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六中観

安岡正篤は「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡すばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」ことを忙中閑と著した。苦中楽、死中活、壷中天、意中人、腹中書と併せて六中観とするのだが、まさに今の自分は忙しくて堪らない。今週土曜日はまた無観客コンサート、7月18日は観客30人上限コンサート、7月5日からは次の剪定作業が待っている。自ら求めているわけではないのに、この忙しさに息が詰まりそうだが、実はそういう忙中にこそ真の閑があるのかもしれない。

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