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8月, 2021の投稿を表示しています

さらば甘き口づけ

ハードボイルド文学の始祖ハメットに加え、チャンドラー、ケイン、クラムリーと読破してまずはひと段落だ。珍しく冒頭から読み始めるのに手を焼いた作品だが、読み進むうちに平凡な日常に潜む人々の愛憎が刻々と深く掘り下げられていく。私立探偵スルーの抑制的だが排他的ではない向き合い方が読者を魅了する。

GREEN BOOK

第91回アカデミー賞作品賞他を受賞していたとは知らなかった。グリーンブックというのは、黒人旅行者のための旅行ガイドブックだそうで、差別の激しい南部を旅行する際に黒人が泊まれる宿泊施設等が記載された本だ。クラシックだけでなくジャズにもピアノで才能を発揮したドン・シャーリーとその運転手トニーとの演奏旅行の実話。文句なく泣ける映画だ。

YESTERDAY

こちらはWOWWOWで放映中だが、音楽好きビートルズ好きにはたまらない作品だ。そんなバカなという展開だが、ビートルズの名曲がふんだんに聴けるのがいい。一見男女の愛の真価を描いているようだが、実は音楽の存在価値を訴えているのだと悟らせてくる。

マルタの鷹

初版本が昭和45年とページも色褪せた年代物なのがいかにも図書館の蔵書らしい。半世紀も前の作品なのにストーリーの陳腐さを感じさせないのは、スペードという探偵の硬骨漢ぶりのせいだろう。なんだこういう事件解決の手法もありかという着想は現代の作家には浮かばないかもしれない。

ザンギの値打ち

北海道十勝「喜久好」のザンギを買ってみた。見た目は唐揚げとなんの変わりもないようだが、4種類の味をトッピングして食したところ、衣が断然柔らかい。照り焼き、タルタルの2種類はその味が濃密だが、塩、醤油ニンニク味の2種類はそれに比べて淡白だ。唐揚げといえば女子で嫌いな人はいないというのが小生の持論だが、ザンギもきっと女子は放っておくまい。細君に謝るならザンギを差し出すがよかろう。

The Tomorrow War

リビングキッチンのテレビでしかYouTubeが見れないのだが、私の部屋でも見たがるマゴのためにFire TVをセッティングした。お陰でAmazon プライムやらWOWWOW オンデマンドまで映画が見たい放題になった。タイトルからは単なる戦争ものかと思いきや、タイムトラベルあり時間のパラドックスあり、泣かせる親子の葛藤ありで、映画好きにはたまらない作品だ。

郵便配達は二度ベルを鳴らす

タイトルと内容は無関係だそうだ。たしかに郵便配達人も登場しないしベルが鳴る場面もない。それでもこのタイトルがふさわしいと思えるのは、まるで待ち望んでいる郵便が届かないのをイライラして待っているかのようにストーリーの展開が待ち遠しく思えるからかもしれない。結末は他の文学作品でもあったように思うが思い出せないのが悔しい。

ロング・グッドバイ

モーニングコーヒーで付属してもらうなら固茹でより半熟の卵の方が好みだ。登場する探偵となると加賀恭一郎のような思索的で道徳的な探偵よりフィリップ・マーロウのようなハードボイルド探偵を選びたくなる。530ページ辞書のような大部を3日で一気に読ませる筆力はただものじゃない。「さよならは短い死だ」という一句が予想外の結末に至ってなんとも味わい深い。

もしも水戸黄門がコロナ時代に生まれたら

例の一泊500円で当選した軽井沢旅行も、さすがにこの感染拡大下では自粛しようということになった。主催者側に連絡すると延期して別のところではどうかというので箱根に変更。一ヶ月後状況が好転しているとは思えないが、どうせ気儘な隠居旅、コロナなる過剰のほとり苦悶広く遊子悲しむだ。この時代だったら黄門様も難渋したことだろう。

ミマちゃんに叱られたい

運転免許証の更新で視力検査をしてくれた婦人警官が「この視力ではダメだけどパスにしとくからメガネ作り直してね」と言われていたのでメガネ屋に行った。パスするためのメガネを作るには眼科の処方箋がいるとのことで、眼医者へ行くと軽い白内障はあるもののいたって正常らしい。女医さんが驚いていたのは視力検査の結果より免許が更新できていたことだった。

