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10月, 2020の投稿を表示しています

イタリアンな焼きそば

若い頃、出前のカレーうどんばかりを食べ続けたり、焼きそば定食を100日間連続食べ続けたことがある。今では多少進歩して喫茶店で焼きそばとイタリアンスパを毎日交互に食べ続けている。交互で困るのは昨日どっちを食べたか忘れることだ。女店員が焼きそばだと言うのに、スパだと思って焼きそばを食べ始めて昨日も焼きそばだと気づいた。レジでそう言うと「でしょ」と言われてしまった。今度からは素直に女店員の言うことに従うつもりだ。

「だから」ではなく「それから」

健康なんたら法が施行されて、行かなくなった代表格はなんといっても喫茶店だろう。喫茶店でゆっくり紫煙を燻らせながら苦いブラックコーヒーを飲むひと時。まったりと流れる時間。そんな大人の嗜みの時間が消えて久しい。かつての日本にはそんなたおやかな時の流れが漂っていた。因果関係ばかりを追うプロットの世界ではなく、まわりくどくても物語の世界の方が住みやすい。

野球は中日、銀行は楽天。

仕事で回ってきた書類に「楽天銀行ギター支店」などと書かれてあったので、どこかの自分と同じギター好きがふざけて書いてきたのかと思ったらほんとうにあった。すでにご存知の方にはつまらないだろうが以下に列挙すると 【支店番号】 【支店名】 201      ジャズ 202      ロック 203      サンバ 204      ワルツ 205      オペラ 206      タンゴ 207      サルサ 208      ダンス 209      リズム 210      ビート 211      マーチ 212      ピアノ 213      ドラム 214      チェロ 215      ソナタ 216      エンカ 217      テクノ 226                      ギター といった具合だ。三木谷さんもきっと音楽好きなんだろうな。こりゃ楽天銀行で口座開設しなくちゃね。

ほぼイカじゃない?

イカスミしゃぶ鍋が流行っているということで、細君があちこちスーパーを回ってようやく手に入れた。豚肉をしゃぶしゃぶするらしいのだが、なんてったってイカスミである以上具材はイカでなければイカん。スルメイカを一杯買いしゃぶしゃぶするとこれがまたイカした味になる。早見優の替え歌を聴きながら歯を真っ黒にして食卓を囲んだのであった。イエース!

ラリルレロシアンルーレット

まさかのインスタ乗っ取り事件勃発ですね。なんでロシアの人間が「あなたですか?」と聞いてくるのか意味不明だし、どう対処すれば元の画面に復帰できるかも見当がつかない。しかたないからインスタアプリから離脱した。まさかこのブログまで乗っ取られることはないだろうが、大統領選に関係があると考えるのは考えすぎだろうか?

アイコス物語

好きな映画をひとつだけ挙げろと言われればやはりこれだろう。中学の頃映画館でこれを観て号泣した覚えがある。映画ほどじゃないが、アイコスのサポートセンターの対応は感涙ものだ。1年の保証期間内の当然の対応とはいえ、LINEを通じて不具合をチャット通信し無償交換に応じてくれる。これこそデジタル戦略というべきだろう。日頃目の敵にされる喫煙者にしか味わえない名作の余韻である。

味噌汁作るも旦那次第

んだが、なんだっぺなあ。今度の菅さんってのは朝飯家で食わねえんだかねえ。新聞見てると毎日毎日朝も夜も秘書官たちと飯食ってるもんなあ。かみさんは味噌汁作らねえんかねえ。おらも外人の嫁さんもらった時は毎朝パンだったからやんなったっぺ。ホテルの飯代はまさか税金で食ってんじゃないよね。誰も注意しないならおらがいっぺん言っといてやっか。

テントが転倒したら

いよいよ明日は今年を締めくくるバンド活動の総仕上げだ。本番に向けてギターの弦も張り替えたし、衣装も買い揃えた上に、芝生で寝転ぶテントも買い整えた。長女も含めて、心を病んだひとたちと自然の中で音楽を満喫したい。自然と音楽の力を信じたい。布団が吹っ飛んだら強く握ればいい、テントが転倒したらみんなで座り込めばいい。そうやってみんなで逆境を乗り越えよう。

失敗を愉しむ

あれこんなこと間違えちゃったと小さなミスを繰り返す日々。ミスしなければ平和で気楽に過ごせるのにと悔しい。ミスしなければこの人ともう一度会うこともないのに、また会うことになったりする。ミスが運んだ縁だ。失敗を歓迎するつもりは毛頭ないが、失敗したらそこからなにか生まれるかもしれないと愉しむ気持ちが老境というものだろう。

おかみさーん、風呂に湯が入っていませんよ。

集中するとまわりが見えなくなる悪い癖である。風呂場に行き浴槽の蓋を開け、蓋を壁に立てかけたらまず身体を洗う。髪を洗い、身体を洗った石鹸をシャワーで流し、さあて今日も疲れたなと思いながら湯船に浸かろうと浴槽に入ると湯がないではないか。どうやら細君が給湯スイッチを入れ忘れたのに気づかず浴室へ入ったようだ。蓋を開けた瞬間に気づかない夫のよくある行動に爆笑の細君であった。

