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3月, 2023の投稿を表示しています

沙羅沙羅越え

まあなんと詰まらない本を書くものだと呆れながら読み終わって帯を見たら、テレビドラマで有名になった「妻はくノ一」の作者だという。たしかにドラマ仕立てにしたらいい画に収まるかもしれないが、文章としてはまったく見るべきものがない。佐々成政の立山越えだけを描くにしてももうちょっと工夫が欲しかった。(304/1000)

元銀行員失格

年金を満額いただけるようになって、そろそろ年金額の範囲内で遣り繰りしてみようじゃないかと細君と誓い合った。さりながらなんだかんだと出費も重なって、一緒に溜息つきながらネットで貯金を崩したところ残高がやけに多い。変だなと取引店に電話して調べてもらったらその分だけ残っていたのを忘れていたとわかった。まったくお気楽な夫婦だ。

定価のない本

戦後の古本屋がGHQ占領下で日本の歴史を全て否定させるために、古書を買い集めさせられGHQが接収するという構図を元にしたミステリー仕立てだ。歴史とはなんなのか、生き残っていく本とはなんなのかについて考えさせてくれる。徳富蘇峰、太宰治の作中で果たす役割が物語にスパイスを添えてくれる。(303/1000)

情けは味方、仇は敵なり

名古屋城の木造復元にあたってエレベーターをつけろと主張する人々と理解し合うにどうすればいいのだろう。もしも彼等が自分たちも近代設備付きお城など見たくないから残念だけど登るの我慢しますと言ったら。それでは気の毒だから、彼等を背負って見せてあげたいと申し出る人々が現れるのではないか。そういう人々を前もって組織する先頭に立てないものか。

青嵐の坂

散り椿に続く扇野藩シリーズだが、腐敗した藩重職と商人の癒着に立ち向かう主人公たちの苦闘がこの作者ならではの筆致で余す所なく描かれて一気読みだ。見えなくとも真はどこかに現れるものだ、人は知らず知らずのうちに他人を傷つけているものだから生きるとは罪滅ぼしすることなのだ、と主人公の妻にさりげなく語らせる作者の珠玉の警句がなんとも貴い。(302/1000)

無月の譜

藤井聡太くんが破竹の連勝を飾っている頃に書かれたようだから、六冠を戴いた今なら将棋ファンは貪り読む一冊かもしれない。奨励会を脱落した後、戦死した大叔父が実は伝説の駒師だったことを知り、シンガポールからマレーシア、ニューヨークまで遺作である駒を探す旅は奇想天外だが面白い。450頁の大部が辛くなる時もあるが、飽きさせない展開が後押ししてくれる。(301/1000)

町人 JAPAN

別段世間の流れに水を差すわけではないが、侍JAPANを首相官邸まで連れ込んだり、放送局を引き摺り回したり、烏合の衆がみなスマホをかざす光景は馬鹿馬鹿しくなる。もっと呆れるのは号外新聞を奪い合う浅ましさだ。ネットの普及していない時代ならともかく、瞬時に情報が得られるこのご時世に何の意味があるのやら。流行に易い町人に侍の価値など所詮わかるまい。

若い広場

だんだん5月14日の野外コンサートが近づいてきた。モニタースピーカーやギターアンプの手配を除けば概ね機材の準備は完了。あとは参加者の確定だったが、母校のサークルから現役学生2バンド、OBバンド1組の追加が決まった。計11組の参加バンドをどうスムーズにセッティングするのかが本番の課題だがスタッフと現役学生の若い力に期待しよう。卒業して43年、まさかこんな出会いが訪れるとは人生とは面白いものだ。

なかよくしてね

来月からの正式就任前のお試しで今日からスクールガードに行ってきた。通学団で揃って行きたくない子やら、しょぼんと俯いていやいや登校する子やらいろいろいるそうだ。下校時は一年生に特に注意を配って家の近くまで送り届けるのだが、彼らの方からいろいろ話しかけてくれるのが嬉しい。友達はこんな身近にいたのだった。

300冊読むと見える景色

年間に300冊も本を読んだ人の感想を読むと、300冊読んだ人にしか見えない景色が見えてくるそうな。3年かけてようやく300冊読んだ自分には及びもつかない境地かも知れぬが、なんとなくわかるような気もする。読めば読むほど自分の知識のなさに気づく。選んだ本にハズレがなくなる。好きな作家が7〜10人決まってきて全て読みたくなる。1000冊に到達したらどんな景色が見えてくるのだろう。

