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6月, 2020の投稿を表示しています

ご隠居の酒場放浪記〜新時代

今夜は久しぶりの酒場放浪記。どこへ行っても我々夫婦しかいない酒場ばかりから、ようやく誰でもいる普通の酒場に戻ってビールも進む。なんてったってビールが190円は驚愕の安さだ。ノンアルじゃないかと疑いたくなる。ともかくこの店の名物は「伝串」というカリカリの鳥皮で、二人で12本も食べたがもっといけるくらいだ。勘定は締めて二人で4千円。新しい生活様式は御免だが、新時代は大歓迎ですね。

デヴィ夫人を探せ

土曜日の無観客コンサートは演奏時間30分とあっという間でしたが、初めての単独ライブを大いに楽しんだ。先週のライブ配信の分も兼ねて、メンバープラス細君、ゲストボーカリストの5人で柳橋まで遠征して打ち上げ花火ならぬ打ち上げ「炭火」焼肉。いよいよ来月は観客動員の単独ライブ。はたして何人が観にきてくれるか見当もつかないのは、この壁写真の中からデヴィ夫人を探すようなものですね。

ゾーン・ポリティコン

人間は社会的動物である、とアリストテレスが言ったとされているのは誤解らしい。「人間は自己の自然本性の完成を目指して努力しつつ、善く生きることを目指す人同士の共同体を作ることで完成に至る、他の動物には見られない自然本性を有する動物」だそうだ。進んで自粛したり、暑いのにマスクを外さないのは別段アリストテレス的ではないわけだ。社会という無言の圧力に盲従せず、善く生きることを目指す人でありたいものだ。

手に職をつけるということ

新しく剪定のお仕事をご紹介いただいた。先日のライブコンサートで司会者から「何を剪定するんですか?」と問われ「人間です」と答えたのを細君は「すべったすべった」と小躍りしてからかうが、当人としては大真面目に答えたつもりだ。新生活を始めて以来、交わる人々の話をよく聞き、人となりを見極めて相手に合わせる。樹々がどの方向へどう伸びていきたいのかを見定めるのと同じだ。そういう修練の先にきっと手に職を身につけることができるのだろう。

子どもたちを犠牲にしてはいけない

先日細君と居酒屋へ向かう道すがら、行き合った通行人が言っているのをきいて驚いた。なんでも小生の出身校でもある地元の中学校の修学旅行は県内に決まったそうだ。おいおいそんなのありか、県内のどこへ行こうというのか。修学旅行といえば生涯記憶に残るものだ。専門家会議を解散ではなく廃止して策謀に蓋をし、首相が料亭通いを始めているのに、子供たちになお予防を強いるのは大人の身勝手というものだ。

「はいります」

後漢書によると、費長房という役人が仕事を終えて何気なく2階から街路を眺めていると、露天商の老翁が店をたたんで壺の中に消えた。翌日老翁にせがんで壺の中に連れて行ってもらうとそこは理想郷の別天地だった。「人間はどんな境地にあっても自分だけの内面世界はつくりうる。いかなる壺中に天を持つかによって人の風致が決まる」と安岡正篤は説く。酒に酔って浮世の憂さを晴らすの意も肯けるが、毎日壺の中に押し込まれたような苦渋を味わいながらも天を仰ぎたいものだ。

ケータイ・アショア

ガラケーもあと数年で使用不能となるのに加えて、転職した通信会社のケータイに替えたい娘のニーズもあって夫婦揃ってスマホの機種変更をした。娘のおかげでショップに足を運ぶこともなく取り替えれたものの、メアドの変更だけは逐一自分でやらねばならぬ。これがもうめんどくさい。ナンバーポータビリティが可能なんだから、アドレスもドメインを共通化すればいい。海上に配備できて丘で配備できない理由をケータイの棲み分けに喩えては防衛上問題があるか。

六中観

安岡正篤は「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡すばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」ことを忙中閑と著した。苦中楽、死中活、壷中天、意中人、腹中書と併せて六中観とするのだが、まさに今の自分は忙しくて堪らない。今週土曜日はまた無観客コンサート、7月18日は観客30人上限コンサート、7月5日からは次の剪定作業が待っている。自ら求めているわけではないのに、この忙しさに息が詰まりそうだが、実はそういう忙中にこそ真の閑があるのかもしれない。