自滅のヤバイ

月命日に墓参に行って線香台を洗っていると、右手指にちくっと痛みが走ったが何事もなかった。なあんだと左手を見ると掌を血が走っているではないか。切ったのは左手指だったのだ。この血がなかなか止まらない。切った箇所も自覚できず、止血もままならぬというのは、老化現象も甚だしい。ヤバイ、そのうち自滅するんじゃなかろうか。

人間嫌い

不思議なもので、犬の散歩をしている人に「やっ!かわいい犬ですね!」と声をかけると、飼い主は十中八九表情を崩して喜ぶ。犬も主人の気持ちを察してかこちらにすり寄ってくる。歳をとるにつれだんだん人間嫌いになる。人間嫌いの心を開くには、犬でもギターでもいいから、相手の所有物を褒めることだ。古女房も褒められれば悪い気はしないかどうかは読者の皆さんにお任せする。

シテにしてワキである生き方

夢幻能というのは世阿弥が確立した能の様式だ。この世のものではない化身したシテ(主人公)と旅の途中の一人の僧(ワキ)とが交わす邂逅。ついつい自分が主役と思い込んでしまっているのは悲しい性だ。主役と信じ込むからこそ絶望する。取るに足らぬ修行僧であることを自覚すれば、目には見えぬ主人公との間で折り合いをつけていく生き方もまた愉快というものだ。

そのうち左打ち禁止になるかも?

改革をアピールする人間ほど要警戒だ。発言は断定的で陳腐な内容もヒットにしそうだが、守備に回れば元来の右投げが本領を発揮する。自信たっぷりに極右発言を繰り返す櫻井のおばあさんも、彼女を重用するフジ産経も見ているだけで戦前の日本を彷彿とさせて気持ち悪い。右翼思想を植えつけようと目論んだ森友学園しかり、弔意を示せという文科省しかり、いったいこの国はどうなってることやら。

solong,farewell,goodbye

さあて4月からどうするかと考えていたところへ、上司がどうするか聞いてきた。もう沢山だとは言えないので保留と相成った。どうするかではなく、やってくれと言われたら容赦なく断れただろう。長い航海の無事を祈ったsolong、ご機嫌ようのfarewell、God be with ye 神の御加護をと祈ったgoodbye、どんな別れの言葉も似つかわしくないのが残念だ。

来年どうする?

光陰矢の如しだ。苦しかった修行も残すところ5ヶ月だ。するともたげてくるのは、来年4月以降は何をしようかということだ。バンド活動、剪定、読書、俳句、西雀荘運営とやることは多岐だが、ストレスを溜め込むものがひとつもない。贅沢な話だが適度なストレスもなければ、人生面白味もあるまい。かといって組織に縛られるのは懲り懲りだ。のんびり考えれば何か思いつくだろう。

生感覚

大きな声ではいえないけれど、どうしてみんな払うものには抵抗を示すのに、貰えるものにそんなに執着するのかしら。ゴートゥーだって中小の旅行業者には不公平だというのはわかるけど、そもそも割引なんてないのが普通だから。なんたら給付金とかいうわけのわからない制度も、もらわなきゃ損みたいな考えの人ばかり。欲望むき出しになるときの人間って顔を隠したがるってほんとうね。

大仏の掌で踊らされていたのは神様だった

夜は姑がいないので近場へ飲みにいこうと誘ったのは細君だった。初めから行く店を決めているようだったので、逆らわずについていった。勘定をする段になって割引の使えるリーフレットを取り出した細君の目論見がようやくわかる。そうかオレは細君の掌で踊らされる悟空だったのだ。待てよ、それをいうならわれわれ以外誰もこないこの店にとって、われわれは神様だろう。

トリ家族の年金術

わしらには子供がいないんで、わしら家族が先祖のトリを務めるってことだ。わしらの年金は子供たちじゃなく他人様が払ってくれてるってのはわかっちゃいるが、わしらはわしらで前の世代のために女房と一生懸命働いてきたわけだ。それがどうだ、年金から税金を取りやがる。給料で取った挙句だぞ。もう我慢ならねえ。こうなったら焼き鳥2本でクーポン出すまで帰らねえぞ。

サヨナラだけが人生だ

いやあみなさんまたお会いしましたね。何度めですかね、ああ3度目ですかね。もうすぐ1年目を迎えるこのブログに3回も出演できるなんてすごいですねえ。今日の映画は、グループLINEを黙って退会する人の物語ですねえ。サヨナラだけが人生だってよく言いますけど、退会するときに黙って退会するのは残された人を悲しくさせますね。やはりこれだけは言ってくださいね、ではサヨナラサヨナラ。

右から見ると左?

