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9月, 2021の投稿を表示しています

日付変更線 (上)(下)

荒唐無稽というだけでなく物語全体がご都合主義とこじつけで出来上がった稀に見る駄作というほかない。年齢はいくつも違わないのに、この程度の浅薄な思想ばかりを上下巻にわたってよくもダラダラと書き連ねたものだと恐れ入る。読み終えるのが苦痛であったし、費消した時間の無駄を考えると、読書という飛行機に乗って時差ボケさせられた日付変更線そのものだ。(81冊目)

iOS15も悪くないでしょ

日曜日の家電量販店、商品について質問したくても店員が一箇所で顧客対応に忙殺されていて見つからない。iPhone13に客が押し寄せているのだった。13はともかくiOS15にアップデートすればインスタの画像やURLがコピペできると知ってやってみたができない。結局Safariでインスタにログインすれば可能だと分かり、試しに福山雅治のマネをする大泉洋の画像を載せておきました。 https://www.instagram.com/p/CUV3bW9BmRD/?utm_source=ig_web_copy_link

介護してほしいわけでは・・・

若い頃彼女が大好きで、大府市のスーパーの屋上で催された握手会に並んで握手してもらったくらいだ。夕食時にテレビに彼女が出たりするとついつい箸を止めて見入っているらしい。らしいというのは、細君に「あんな子にお嫁に来て欲しいんでしょう?」と言われて思わず「うん」と答えたからだ。倅にそんな期待をどう伝えたらいいんでしょうね。

夫婦の読書

図書館が休館中だから、このところふたりでブックオフへ行って本を探す。細君は内職に疲れると気晴らしに読んでいるようだ。お互い自分の部屋でそれぞれのペースで読み進む。読みながら泣いてしきりに鼻をかんでいるのは夫の方だ。静かな時間がふたりの間に流れているのを自覚すると幸せだと思える。読む本は違っても読書というものは思い遣りの気持ちを育ててくれる。

解夏

いくら乱読とはいえ「さだまさし」は対象外だという先入観に抗って読んでみたら泣けて泣けて鼻をかみながらが数度に及んだ。「死を恐れる気持ち」は死を迎えれば一掃する。なんと明快な答えであろう。解夏を始め秋桜、水底の村、サクラサクの四編とも家族、親子、夫婦が美しい和音を奏でている。世俗に疲れた時には一服の清涼剤となる一冊だ。(80冊目)

アルジャーノンに花束を

誤解を恐れずに述べさせてもらうと、精神遅滞者や幼児、認知症老人に見られる社会性の欠落は容認できても、剥き出しに露呈される自己保存の欲求を直視できない経験はおありだろうか。人間とは社会性という衣服を脱げば所詮本能の囚人に過ぎないのである。読み初めから面食らう文章に出会うが読了すれば人生とはなんなのかについて深い洞察を与えてくれる。(79冊目)

芙蓉の人

山岳小説といえば井上靖の「氷壁」やこの作家の「孤高の人」を学生時代や若い頃に読んで以来か。富士山観測所の発端が野中夫妻によって切り開かれたことに新鮮な驚きを感じざるをえない。山頂を極めることより下山する勇気が登山の真骨頂だということが、夫妻の辿った極限状況から読み取れる。富士山に登ってみたくなった。 (78冊目)

栄花物語

日本史の常識では賄賂、金権の代名詞である田沼政治だが、本書が再評価の先鞭をつけたのだろう。抬頭する商業資本主義を金融の仕組みで幕府財政と融合させようとした彼の改革が遮られたことが後の幕府の瓦解を早めたともいえる。100年早く生まれ過ぎたのか、政治とはそういうものなのか。「罪は人間と人間とのあいだにあるもので、法と人間とのあいだにあるものじゃない」総裁選を傍観しながら重く響く。(77冊目)

現実物語絵巻

我が国で三大悪女と称されるのは日野富子、北条政子、淀殿だそうだ。小説を読みながら「バカだなあほんとにバカだなあ」と登場する女性人物を声に出して嘆くことが実に多いので、細君が嫌な顔をする。作者が男性のせいかもしれないが、必要以上に無分別で感情の赴くまま浅はかに行動する女性のなんと多いことよ。歴史も物語も女性がつくるのが現実なんですかね。

あかね空

けっして歴史上の人物や家族を描いたわけではないのに、この存在感はなんだろう。江戸期における豆腐屋の悪戦苦闘を題材にしながらも、戦国絵巻のように家族のドラマが繰り広げられる。400ページをあっという間に読破させてしまうストーリーテイリングに、初めて読んだこの作者の異色の経歴を加味すると俄然他の作品も読みたくなる。(76冊目)

ちょっとまった!