横濱王

横濱王、原三溪(富太郎)という実在の人物について、関東大震災で妹を失い天涯孤独となった主人公が自分の道を見出す道程を通してその三溪の人となりを描き出す。時代の流れや金や権力を持つ者を王とせず、己の王となりなさいと主人公に諭した三溪の言葉は進路に迷う現代人にも響く。震災、戦争で灰燼に帰してなお復興を遂げ続けた横濱を歩いてみたいものだ。(300/1000)

一年生になったら

地元に恩返しできることならなんでもやろうと、自治会の役員をやったり、市役所に勤めたり、市長選のお手伝いをしたり、音楽会を開催してきたりしてきた。今度は4月からスクールガードをやらせてもらえることになり、登下校する小学生と触れ合う活動だ。毎朝早起きして横断歩道に立ち、午後は校門まで一年生を迎えに行く。65歳の一年生だ。

闇の傀儡師

伝奇小説という分野がそういえばあった。鳴門秘帖の吉川英治や山田風太郎などが得意とした奇想天外、波瀾万丈の物語。蝉しぐれ、たそがれ清兵衛の沈潜した武士道世界とは一線を画しているようで、底流に同じ悲哀を湛えながら手に汗握る冒険ロマンが繰り広げられる。あっという間の上下巻600頁で、もっと読みたいと思わせる昭和世代にはたまらない一冊だ。(299/1000)

なんである、愛である

わがまま放題の90歳を超えた母に愛想が尽きて、食事を別にしたら会話の機会も減り入浴を勧める声掛けさえ面倒になった。煽りを食った細君が「風呂へ入ってもいいのか」と母に呼びつけられる羽目になったので一計を案じてご覧の告知板を掲げることにした。家庭内別居状態だが、母の言動にいちいち目くじらを立ててぶつかるより、お互いの距離感を保てる傘を選んだのである。

マスクとWBC

スーパーやら百均やら図書館に行ってみると、平日の昼間だから老人と主婦ばかりとはいえ、みんなマスクをしている。3年も習慣づけられてきてはそうそう外すのも思い切りがいるのだろう。朝から晩までWBCで大騒ぎしている日本人の風潮も外せないマスクとよく似ているような気がする。孤独な闘いは井之頭五郎にだけ任せておくか。

ロボマツコも知らないAIの世界

よくもあんなカッコいいホームページが一日もかけずにサラサラと作れるもんだと思ってくださった諸氏にあえて断っておこう。なんとあれはAIが要望を聞いて勝手に作ってくれるのだから驚きだ。ところが、スマホではテキストの編集ができるのにPCではできずほとほと疲れ果てたところに、ブラウザーをGoogle Chromeに変えた途端編集可能になった。AIも生身の人間の過ちまではサポートしてくれないってことか。

square musician

今年のひとつの目標が生まれ育った街への奉仕だが、市の助成金をあてにして駅前広場の活性化を目論んだプロジェクトを立ち上げた。助成金交付申請に必要な書類を整えるのに四苦八苦しながらも、プロジェクトに関するホームページも開設。予約システムとの連携なんていう高度な技にもチャレンジして頭の中は大混乱だ。はたして無事目標に辿り着けることやら。 square-musician

クッキングフィーバー

内職の音がしないなと細君の部屋を覗くと、スマホに向かって鬼気迫る指使いで何かに集中している。半年近く放っておいたが、漸く何をしているのか聞いたところクッキングフィーバーなるゲームに嵌っているそうだ。なんでも世界3位の実力にのし上がっているそうで、ものは試しに自分もダウンロードしてやってみたもののスピードについていけない。そういえば最近のんびり晩酌していると彼女の視線を感じるようになった。

たまり醤油たまりません

愛知、岐阜、三重の3県と九州でしか製造されていないらしい。汎用の醤油は大豆と小麦をブレンドしたものだが、大豆のみの豆味噌を醸造した樽から抽出される。ねっとりとコクがあり甘めだが刺身に合うたまり醤油。常連の焼き鳥屋で供される刺身がより旨いのもそのせいだ。やや高価だが、清酒に刺身を合わせるとたまりません。

商う狼

こんな名作と作者がいたとは驚きだ。前半部分で大袈裟だが滂沱の涙に咽ぶ。徳川家斉の放漫治世が経済の流れを変え、外様雄藩の経済力伸長を促した契機となった。架空の人物だろうが、時代の変化を読み取り果敢に抗った杉本茂十郎という商人が鮮やかな活躍を繰り広げてくれる。ベストテン入り間違いなしの推奨作品だ。(298/1000)

マスクのジレンマ

煩わしいマスク生活からやっと解放される。気の毒なのは接客業の社員の皆さんだ。来客との軋轢を回避するという錦の御旗を強要させる権利が企業側にあるのか。個人の判断と決めた政府の判断を企業の判断にすり替えるのは合成の誤謬かはたまた囚人のジレンマか。組織の論理を翳して個人の自由を制限する手口はいい加減やめてほしい。

