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4月, 2022の投稿を表示しています

アントキノイノチ

昨年急逝した親友の墓に参ったり、亡父のことを思い出すたびに、故人のことを追想してくれている人がなんと少ないことかと暗澹となる。誰かに自分が生きていたことを覚えていてほしいという願いは空しい期待なのかもしれない。あの時の生命をどれだけ慈しむことができるか、今この時を生きる者に負わされたテーマだ。解夏に次いで涙なしに読めない秀作だ。(168/1000)

春雷

蜩の記、潮鳴りに続く羽根藩3部作シリーズの最後を飾る一冊だそうだ。主人公が壮絶な最後を遂げる点で蜩の記に近いのかもしれないが、真の政道、忠義とはなんなのか全編を通じて問いかけてくる。目先の利害や名誉に囚われて正義を声高に主張するだけの愚か者が現実社会でもなんと多いことよ。読後酒でも酌み交わして語り合いたくなる一冊だ。(167/1000)

ピックにビックリ

いろいろギターのピックを変えてきたがどうもしっくりくるものがない。ピック程度でもともと下手くそな弾き方が激変するはずもなかろうに1,000円もするピックを買ってしまった。なんということだ!音がまるで違うじゃないか。同じギター同じ弾き方でなんでこうも響きが異なり、中低音までストロークが捉えるのか皆目わからんが、より楽しく弾けてることだけは間違いない。

ストップミュージック

夜中の10時頃だろうか、なにやら家の外からノリのいい音楽が聴こえてくる。誰かご近所の方がライブ演奏にでも興じているのかと思ったら、近くのアパート前に停車した車の中から大音響が発せられているではないか。助手席に陣取っていた外人に「ストップミュージック!」と伝えると「わかりませーん」を繰り返す。「わかりませーんという日本語はわかるじゃないか」と言って帰ってきたら静かになったのはわかったということか。

母性

神父やリルケの詩が挿入されるからか、これは一種の哲学書と言えるかもしれない。母性とは本能だと考える男たちには理解しがたいが、女性が持つ独特の存在論的認識を精緻に物語構成している。母と娘、姑と嫁、どこの家庭にもあるであろう精神的ジレンマを書簡と回想で語らせるこの作者の手法はやはり凄みがあるが、深重すぎて読むのが辛い。(166/1000)

追悼アカウント

いまさらだが、最近バンドつながりでアクセス頻度の増えたフェイスブック。ハーバード大学卒業の外人女性などから友達申請などが届いてうっかり承諾しがちだ。よくみると最近開設され、いいねも1回ばかりなのはアカウントの乗っ取り手口だそうだ。自分が死んだ後アカウントが不正に利用されないように追悼アカウントサービスなどもFBは設けているが、そろそろご厄介になった方がよさそうだ。

六花落々

六花とは雪の結晶をいうそうだ。収斂して雨滴と化せなかった水が芯の周りに六片の雪片を纏って雪の華となる。人の世も自分を取り巻く他者の情けによって浮きもすれば沈みもする。この作者らしく物哀しくも凛とした人生哲学が散りばめられた作品だ。江戸末期の武家社会の崩壊と新時代の萌芽に思いを馳せることができるだろう。(165/1000)

潮鳴り

映画などを観ていて感動のあまりボロボロ泣いて挙句の果て嗚咽する姿に、隣で観ていた細君に呆れられることがよくある。この人の作品で泣かされるのはもう何度目だろう。今回の作品は中でも最も泣かされたのではあるまいか。襤褸着て奉公ー落魄した人間が再度花を咲かす生き方によく似合う言葉だ。(164/1000)

君たちは老人ホームに入れるか

他人への心遣いや互いの干渉が煩わしくて一旦組織を離脱してみると、場所や立場が異なる組織に属しても抑圧は変わらない。家庭を基盤にしてちょこちょこ外部と接触を保つのが一番居心地がいい。不慮に伴侶を失い独居となったら、組織嫌いの老人はすんなりとホームという組織に溶け込めるだろうか。発狂するか個室に引きこもってしまうに違いない。

久保田 大吟醸

尿酸値の上昇がどこかに頭にあるのか、近頃野菜を無性に食べたくなる。「久保田の大吟醸」と見かけてついつい買ってしまったが、野菜サラダをあてに飲んでもこれがまた合うのが不思議だ。そもそも大吟醸は精米割合60%以下(久保田は50%)で醸造アルコールを添加してフルーティーに仕上げているから当然かもしれぬ。野菜を摂取して酒を飲む、また楽しからずやである。

