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3月, 2022の投稿を表示しています

回遊する夫婦

新舞子の海岸端にあるライブハウスへ夫婦で行った。楽しい演奏に酔った後、帰りに魚太郎大府店に寄って新鮮な魚でも買おうと電話番号をナビに入れた。現地に到着しても肝心の魚太郎はないではないか。電話すると場所は既に通り過ぎた健康の森で、引き返しても営業時間外だという。こういう回遊もまた愉しという年齢になった。

猫の傀儡

猫好きにはたまらない一冊だろう。吾輩は猫であるを連想させるが、江戸の町を舞台に猫を傀儡師(くぐつし)に見立てて傀儡である人間を人情と機微で動かす目論見には漱石もびっくりだろう。この作者の面目躍如といったところだ。最後の大団円でホッと胸を撫で下ろさせるところなどいかにも猫に招かれたような結末だ。(156冊目)

アンパンマンの尿酸値

年一回の血液検査。コレステロール、中性脂肪、肝臓、腎臓どこも適正値なのだが、尿酸値は危険水域だそうだ。ビールは缶ビール週一本、魚卵はそんなに食べない、贅沢品は縁がないと答えると先生は首を捻るばかり。調べてみるとプリン体の80%は体内で組成され老化とともに排出量が減退するそうだ。苦手な野菜を食べねばと呟くと翌朝からパンと野菜が早速セットされていた。

まるまるの毬

さすがは吉川英治文学新人賞を受賞した作品だけのことはある。菓子職人の作る菓子に準えて7編の物語が紡がれる。とりわけタイトル名を標題にした章は、まるで自分の心にも潜む「毬(いが)」を映し出してくれたようで心を打つ。これほど泣かせてくれる作家に出会えたことが感謝だ。(155冊目)

ジージのちゃれんじ

小学2年生と4年生の孫娘ふたりが「こどもちゃれんじ」のメールを始めた。とりあえず送信先は父親と祖父の小生だけらしいので、春休みに入った途端朝から晩までひっきりなしにメールが届く。各教科の得点やら進捗状況をはじめ、飼い犬の画像まで届くのでその都度返信に追われる毎日だ。うれしいようなありがた迷惑なようなチャレンジするジージである。

Drive My Car

卒寿になる母が苦々しくも若干誇らしげに打ち明けた。ここ数日ちょっと年下らしい知人の男が訪ねてきて「ドライブに行こう」としきりに誘うのだそうだ。しかも軽トラで。相手が独身かどうか確かめるまでもなく、亡くなった夫ひとすじの操を立てるのだと息巻いていた。寿命さえ越える90歳になっても色恋に卒業はないようだ。

時の流れに身をまかせ

桜の季節は出会いと別れの季節でもある。自分と7歳しか違わない知人の訃報が届いたり、職場のキャリア女性が退職するとの知らせも受けた。短い間だったがひとかたならぬお世話になった方だからとあれこれ餞別に悩んだ末、細君に鞄につける時計を選んでもらった。驚いて受け取ってくれる相手を見て涙目になってしまうのはいつものことだ。

金春屋ゴメス

ファンタジー大賞をとって文壇に現れただけのことはある作品だが、井上ひさしばりの奇想天外さに正直引いてしまうところもある。ただしコロナ禍の前にそれを予感したかのようなテーマを扱っていたことに驚きを禁じ得ない。当分この作家から目は離せそうもない。(154冊目)

涅槃の雪

山本周五郎の「さぶ」以来だ、泣ける小説は。少年時代、陣出達朗の遠山の金さん捕物帳に親しんだ思い出から手に取ったのだが、遠山景元も登場すれば享保の改革の水野忠邦も登場する。だがなんといっても主人公の高安門佑の人間的魅力だろう。徳川幕府終焉の兆しを必死に食い止めようとする改革派と遠山金四郎をはじめとする人情派との相剋が巧みな筆致で描かれ推挽の一冊だ。(153冊目)