さらば!翌日カレー鍋

お気に入りの赤から鍋にカレー味が追加されたので暑気払いに食したが三番でも痺れる辛さだ。不思議なことに煮立っている時を過ぎて、火を止めて落ち着かせてみるとマイルドになった。翌日カレーが美味いわけだから鍋でもいけるだろうと細君に具申すると、近頃ではウェルシュ菌による食中毒で敬遠されるらしい。悲しい世の中になったものだ。

車輪の下

若き日に結婚を悩んだ際、亡父からゲーテの「若きウェルテルの悩み」を勧められ読んだ。ヘッセのこの自伝的小説も、思春期の彷徨と学業の蹉跌に懊悩した青年時代に読んでいたら大いに共感しただろう。甘酸っぱい追憶を持って読める年代に達した今、やさしい郷愁に誘ってくれる不朽の名作といえる。

樅の木は残った (上)(中)(下)

芸術は真に入るほど世俗からはみすてられる。自分はおのれが芸術の真に入っているとは、とは信じられなかったし、世俗から超然と生きる自信もなかった。人は誰にも理解されない絵を心の中に持っているのではないか。と盲目の二弦奏者に語らせている。知己を欺いてまでも権力側につきお家騒動を鎮め、汚名を被ったまま死ぬことを選んだ原田甲斐の生きざま。仕事も人生も極めていくと他人には理解されない世界に至るものか。

いつでもこの頃に戻れる券

アマゾンのCMがなんのことかわからなかった。こどもが作った肩たたき券なのかお手伝い券だとしたら、なんでいい歳をした夫婦が唐突に手を繋いで歩くことになるのやら。券面に記載されてる文字とプリクラをもうちょっと大きくゆっくり表示してくれれば合点がいっただろう。老眼になった夫婦には肩たたき券の方がうれしいけど。

グレート・ギャッツビー

ディカプリオの「華麗なるギャッツビー」を観ても映画の良さがいまいち伝わらなかったのと同様に、村上春樹の翻訳でなければこの本の本当の良さは読解できないだろう。本は読むというより、音楽のように耳で聴きメロディやリズムを味わうものという村上ならではの価値観が彼にこの本を世界で一番の作品たらしめているとわかる。

ノルウェイの森 (上)(下)

あなたはいつか精神に破綻をきたすかもしれないタイプだと若い頃細君に言われたことがある。そういう視点でこの自伝的物語を読むと、登場人物の心理やアドレセンス(青年期)の動揺が追体験できる。ビートルズの「ノルウェイの森」が重低音のように全編の底に響いて展開しているように感じるのは自分だけだろうか。

Death is a natural part of life.

春に急逝した親友の墓を訪ねた。人づてに聞いた墓所へ行って細君と二人で探したが見つからない。共通の友人に電話すると墓所が違うという。教えられた墓地へ行って手分けして探し漸く見つけ線香を手向けた。彼の死を悼み生きた足跡を偲ぶ者は家族を除いてなんと少ないものか。死は生の一部であると村上春樹もヨーダも言ったが、忘れ去られることを受け容れるのが人生かもしれない。

しゅしょう病治療

また今日もお昼にホテルオークラデンタルオフィスミヤタで歯科治療と首相動向。調べてみると近頃月に8回も通っているそうだ。決まってお昼に来てるんだから会食してると予想がつく。5割外出制限とか尾身さんに言わせておいて、相変わらず自分は個室で密会しながら美食に耽る。歯茎どころか根っこまで腐ってしまって抜歯するしかない。

パスタのその後

夕食の際に昼食時にいなかった母を交えてパスタ騒動が話題になった。青海苔が喉に張り付いた顛末をしみじみ語ると、「パスタは啜っちゃダメなのよ」と細君。スプーンでクルクル回して口に放り込むのだそうだ。そういえばみんなそんなことして食べてたな。イタリアではスプーンは使わなくてもやはり丸めて食べるようだ。まじないはオーソーレミーヨ、マンマミーヨだ。

絶望のパスタ

アーリオ・オリオ・ペペロンチーノというのが正式名称だそうだ。ニンニク、唐辛子、青海苔をオイルに絡めて出来上がりだが、後かけの唐辛子や青海苔を絡めずに啜ったために青海苔が喉に引っかかって死ぬ思いをした。「絶望している時でもおいしく食べられる」パスタゆえ『絶望のパスタ』とも呼ばれるそうだが、咳が止まらないあの苦しさは絶望そのものだ。アーリオオリオとおまじないでも唱えながら食べた方がよさそうだ。

優駿 (上)(下)

映画をちょっとだけ垣間見ただけだったが、タイトルの魅力に長い間取り憑かれていて漸く手にすることになった。なるほど確かに映画化したくなるし、してもよいストーリー性を余すところなく読ませてくれる。最後の最後ゴールの瞬間はまるで実況中継を観ているかのような展開であった。