あの素晴らしいバイオリンをもう一度

なんとか無事に本番終えました。ロビーでの演奏とはいってもライブ配信されているかと思うと緊張感は高まる。ただ先陣を務める気楽さも同時にあって、なによりもトリを務める小学生のバイオリンが圧巻で、リハの最中から涙が溢れて止まらない。小学校5年生の彼に癒されたいい一日でした。ビートルズの前座のドリフターズの心境です。彼のお母さんから生まれたばかりの娘の名前が「みさき」で、「岬めぐり」を喜んでいただいたのがなによりも救いでした。YouTubeは こちら

観客3人の大コンサート

午後7時30分明日の本番前リハを開始。観客はメンバーの配偶者1名づつだけ。たっぷり練習は積み重ねたものの、やはり大ホールの舞台に立つと緊張はいやがうえにも増す。明日の3曲、ついで来週土曜日に女性ボーカルをフューチャリングして披露する3曲、最後は一人づつ持ち歌を歌って全9曲やりぬいた。PAのボリュームバランスをとるのに手を焼いたものの、バンドらしいまとまりは多少備わったかなという手応えでした。これだけミスを重ねたのだから明日は思いっきりやれそうです。

句会やめ戻った月謝で麦酒飲む

新しい環境に慣れるというのはやはりそう簡単なことではないですね。前の職場で70人もの仲間を一般企業に出向させ、早く慣れろ、プライドを捨てろなどと偉そうに説教していた自分が恥ずかしい。俳句教室から行けなくなった分の返戻金が届いたので早速細君といつもの居酒屋へ繰り出し、ビールを飲みながら世話役だった女性に一句捻ってメールした。ビールで今日の鬱憤は洗い流せるが、過去の月謝で飲むビールはやはり苦いものだ。

ミステリーオブザアロハ

日曜日のライブ演奏に備えてメンバーの衣装を揃えようということになり、季節柄アロハシャツで決めることになった。今時の若者はアロハなど着ないだろうと、初めてZOZOでネット注文してみたのだが、到着は本番ギリギリになりそうだ。しかたがないので予備を買い求めに量販店へ行ってみたら結構陳列されていることに驚いた。アロハシャツはハワイに移り住んだ日系移民が和服から作ったものらしいが、街中を着て歩いている人をあまり見かけないのも不思議な話だ。

明日より今この時が大切だ ご隠居心の俳句

和服まで買い求めてその気になった俳句教室もとうとう3月以降コロナで中止。どっちにしても4月から働きはじめたんで行けなかったんだが、なんとなく不完全燃焼は否めない。歳時記でも眺めてたまには一句捻ろうかとも思うが、バンド活動、剪定作業で休日はほとんどそんな余裕もない。心の余裕がなくば明日のことを考える気も起こらぬというわけだが、であるならば明日のことより今日一日をどう生きるかを考えるしかない。老境とはそういうものであるのかもしれぬ。

星空のディスタンス

いよいよ日曜日の本番が近づいてきた。毎朝毎晩一人猛練習に明け暮れる一週間になりそうだが、前日の土曜日は午後7時半からなんと大ホールを使わせてもらってリハーサルを1時間やることになっている。本番の3曲を含め全部で9曲演奏するのだが、観客は家族限定なので5、6人といったところか。こんなだだっぴろいホールにそんな人数だからソーシャルディスタンスどころか、アルフィーの「星空のディスタンス」だ。一応やっとスマホに変えた細君に録画を頼んだんで、上手く撮れていたら誌上でご報告しますね。

消えたハクション大魔王

在宅勤務の娘が出勤日を迎えて1歳半のマゴを預かる日。好奇心いっぱいのマゴは至るところを歩き回るのだが、突然かわいいクシャミをして気がついた。そういえば人間のクシャミを聞いたのは久しぶりだ。誰もがまるでクシャミをしては犯罪者にされんばかりにこらえていはしまいか。吉永小百合はオナラをしないという都市伝説がかつてあったが、こうなると人間のクシャミを聞いたことのある人も地上から消え失せるのかもしれない。