逆境は自らを育む種である

訪問アポをとっておきながら約束の時間に現れず、こちらから電話しても通じない末に「私事で行けなくなった」とショートメールしてきて以後着信拒否にしていた保険会社の女子社員が雨の中突然現れた。着信拒否で子供が年賀状で出すようなポップ調のハガキを寄越してきたことも含めてこんこんと説教した。雨の日こそ営業の真価を示せる。負けないで成長の糧にして欲しいものだ。

ユートピア

この作者は書き出す前に徹底的に登場人物について人格や人となりを想定するという。まさにここでも物語の軸をなす3人の女性の内面が実在する人物でもあるかのように描かれる。女性特有の複雑な心理状況を見せつけられて読み進むのが怖くなる。本の帯に書かれた「善意は悪意より恐ろしい」という言葉が冷たく脳裏に刻まれる。(163/1000)

金土日本で会えたら

実現はしなかったが、次回もし同じ音楽会が開催できるならぜひ出演してほしいのがKatie Fordさん。先日のラジオ出演についてFacebookでコメントしたら、今回はダメだったけど次回は出たいとうれしいコメントが返ってきた。今週金曜日に鶴舞のライブハウス@KDハポンで生演奏されると知ってさっそくチケット予約した。森ではなくガード下の暗がりで聴くのも趣がある。

生存競争とはなにか

合宿形式の新入社員研修のサポートに行くと、彼等が移動バスの車内で「これから理不尽に耐えるんだ」と囁いていたと聞いた。理不尽?なんだその言葉、聞いたことないぞ。社会に出れば厳しいのは当たり前、厳しくない導入研修など聞いたことがない。なぜ厳しくされるのか得心させなければ理不尽と受け止められる世代だと気づいたのは自分が会社を辞めた後だった。ウクライナの人々はどう思っているのだろう。

成功の予感

野外コンサートがいよいよ一ヶ月後に迫ってきた。出演者に頭を悩ましていたら学生時代のサークルの後輩が名乗りを上げてくれたり、司会者を探していたら以前の勤務先の同期にプロの司会者である身内を紹介してもらえたりした。機材の調達やポスター製作まで仲間が手を貸してくれもした。いろんな人の好意に支えられた音楽会になりそうな予感がする。

Nのために

事実を積み重ねて昇華させなければ文学ではない。登場人物にそう語らせているように、Nのイニシャルを有する場所と人間で、それぞれの現実が重ね合わされて昇華する。行為と理由はいかなる場合も一対であるのだろうか。作者の問い掛けが重く響く。文学に耽溺している自分をふと疑ってみたくなる。(162/1000)

冬籠りまたよりそはんこの柱 芭蕉

短いながらも長く感じた二ヶ月と二週間であった。陽気は春というより初夏の兆しさえ呈して、木曜日の有休を消化すれば金曜日を最後にアルバイトも終了を迎える。女性ばかりに囲まれてそれなりに気も遣い気疲れもしたが、いろいろ勉強にもなったのは収穫だ。来年もと望まれてはいるけれど果たしてこの世にいるのかどうか。

告白

正直読み終わってぐうの音も出ない。こんな恐ろしい作品があったのかと驚くばかりだ。広島県因島の柑橘農家に産まれた少女が大人になって、かくも人間洞察に富んだ作品を世に出すと誰が想像しただろう。教育の矛盾、少年犯罪を裁く是非、子供の成長へ及ぼす家庭環境等々、現代社会の抱える歪みをこれでもかと問いかけてくる。また良書に巡り会えたことに感謝したい。(161/1000)

耳寄り餃子

大須で町中華を見つけた。事前情報皆無の飛び込みで若干の不安もあったが、座るや否や押しの強い女店員に注文の機会さえ奪われる。漸く注文すると前金制だという。えっーこんな町の中華料理店で前金?渋々支払って瓶ビールを飲んでいると出てきた餃子のなんと旨いことよ。昼頃には店内は超満員。前金制でなければ客を捌けぬ理由が飲み込めた。香蘭園 ☎︎052-241-6380