わかっていたことだが、スガこなきじじいはアベのコピペだ。与党が右傾化してしまったことに国民が気づいていないことをいいことに、懲りずに右へ倣えの頰被りか。ご覧の画像を見て、時計回りだと思う筆者に対し、細君は逆回りだと見解は対立する。右傾化政権から見れば対立するものはみな左翼的なんだろう。どっちに見えるかで性格や今日の体調がわかるなら、身の振り方を猫に聞いてみたいものだ。

きはなんにもいわないの

カチンとくる扱いをされても、平常心でやり過ごせるようになった。昔の自分なら侮られた瞬間にキレていただろう。年輪を60も刻んで人間から樹木に転化しつつあるようだ。何も言わないけれど、葉を繁らせ木陰を作って人々を和ませてあげられるかもしれない。そういう幸せにようやく辿り着いた。

カラダがウォッシャブル

本番に向けて衣装の手配に奔走する毎日だが、ジャケットの次はズボンだ。アイビー調を基本とする以上コッパンだなと探してみたが見つからない。そこでブルージーンズとなったわけだが、われわれ世代からすればピカピカのブルーではなく、色落ちしたウォッシャブルでなければならぬ。細君によれば年寄りがウォッシャブルを着ても似合わない、ピカピカでいけというので素直に従った。なるほどその通りだった。

もしもこんな居酒屋シリーズ

お客さん、こんなもんばかり飲んでちゃダメだよ。ああそうか学術なんとやらで選ばれなかったんだ。そんなもんいいじゃん。ほら天は人の上に人を作らずっていうだろう。今度の総理も人の上に自分が立っちゃって、これじゃ学問もすすめられないわな。オレはビールはすすめるけどね。

アンサンブルシンデレラ

アンサンブルという言葉は自分にはまったく縁のないワードだと思っていた。婦人服か弦楽器集団の一形態くらいしかイメージできなかったが、レッスンや発表会、バンド演奏を通して、こんなにも奥が深く楽しいものとは大発見だ。アンサングの訳語は「讃えられない」らしいが、フランス語で「一緒に」の意味であるアンサンブルがよくわかっていない自分は、今はまだ遠くから城を憧れ見るアンサングシンデレラだ。

音の旅人

野外コンサートの本番が近づいてきて練習にも力が入る。日曜日は午後3時から6時まで3時間も練習してしまった。何回も何回も同じ曲を弾いたり歌ったりしていると、だんだんその曲自体が自分たちのオリジナルではないかと錯覚するくらい曲の中に埋没していくような気がする。脳内に快感伝達物質ドーパミンが分泌していき、仕事ではまったく使わない脳の働きを実感できるのだ。

ユニクロ神話

結局赤いブレザー論争も、細君とユニクロへ行ってみたらご覧のブレザーに落ち着いた。驚いたのはユニクロの接客術だ。クーポンは使えないのかと突然細君に言われ、慌てて新規会員登録したもののクーポンは現れない。付近にいた店員に聞くと懇切丁寧にサポートしてくれ見事ゲット。自動精算機も充実していて、電子マネーでの支払いも店員がサポートしてくれた。出口まで出会った店員すべてにありがとうありがとうと何度も頭を下げながら退出したのであった。

赤いスイートブレザー

春色ならぬ赤色のブレザー着たら観にに連れて行ってよ  煙草の匂いのシャツにそっと寄り添うから なんていう替え歌を作りたくなるほど、今月の野外コンサートで着る衣装で頭が痛い。メンバー全員ありし日のアイビールックで決めようということになっているのだが、赤いブレザーがなかなか見つからない。いわゆる演歌歌手のステージ衣装しかないのだ。普段着にするわけじゃないからそれでいいじゃないかと細君。演歌歌手だけは避けたい夫。心の岸辺に咲いた赤いスイートブレザー♪

THE OLDMAN AND THE SEA

少年時代に読んだときにはまったくぴんとこなかったノーベル文学賞作品だが、同じ老人となってみると彼の気持ちが感慨深い。3日も格闘して釣り上げたカジキが港に帰る前にサメに食われて骸骨となる。まさに40年にわたって築き上げてきた己れの経験値だが、釣りあげてしまえばあとは人生の帰港地に着く前に跡形もなく世間というサメに喰いちぎられるのだろう。それが運命ならそれも仕方あるまい。

私、在宅勤務なんですけど

在宅勤務やらテレワークとやらが増えていちばん居場所がなくなるのは、監視職というか管理職だろう。なにせ部下の不始末で自分の将来が左右されると思い込んでいるからだ。なにがあろうと全責任は自分が負うから好きにやれと言えない上司は上司の資格なしだ。他人の誹謗中傷、マスコミの報道、車内で隣り合わせた乗客、すぐ横で飲み食いしている店の客、すべてが批判の矛先を向ける世の中になって、なんとも住みにくい世界であることよ。

簡単には諸肌脱がない遠山金四郎

修羅場という修羅場を嫌というほどくぐり抜けてきたせいか、少々の嫌がらせやわざとらしい算段に易々と乗るほど柔じゃない。むしろ居座って相手を嫌がらせる方がよほど痛快だ。そう、六十も過ぎた金四郎は簡単には諸肌を見せないのである。実際に脱いでみたらもう桜は吹雪となって散っていたとしてもだ。亀の甲より年の功なのである。べらぼうめ。