ターゲットにされたゴトウ63

一歳の男のマゴがブチ破った網戸の修繕で、「くらしのマーケット」なるサイトから頼んだ人に来てもらって直してもらった。こんないいサイトがあるのかと、自分も剪定作業で申し込み登録をしたところ、「半年間自分で仕事を見つけて実績をあげたら本登録となります」だと?どうやって実績など証明するのかと問うと領収書を差し出せという。おいおい俺はガソリン代と処分費用だけの実費しか頂くつもりはないのだぞといっても始まらない。彼らは要はピンハネが仕事なのだ。欲しければその分だけお礼に差し上げるつもりなのに、わかってないよなあ。

芸能人は歯が命だというはなし

芸能人でもないのに昔通った歯科医院の女性衛生士によく言われたものだ。 しか しその言いつけを守らなかったために今では歯もボロボロ。 しか たがないので残った歯を大事にする しか ない。歯が命なのは芸能人ばかりでなく接客業もだが、いつまでマスクをつけていなければいかんのか しか い(視界)不良だ。母親に連れられて窓口に来た小さな子どもに声をかけてもマスクのない笑顔に しか ずだ。 しか らば誰かを しか って鬱憤を晴らせぬものかとテレビの芸能人に向かって悪態をつく しか ないのである。

反比例の中の至福

1/fゆらぎとはスペクトル密度が周波数fに反比例するゆらぎのことだ 。 ろうそくの灯とか 草木が風にそよぐさまもそうだし、ボーカリストの何人かの声にもそれは現れるらしい。今夜も細君と飲んでいると、こんな好き放題してると早死にするわねと言いつつ、でも今日一日が最後と思えばいいのよと言われて成る程と思うのであった。80年の生涯の1年か、1年の内の1日かfの実数はわからぬが、1を大切にすることが人生にゆらぎという至福を与えてくれるのであろう。

大きなソシキの木の下で〜

伐採した枝を電動ノコギリで切断し、依頼主に引き渡して今回の剪定作業も終了。会社と違って自分のペースでやれる仕事がこんなに愉快だとは思わなかった。無報酬は無責任を招くと細君に小言も言われるが、社会奉仕だと割り切れば苦にならない。なにより樹々がサッパリして生き生きと蘇ってくるのを実感できることが無上の喜びだ。会社の仕事も社会奉仕だと思って取り組めば、残された9ヶ月もさほど苦痛でなくなるかもしれぬ。元来組織に向いていないのか、はたまたそうなったのか。

それってコロナのせい?

日曜日半日かけて仕掛かり中の剪定作業も終了。残ったのは切り離した数本の枝の解体だが、これを手動の鋸でやろうとするとさらに半日はかかる。そこで思い切って電動ノコギリを買い求めに仕事が終わった後Kホームセンターに行ったのだが、一番人気のK社ブランドの製品は充電器が在庫切れ。なんでも自粛中のDIY流行りで売り切れとなったそうだが、本体はあるのに充電器がないとは在庫管理もいい加減だ。結局AmazonでKIMOのノコギリを注文したのだが、なんでもコロナのせいにするキモちがちょっとキモい。

倅の誕生日プレゼント

明日は誕生日だからどうやって過ごそうかと正直悩んでいた。気の合う同期入社の仲間と飲み明かすのがベストだと思っていたが、定年後の人生にもみんないろいろあってなかなか一堂に会せない。不興を買ってもいちばん嫌いなドタキャンをして、集まれぬ人へのアピールをしたつもりだが心中殺伐としたものだ。と今日仕事を終えて帰ると、このところ休日返上で働いて代休の取れた倅がワインの誕生日プレゼント。不覚にも落涙しつつ受け取ったのであるが、彼とゆっくり飲み明かすのがベストな選択であったと納得する涙もろい父であった。

一年生の給付金

新一年生になった孫娘が言ったそうだ。 (マゴ)「莉乃ちゃんの10万円はいつもらえるの?」 (ママ)「ママが預かっておくわね」 (マゴ)「ええ〜!」(不服そうに) (ママ)「わかった。じゃ10円あげるね」 (マゴ)「えー!10円ももらえるの?やったー!」 10円もらって狂喜乱舞していたそうです。

ロックだぜ!ベイビー!

同居しているにもかかわらず、一階で起居していて侵入者に襲われるのではと家人をあてにしない高齢の母。業務多忙で毎晩帰宅の遅い倅の帰りを待たず玄関を施錠してしまう。その度に細君が解錠するのだが、この際思い切って鍵要らずのスマートキーを手配して取り替えることにした。ドア1枚取り替えれば工事費込みで50万は下らないと聞いていたので、Amazonで12,000円で買ってDIYすることにしたのだが、やってみるとこれがなかなか手強い。ギリギリの位置に設置しないとオートロックが起動しない。半日かけて漸く完成、やったぜベイビー!