策士作に溺れる

おやおや今日はあるじゃないか。そうかお盆だから品揃えしたんだな。なに?安い方が3,000円、高い方は4,000円か。うーん、お盆だしまずは3,000円の方はキープと。さて、4,000円の方はどうしたものか。細君にどう言ったものか。なにか策を考えねば。いくら考えても名案は浮かばず行ったり来たり。諦めてレジを通した品物を詰めるのを手伝いにいくとしっかり両方入っていた。

サブスクと郷ひろみ

毎月1,000円払って内外の音楽を聴きたい放題というサブスクとはなんと便利なものだろう。iPhoneを所有してからずっとだから、もう何年になることやら。その間なかなかサブスクに載せなかったミュージシャンも少しづつ増えて、遂に郷ひろみも陥落した。残るは山下達郎くらいなものか。ここまできたら彼がいつまで頑張るか見ものだが、40年前に名古屋市公会堂のコンサートでマイクなしで最後列の客まで声が届くか試してたあの偏屈さからすると死ぬまでダメかもしれない。

たち魚

夏といえば京料理で骨切りされて供される鱧が思い浮かぶ。鱧に劣らぬ獰猛な顔で見分けるのが難しいのが太刀魚だ。スーパーでよく見かけるのはサヨリで名前で区別するのはなかなか厄介だ。なんでも立って泳ぐらしいから太刀魚と呼んだそうで、皮付きで刺身に引くとこれが格別美味だ。蔓延防止で酒も提供禁止となって、肴も封じられては「断ち魚」とでも表記してやりたい。

2Q2Q

高速道路の避難帯から非常階段を伝って、別の2020年の世界に来てしまったようだ。2021年になってもウィルスの脅威から逃れられない。半眼で無表情な首相やマスク越しに上品ぶったコメントしか発しない都知事だの、元の世界にはそんな低級な為政者はいなかった。元に戻るにはもう一度非常階段を登るしかないが、入口が見あたらない。

1Q84(全6冊)

独身時代の40年前に「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んで以来だ。「 物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない。 物語の中に、必然性のない小道具は持ち出すな」と語ったチェーホフの通り比喩も情景描写も無駄のない文体だ。1954年リリースの Louis Armstrong Plays WC Handyの名盤に60作目で出会えたのは幸運だった。

習わぬ経を読む

あれっ?7月の閲覧回数をチェックすると1,000回を超えている。開設当初は当たり前だったが、最近は月間500回程度で推移していたのにどういうわけだ。どうやら7月の3日前後の記事のようだ。一日に350回は異常だ。習近平の画像が中国で検閲されたのか?こんな念仏みたいな記事も、毎日欠かさず唱えていると有難いお経のように聴こえるのかもしれない。

風林火山

中学生時代に「天平の甍」「氷壁」を読んで以来のこの作家の作品だ。「氷壁」などは読書感想文コンクールで表彰された記憶がある。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」は信玄の遺した和歌だが、山本勘助を通して信玄とその周辺に生きた人々を人物として生々しく描ききった秀作だ。

はなしの種

娘がわざわざ母のために買って持ってきた。無類の柿の種好きの細君だが、さほど狂喜乱舞することもなく平然と受け取っていた。翌朝、どれどれどんな柿の種かと蓋を取ってみると味の異なる柿の種が詰まっており、聞くといちいち細君が食べる前から味を克明に解説してくれる。前に食べたことがあるのかと聞くとすでに全種類ひと通り食べ尽くし「もっとギッシリだったわよ」には参った。

難題が飛び込む男 土光敏夫

評伝の人物は立派でも書き手の筆力次第で陳腐な内容になるものだ。穿った見方をすれば、土光さんが再建に失敗した東芝が現在のような状況に陥ったのも実は土光さんに帰するところもあるのかもしれない。本も会社も物語の書き手次第というわけだ。検証するのは歴史という読み手だが。

勝負 (剣客商売十一)

いきなり11巻目へ飛ぶのもなんだがタイトルに惹かれて選んでしまったから仕方がない。本文中に出てくる江戸の副菜や肴を、そばに来た細君を捕まえては読んで聞かせるので近頃は寄り付かなくなった。どうせ聞いていないだろうと思っていたら、焼いた茄子を浮かべた味噌汁が本の通りに夕餉に用意された。人に読んで聞かせたくなる本というのはやめたほうがいいのかもしれない。