘定吟味役水城聡四郎の活躍ぶりに頁を繰る手が止まらない。道場の師匠が聡四郎に語りかけるシーンには思わず涙を流してしまうだろう。(247/1000)

足軽なのに足は重かった

こんな格好で12,000歩歩くのだ。なにが辛いって草鞋なのがすごい。江戸時代の民は草鞋で何里も歩いたのだから恐れ入る。鼻緒のあたりだけでなく踵まで次第に悲鳴を上げてくる。中学校やらお城、氏神を祀る神社と巡って朝7時から午後2時まで歩きっぱなしだが、同じいでたちの小さな子供たちとふれあいながら歩くのは最高の楽しさだ。

ソクラテスの弁明

国民健康保険になって高くなったと嘆く声を聞く。そもそも算定基礎は前年年収だし、現役は半分を会社が負担する。任意継続中は全額負担。料率は健保でも自治体でも概ね10%で変わらない。嘆く根拠がわからない。知らないことを知らないと自覚するのは容易ではないが、知らないことを知ろうとしないのは愚かだろう。

鬼役〈四〉遺恨

坂岡真のこのシリーズ、一作目から飛んで四作目は四つの遺恨に関わる物語だ。鬼役の矢背蔵人介の人間味にますます興趣が加わって味わい深くなっている。義母と妻の存在がまた一層主人公を引き立てている。道理でシリーズにしたくなるわけだ。(246/1000)

腰も軽い足軽

地域のお祭りである棒の手に足軽に扮して同道せねばならなくなったので、貸与されない衣装ばかりは自前で揃えざるをえない。「はばき」なるものが必要だと聞き地元にある老舗の呉服屋で買い求めたらなんと一万円もするではないか。「はばき」とは「脛巾」と書いて、後世の脚絆にあたるものらしい。今回限りで請け負ったつもりだが、こんな投資をしたら来年以降も馳せ参ぜざるをえなくなりそうだ。

足引き寺閻魔帳

唐の国の車胤は昼間蛍を集め夜その光で勉学し、孫康は昼間降雪を願って空を眺め夜雪あかりで読書した。蛍雪の功以前に昼間なぜやらぬと難ずるのは小賢しい理解で、無為に過ごす「無駄の用」を説く主人公たちが微笑ましい。陰惨な誅伐のシーンは敢えて描かず、そこに至るまでの人情の文を巧みに語る各章の筋立てが実に愉快な一冊である。(245/1000)

厳しさを知らない子供たち

時代が違うと僕らは言われた。歳をとりすぎていると許されないなら、頭の中が固いと許されないなら。今のわたしに残っているのは口惜しさをこらえて生きることだけさ。学校の先生や両親、果ては隣近所のおっさんにまで叱られて育ったわれわれ世代からすれば、今の子供たちは果たして幸せなのだろうか。町に伝わる伝統芸能を学ぶ子供らを見ていてくちずさみたくなる。

お神酒徳利

神棚に供する2本の徳利を例えて仲睦まじい夫婦のことをお神酒徳利と呼ぶそうな。毎週居酒屋を飲み歩くわれわれ夫婦はまさにお神酒徳利に違いない。「深川駕籠」シリーズの一作だが、新太郎と尚平の駕籠舁きコンビの活躍は躍動感に溢れ楽しんで読める。こういう力のある作家の書いた作品を読むと、酒もついつい進んでしまう。(244/1000)

妄想銀行

瀬尾まいこの「その扉をたたく音」の中で、主人公が選んだ本がこの本だった。星新一らしい途中で梯子を外されたようなショートショートが14編。標題の妄想銀行も人間の妄想を引き摺り出して預かってくれる銀行が生じさせるおかしみだ。その他短編だが、人間の悲哀と性が凝縮されていて楽しんで読める。(243/1000)

おっさんの掟

あの森喜朗から「わきまえない女」と名指しされた本人の、日本ラグビーリーグ創設にまつわる格闘が描かれる。トヨタを忖度せず1部リーグから除外する公平な審査をしたために、全ての役職から干されてしまう。頼まれて引き受けた仕事なのに結末は酷い。女性だからというのではなく、「おっさん社会」に根強く残る事なかれ主義に若者は勇気を出して立ち向かって欲しいものだ。(242/1000)

残り者

同じ作者の「恋歌」と対をなす作品といえば確かにそうだろう。「恋歌」は水戸天狗党の藩士の妻として生き残り歌人となった中島歌子の物語だったが、江戸開城に際し大奥に踏み留まり最期を見届けた五人の女たちを追った物語だ。フィクションといえばそうなのだろう。しかしなぜか現実にあった話のように読ませるのがこの作者の筆力ともいえる。(241/1000)