百恵人語

知らなかったが、豪邸を建てたばかりの三浦友和の仕事が激減した時、彼女は「10万円なら10万円の生活、千円なら千円の生活をすればいい」と夫に言ったそうだ。いよいよ来週年金の裁定請求に行くことになって、今の仕事を来年3月まで我慢して続けた後は年金生活なんだなとしみじみ思う。もらえる分だけの生活スタイルに変えていくのにさほど抵抗感はないが、金銭に換算できない何かを社会に還元できるのかと問われると些か怪しい。せめて家内という天の声に耳を順える夫でありたいものだ。

ライザップ・シンゾー

業界言葉でそういうかどうか知らんが「うーでんつ」とかいう会社や、サービスなんたら協議会などという組織はまさにコロナ太りだ。持続化給付金のピンハネに当局も一枚噛んでいるみたいだし、マスクで儲けさせてもらった連中などかわいいもんだ。泣く泣く廃業、倒産せざるを得ない企業にとってはやってられないだろう。料亭や高級レストランを接待を伴う飲食から外して女将や愚妻の機嫌を取る前に、お友達みんなで減量に汗を流したらどうか。

反省する猿

前向きに取り組めば仕事に失敗はつきものだと部下を励ましてきた。成功したければ失敗しろと職場体験の学生にも言い聞かせた。そうは言っても失敗すると凹む。そんな時電動裁断機を使ってみて成る程と合点がいった。この代物は2つのボタンを左右の手で同時に押し続けないと刃が動かない仕組みになっている。なんと面倒な機械だと思ったが、誤って手指を切断しない工夫だったわけだ。仕事とは零れ落ちる信頼関係を両掌で掬い取るものだったんですね。

ご隠居の酒の肴講座「歯鰹の刺身」

読者諸氏はハガツオなる魚をご存知であろうか。コロナ真っ盛りの最中に世間の眼を憚らず毎週訪れていた馴染みの居酒屋の店長が出してくれて知った魚だが、これがうまいのなんの。カツオというくらいだから鰹の一種かと思いきや、スズキ目サバ科の魚で鋭い歯が特徴の変わり種だ。なかなか手に入らぬと諦めていたらなんと今夜の食卓に上った。聞けばマグロより安価だという。日本酒愛好家の方ぜひお試しあれ。

モンサンミッシェルの潮の満ち引き

ふたたびの宮仕えもようやく2ヶ月が過ぎ、若者に小突き回される毎日に飽き飽きしてきたところだ。当初4ヶ月を限度に面接したのに1年契約にしたこの仕事だが、なにも忍耐に忍耐を重ねて満期まで勤める義理はない。お世話になってる倅は倅だ。今月末あたりに家庭の事情を持ち出して干からびる前に辞めるのも一手だ。そんなふうにけつをまくる覚悟をしてみると、案外気が楽になるから不思議だ。満潮で溺れるか干潮で塩漬けになるか神のみぞ知るだ。

カラオケは遠くにありて思ふもの

いざリアル飲み会を再開しようということになり、盛り上がってカラオケになだれ込もうにも肝心なカラオケ店がやってない。室生犀星じゃないがまさに遠い存在のまま、そしてひとり「悲しくうたふもの」だ。終息したかと思えば、ゲリラ的にクラスターが発生するいたちごっこ。いたちごっことは、左右の手を互いに重ね合いながら相手の甲をつねり合う子供の遊びから生まれた諺だそうだが、マイクも握れないほどパンパンに腫れ上がってきた手の甲が痛々しくなる。

トライに成功したアルムおんじ

ついにやったわい。オーディオインターフェースに取り組んでおよそ1ヶ月、各自が演奏した楽器のミックスダウンまではできていたのに、なぜかボーカルだけミックスできなかった。わかってしまえば簡単なことで、ボーカルを入れるコンデンサーマイクの入力ポジションが楽器とちがうので、入力ソースを変更してやればよかったというただそれだけのこと。ヘタクソでも自分の声がレコーディング歌手のように多重録音された時の感動はクララが歩いた時と同じくらいじゃった。