騎手の誇り

優駿のような馬と周辺人物の物語かと思いきや、躍動感ある競馬と騎手の物語で、クライマックスは泣かせてくれる展開だ。ファンタジーはダメでも大衆小説はそれはそれで面白いのかもしれない。旅の途上などで列車の中で手にして読むにはもってこいの分量と内容だ。(160/1000)

ミサイル飛んだ

ヒロシのぼっちキャンプで焼かれたトマホーク(斧)はスーパーで800円だったが、黒毛和牛A5ランクとなるとなんと30,000円ではないか。下水道工事の見積りが予想の1.5倍の金額だったことよりも驚きだ。年金生活の身に黒毛和牛は分不相応だが、生活環境の向上には高額出費も致し方ない。とんだトマホークが飛んできたものだ。

幻想寝台車

世にファンタジー小説などに分類される文学ほど馬鹿馬鹿しいものはあるまい。「おかえりMr.バットマン」で懲りたはずが、感動物語の一言に釣られて読んだのが運の尽き。最後まで読み切るのさえ阿呆らしかったが兎も角も読了した。1964年生まれの女性作家だが、まるで漫画のようなストーリー展開と文体に改めて古典の大切さを思い知る。(159冊目)

みむろ杉

な、なんなんだこの酒は!まるで濁り酒のようではないか。といって全然甘くない。ふくよかな喉越しと芳醇な味わい。こんな酒に出逢っことは未だかつてないという逸品だ。調べてみると奈良の今西酒造製造で、なんと利き酒体験ツアーもやっているとか。さっそく細君と近鉄電車を乗り継いで向かわねば。

森の音楽会その後

旧交のご縁で5月の野外コンサートにオーストラリア出身のシンガーソングライターKatie Fordさんに出演依頼することができた。残念ながら当日に金山アスナルで行われるイベントに2度登場することになり出演は叶わなかったが、こんな素敵な歌姫にオファーできたことだけでも収穫だった。来年もしまた同じコンサートが開けるならなんとしてもおいでいただきたいものだ。

Meta プーチン

ここ数日来Facebookとinstagramの連携に悪戦苦闘していて、遅まきながらFacebook社が社名をMetaに変更していたことに気づいた。3次元に新たな仮想空間(メタバース)を構築するそうだから連携もさもありなんだ。虐殺はフェイクだと言い張るプーチンには届かない発想だろう。待てよ、平和ボケしてる日本人も同じか。

千冊回峰

数少ない小欄の読者から「いったいいつまで読書を続けるの?」と聞かれることが増えてきた。この歳だから立花隆に倣って3万冊読むには残された時間が足りないので、千日回峰じゃないが千冊までは日々黙々と読み重ねたい。千日回峰は悟りを得るためではなく、悟りに近づくためにやらせてもらう行だそうだ。千冊の本の峰を辿って多少でも近づければいいのだが。

無暁の鈴

西條奈加の作品を6冊連続読んだことになる。死とは何か、生とは何か、生きる苦しみからどう救われるのかについて深い洞察を与えてくれる。仏前で鈴を鳴らしてその響きに一瞬無我の境地に到達することがあるが、本作品も読後は鈴の余韻のような感動を与えてくれる。実に恐ろしい作家である。(158冊目)

与えられたプライド

アルバイトもあと二週間を残すのみとなった。二ヶ月間放ったらかしだった細君への罪滅ぼしもあって、近くの森林公園へ花見に出かけた。テント、ギター、弁当、ノンアルビールやらを担ぎ入れ、日々のそれぞれの重荷はそこに置き捨てる。帰りには二日後に一周忌を迎える親友の墓参をして線香を手向けた。数年でそちらへ行くからなと語りかけたのも余生を生きるプライドだ。

隠居すごろく

図書館で30人待ち、Amazonで入荷待ちの人気作品。同じ隠居に入った者の境涯を知るにはこれほど時宜を得た作品はあるまいと買い求めたが、2枚目のすごろくに挑んでいるんだなと励まされる。ちょうど泊まりに来ていて傍若無人振りを発揮している孫娘たちに閉口していた己が気恥ずかしい。(157冊目)

待つを待つわ

果報は寝て待て、待てば海路の日和ありというが、なかなかこの歳になっても朗報を待つのは辛いものだ。いやこの歳になったからこそ待つという時間が惜しいような気がする。所詮なるようにしかならないと頭ではわかっているつもりだが、色良い返事を待ち焦がれてスマホの画面を何度も開いてしまう。待った分だけ喜びもきっと一入なのだろう。