アサヒビールも生ジョッキ缶で味を占めたんだろう。生産が間に合わないともっともらしい理由をつけて購入心を煽る。復古版のマルエフとかもその手法だ。二匹目のドジョウが柳の下にそうそういるもんじゃない。相変わらず生ジョッキ缶の供給がカバーできてないのも、意図的なマーケティングだと見透かされていることにどうして気づかないんだろう。

いちにちという贈り物

毎朝記憶を失うという大庭英俊さんにとって毎朝の日課は運転免許証を見て自分が誰かを確かめることだそうだ。90歳になった我が母も前日のことはほぼ忘れている。日々新鮮だよねと妙な慰め方をしてはいるが、死を恐れず一日一日を大切に生きるための贈り物かもしれない。「一日」をスマホで入力する際に全ての文字を左側にスライドさせるのも誰かの贈り物だろうか。

道具の神様

楽器屋の店主に教わった通りにギターの弦交換に挑戦してみた。撮らせてもらったビデオを何度も復習した上でいざやってみるとボディが動いてうまくいかない。細君にボディを支えてもらったのだが、ネック・クレイドルなる便利なグッズがあるじゃないか。彼女にそういうと主婦は道具に代わるような日用品を転用して対処するんだそうだ。神様曰く「男はすぐに道具に頼るからダメ」

It is no use crying over spilt milk.

高校時代に英語の授業で誰かこの文章を訳せる者はいるかと先生に言われて、密かに恋心を抱いていた彼女だけがスラスラと答えたのが思い出される。マゴ二人を連れて喫茶店に入ったのはいいが、熱湯のコーヒーをひっくり返してマゴの腕にかけてしまった。なんたる失敗かと河村じゃないが反省、猛省、自戒だ。こんなことでマゴに嫌われたらと思うとスラスラと答えたあの時の彼女がなんとなくうらめしい。

真実の口

別荘利用権を売るまでは熱く語ったのに(ちょっと饒舌過ぎたが)、いざ買わない意思表示をすると途端に冷たい態度に切り替わった。若い営業マンだから仕方ないとはいえ、営業とは断られてから始まるという基本がどうやらわかっていないようだ。しつこいと感じさせない熱心さをどう示すか、嘘の気持ちがあると抜けない口にでも手を突っ込む経験をしてほしいものだ。

五百円玉の旅がらす

ダメ元で細君が申し込んで当選してしまった一泊二食500円の旅。緊急事態宣言で延期して軽井沢をキャンセルして箱根に変更とあいなった。大涌谷の温泉に浸かり金目鯛の煮付けに舌鼓を打ち満喫。全国47箇所の別荘利用権を200万で買わないかという体験宿泊だ。結局購入はお断りしたのだが、販売担当者の掌返しの対応に「何事も人だね」と細君と頷きあったのだった。

妻にうどんを打って出す日

うどんは飲み物だというのがうどん好きな我々夫妻の常識だ。噛まずに喉越しを堪能しながら飲み込む。香川県の「おか泉」といううどん屋の岡田さんが麺を打つ姿をテレビで見て俄然やりたくなった。市の公民館で「手打ち蕎麦とうどんと料理講座」が11月から4回開催されると知って申し込んだ。いよいよ料理の世界に参入だ。

民主主義と自由主義

この堂々たる喫煙ぶりが話題になった2歳の愛煙家インドネシアのアルディ•リザルくん。今頃どうしているだろうか。東京地裁に禁煙強要は不当だと提訴した国本康浩さんに関するツイッターは嫌煙家からの罵倒の嵐だ。もしもスマホの電磁波が有害だとしたら?もしも車の排ガスがタバコより有害だとしたら?もしも化粧品の成分が周囲に健康被害を与えるとしたら?キリがない。

最後の記憶

ミステリー分野で日本一と聞いたので早速読んでみたが選ぶ作品を間違えたようだ。解説によれば本書はミステリーというよりホラーだそうで実験的作品だとか。たしかに500ページ読み終えても原因と結果が繋がらないまま終わってしまう。本格的なミステリー版をまず読むべきだろう。(75作品目)

落日燃ゆ

思想だけでなく非を認めないことでは最右翼の安倍、菅に劣らず、総裁候補らの無定見ぶりは戦前の軍人のようだ。軍部の暴走を止めようと外交手段を巡らせたのに、文官ただ一人のA級戦犯として黙して処刑を受け容れた広田弘毅。コロナが非常時だとするなら、ほんとうに必要な総裁候補とはこういう人なんだろう。