人間の土地

メタファーというのは暗喩もしくは隠喩のことだそうだ。外国文学にありがちなメタファーで前半は難解だが、中盤以降の筆者の飛行機事故に伴う極限の体験は人間とは何かを充分に考えさせてくれる。人間が社会的存在であることを否定はできないが、理不尽な戦争や残虐行為に対しては人間の本然を尊ぶべきだろう。「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」とは名言である。(297/1000)

老兵は死んでしまうのか

定年退職して職場を去る際には、老兵はただ消え去るのみと達観していたのだが、歳の近い同輩後輩の早過ぎる訃報に接すると前段の文句が虚しく響く。消え去る老兵は、死なずただ消え去るのみだったじゃないか。たかだか40年齷齪働いてようやく手に入れんとしている余生を、まるで本を途中で閉じるかのように手放す。無念である。

黎明に起つ

北条という姓は早雲亡き後、子孫が名乗ったそうで、物語では最後まで伊勢(早雲改名前は新九郎)として最期を迎える。信長や秀吉の軍略や治世術ももしかしたら彼が先鞭をつけたのではないかと思わせるほど斬新だ。人が生きる時代とは自分で選べないという厳然たる法則が、当然でありながら悔しいと思える早雲の一生だった。(296/1000)

剣樹抄

天地明察は実に面白かったのに、まあなんともこの作品は陳腐だ。それなのになぜかテレビでドラマ化され、一話見ただけで見る気がしなかったのは当然だろう。いただけないのは、脈絡なく登場人物が現れて、その都度遡って読み直さなくてはならないことだ。いたいけな子供達を突飛なヒーローに仕立てたことに無理があった。 (295/1000)

まごわかわいい?

まごわやさしい、とは身体にやさしい食品の頭文字だが、たしかに自分の孫は可愛いものだ。可愛さ余ってついつい進んで面倒をみてしまって、気がつくと自分の生活が孫に振り回されてしまったりする。保育園の送迎ぐらいならともかく、食事や遊び相手まで付き合わされると、ようやく手に入れた自由な老後人生さえ失いかねない。頭文字をなぞるぐらいにしておくに限る。

羊たちの沈黙

メールを送っても返事がない。LINEは既読になってもスタンプすら寄越さない。自分で期限を切っておきながら経過しても梨の礫。今様の手紙も食べてしまう山羊のような相手に出くわすとこっちがめールめール泣きたくなる。相手が山羊なら悔しいが羊のように沈黙するしかない。リマインドという言葉は再確認するということらしいが、レクター博士ならそうするだろうか。

GIAN in Dr.Yellow

孫は「大人になったら乗れるの?」とママに聞いていたそうだが、結局ドクターイエローは落選となった。子供も同乗できるようになったらまた申し込むとしよう。彼が着ていたジャイアンのトレーナーが欲しくて買ったので、当選の暁には2人でお揃いの服を着て乗車だ。さっそく着てみると、細君から「ジャイアンみたい」と言われたのには参った。

輝ける闇

高校時代に読んだマルローの『征服者』が同じように難解だった記憶がある。抽象的な人間像ではなく具体的な人間の姿に真実を求めれば実存主義だろうか。少年時代の戦争体験をベースに、ベトナム戦争における人間の虚無と退廃を従軍記者として追体験する。三島由紀夫が否定した創作手法かもしれないが、流麗かつ修辞的さでは優劣をつけ難い作品だ。(294/1000)

カレーなる年金族

先月はなんとも酒浸りの日々だった。ライブハウスへ2か所、大須で飲んだり、大曽根で著名人と飲んだり、立ち飲み酒場、瀬戸線沿線酒マラソンとほとんど半月は飲み歩いていた。年金生活の身分で分不相応だが、飲み友達に恵まれていることに感謝するべきだろう。昨夜は立ち飲み酒場のカレーをタッパに詰めて持ち帰り細君とカレーうどんで締めた。いちばん感謝しなきゃならん相手は彼女かもしれない。

裸の王様・流亡記

四篇とも難解だが、根底に置いた哲学的思弁はさすがだ。裸の王様では子供の自由な能力開発を阻害する大人の利己主義、パニックは生態系の矛盾から官僚機構の閉鎖性を、なまけものでは戦後の混乱期における学生の混乱、流亡記に至っては秦の始皇帝による万里の長城建設がいかに虚しいものかが描かれる。改めて畏怖してしまう作家だ。(293/1000)