スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

1月, 2024の投稿を表示しています

頂上至極

前作「まいまいつぶろ」に登場する薩摩藩による木曽三川流域の治水事業について、家老平田靭負を中心に、その艱難辛苦が綴られる。幕閣の権力者の思惑から振られた難事業だが、莫大な借財を注ぎ込んで完遂した経緯もさることながら、責めを追って切腹した靭負が痛ましい。(390/1000)

まいまいつぶろ

四百冊近く読んできて、読みながら前半、中盤、後半と勝手に涙が流れてきてしまう本は初めてだった。家重の口となった忠光は無論、老中酒井忠音、正室比宮、父吉宗、倅家治、それぞれの目線で障害を背負った将軍の苦しみと不屈の生き様が語られる。まさに名著である。(389/1000)

厳島

毛利元就と陶晴賢の厳島での決戦を軸として展開する長編だが、なぜか毛利一族よりも敗れた陶方の猛将弘中隆兼の生き様が胸を打つ。武よりも信、支配者よりも領民を尊んだ隆兼の人生観は時代を超えて、金と地位に塗れるこの国の政治家の姿をより貧相なものに貶めてくれる。(388/1000)

歌われなかった海賊へ

国民とはいい加減なものだ。こと戦争に関しても、戦争指導者のみに責を負わせるが、反抗できず迎合を選んだ国民がいたことを忘れてはならない。エーデルヴァイス海賊団という若者のナチス反抗組織があったことを教えてくれたこの物語は、そうした同時代の国民の責任について正面から問題提起をしてくれる。読み応えのある作品だ。(387/1000)

茜唄 (上)(下)

源氏と平家といえば、平家物語の有名な冒頭の文章どおり平家の歴史上の立場は誠に分が悪い。それを平氏の立場から書き上げた本書は一読する価値があるだろう。源氏、平氏、藤原氏の3家で危うい均衡を保ちながら争いのない世を創出しようとした知盛の視点は、未だ無益な争いの絶えない現代に通ずるものがある。(386/1000)

剣花に殉ず

雲林院弥四郎なる若者が戦国から江戸期までに、さまざまな事件に出逢いながら、剣の道を極める物語だ。斬らずに斬る。新当流「一の太刀」の極意に到達するまで、後半部がやや冗舌だったのが残念。(385/1000)

ラプラスの魔女

ナビエ・ストークス方程式という乱流の動きを計測する方程式が解ければ、未来が予測できるかもしれない。この作者らしい根拠のある理論を起点に物語が展開していく。450頁があっという間に一日で読めるのはさすがという他ない。全ての人間が原子としてこの世界を構成しているのだと改めて突きつけられると、今度の震災の痛ましさに心が揺さぶられる。(384/1000)

楠木正成 (上)(下)

あまりにも有名だが、意外に詳しい足跡さえ知らない歴史上の人物だ。武家支配を否定して、天皇親政を標榜した英雄として維新の尊王派から讃えられたと言われているようだが、実は物流によって貨幣経済を進め民主国家を作り上げようとしていた。400年早く生まれすぎたということか。(383/1000)