長良川鉄道

俳句の先生が病に倒れた上にコロナもあって、中日文化センターでの俳句講座も閉講のまま終わった。目ぼしい講座もないなと思っていたら、長良川鉄道専務の坂本桂二さんによる講義と現地実習があるという。早速申し込んだら満員でキャンセル待ちだったが、センターからわざわざ電話をいただいて追加日程に加えてもらえた。「ほろ酔いプラン」のある列車に魅せられたのだと細君に白状したら呆れて付き合ってくれるそうだ。

流星ワゴン

たしか一度読んだことがあるはずだと読み進んだが初めてだった。読んだことのある細君から勧められた記憶がないのは、余裕のない現役時代を過ごしていたせいだろう。自分の子供たちにはなにもしてやれなかった父親だったなという後悔が湧き起こる。亡父や4月に亡くなった親友についても同じだ。人生はやり直しのきかない選択と悔悟の繰り返しだと納得させてくれる一冊だ。

塩レモンペーストレポート

実際に食してみてどうだったかと問われると、ウーンと答えに窮するのが正直な感想だろう。直接舌に乗せてみると当然ながら塩っぱい。勧められたレシピ通り唐揚げや焼肉に乗せて食べるとたしかに爽やかな風味が感じられる。存在を知ったテレビ番組でどんな料理に使われていたかを忘れてしまっていたのが返す返すも残念だ。

それまでの明日

ハードボイルドの日本代表作家という評判で読み始めたものの、チャンドラーや村上春樹に比べて無駄な情景描写に辟易させられる。ベストセラーに名を連ねる作品にミステリーものや推理物が多い理由と失望がそこにある。映像として視覚で捉えるか、旋律として聴覚を駆使するか、文学の味わい方には割り切りが必要だということだ。

辛いなる一族

赤から鍋は食卓の定番だが、イチビキとコラボした赤からカレー鍋がうまい。うまいんでもう一度食べたいと探すが店頭に見つからない。仕方がなく同じくイチビキ版塩レモン鍋を食したところ、鍋はいまいちだがシメのパスタは絶妙な出来だ。カップヌードルの辛麺も新発売だがこれも旨辛くてスープまで飲み干せる。夏バテ気味の方にはどれもおすすめだ。

春風伝

おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけりー有名なこの歌が高杉晋作と病床の彼を看護した望東尼との合作であったとは知らなかった。28歳で維新を駆け抜けた生涯を葉室ならではの筆致で見事に描いた作品だ。おもしろくするのは、地位でも名誉でも成功でもなく、こころなんだなといま一度確かめさせてくれる。

毒味と毒見

よっぽど映画を観にいこうかと思ったが、どうせ首相の座から滑り落ちるだろうから今更観てもしょうがないとパスした。やはりその通り毒見するまでもなかったというわけだ。この男を買い被って敬意を表したりするのは、よほど世の中の動きに無知な楽天家だろう。敗者や去る者に美談はつきものだが毒味させられて死なずにすんだのは美談といえよう。

塩レモンペースト探訪記

テレビで紹介されるとすぐ試してみたくなるのが悪い癖だ。塩レモンペーストも正体を確かめたくて細君とあちこちのスーパーを訪ね歩いたが見つからず。諦めきれずにAmazonで注文することにした。モロッコ生まれの万能調味料らしいが、果たしてどう料理に付け合わせるか楽しみだ。

ドナウの旅人 (上)(下)

女が判らん男は人生も判らん、というセリフが出てきたが、旅の始まりから終わりまで女性心理の不可解さに振り回されっ放しだった。そんな展開はありえんだろうという非現実性にも降参だ。これで女心も分かるわねと細君にひやかされながら完読したものの、38歳の作者にしてみれば精一杯だったのだろう。「優駿」が35歳だったことに照らせば作品の落差に驚かされる。

飛んで本に入る本の虫

外出自粛を前向きに楽しむ読書三昧。8月は13作品23冊を読破した。困るのは図書館の蔵書についてくると思われる虫だ。飛蚊症の成せる現象ではないらしいと気づいてから、虫除けスプレーを散布したりしているものの敵は手強い。いっそ無視するのがいいのだろうが、なかなか虫のいい対策はない。虫の知らせも虫の息、虫も好かんが虫の居所も悪い。苦虫でも噛み潰すか。