誰がためにゴング売る

中学生時分だったかプロレスに嵌って専門雑誌を本屋でよく立ち読みしたものだ。店主に睨まれながらしぶとく本屋に通い、時には思い切って買ったプロレス雑誌が親の意向に沿わず泣く泣く返しに行かされたこともある。爾来本屋というものに好印象は持たないことに決めたのだが、近頃の本屋の品揃えはなんとも冴えない。ベストセラーものとなるとAmazonでも手に入らないのはなぜなんだろう。

此岸への切符

亡父の月命日で墓参りに行くと墓園はいつにない人だかりだ。はてと疑問を口にすると細君がお彼岸だと教えてくれた。サンスクリット語の波羅蜜(パーラミター)とは煩悩の此岸から涅槃の彼岸へ三途の川を越える至彼岸の意味だそうだ。墓参のあとスガキヤでラーメンを食べたら無料券をもらったが、なんだか此岸への切符のように見えたのは気のせいだろうか。

利休にたずねよ

時の流れを逆に遡って利休が死を賜う原因を探る構成だ。秀吉をはじめ関係者に人物像を語らせていくうちに、自分自身が利休その人になったような気がしてくるから不思議だ。なぜ意固地なまでに美を追求するのか、妥協を許さないのか、現役生活から脱却できない男の哲学もおおかたそんなところにあるのかもしれない。(152冊目)

エディ・ヴェダーが聴こえる

こういう曲でも聴きながらキャンプでもして生と死について考えるのも悪くない。焚き火の炎がパチパチと爆ぜる音。深閑とした森の奥から聞こえて来る樹々のざわめき。アルバイトが終わったらもう春真っ盛りだ。車にキャンプ道具一式を詰め込んで、近場のオートキャンプ場へさっそく行ってみよう。

ノルマンディー上陸作戦

毎日毎日ノルマを課せられると出勤するのが憂鬱になる日々だったが、自分から目標を掲げるようになってから営業が面白くなった。他人から指示される前に自分から動く習性があたりまえになっていった。この歳になってふと周囲を見渡せば自ら動く人など数少ない。労を惜しむ輩ばかりに囲まれて上陸してみたらひとりだったということだ。

ゼレンスキーの全力投球

前職を含めて通算59年働いたという知人からこの度引退することになったと連絡をいただいた。そうかと思えば65歳に手が届いてもさらに第二の職場を求めて働こうとする友人もいる。2ヶ月だけのリリーフピッチャーとしていやいやマウンドに立たされた小生だが、ゼレンスキーのこの歌を聴くと、8回、9回、もしかしたら延長戦まで全力投球したくなる。

塞王の楯

まるで百科事典か辞書のごとき分厚さの550頁に及ぶ大作だった。図書館での貸出待機者35名を待ちきれず手に入れて2日で読み切るほど読み応えのある楯と矛の大津城をめぐる攻城戦だ。石積みの穴太衆と鉄砲の国友衆とのせめぎ合いは鬼気迫る。さすが直木賞受賞作だと頷かざるを得ない。おすすめの一冊だ。(151冊目)

CM犬にはなりたくない

スマホは確かに便利だが、想像力やマメさの乏しい人間にはかえって危ない玩具になるようだ。つまらない連絡は既読スルーしておいて、異論があればそれだけは伝えてくる。人間性のすべてが現されるとは言わないまでも、相手を値踏みするには充分な材料となる。ロシアもスマホもおんなじだな。

レノンとジョブズ

まあなんというかこれは読む本ではない。単なる言葉の羅列でしかない。そう割り切って寝る前に一章づつ読めばぐっすり眠れるだろう。ビートルズのすべてのアルバムを聴き尽くし、古今東西の映画に通暁した人なら、曲を頭の中で再生しながら夢を見ることもできるだろう。右脳を働かせた人々を理解するには右脳によるしかないということだ。(150冊目)

女子力研究

女性ばかりの職場に勤めてはや一ヶ月以上が経った。つくづく思いいたらされるのが彼女たちのコミュニケーション能力の高さだ。ちょっとしたことでも必ず労いやお礼の言葉を欠かさない。仕事に対する責任感や意欲ときたら男性の追随を許さない。わずかだが賃金に代え難い貴重な体験をさせてもらっていることにただただ感謝だ。

後悔に立つライオン

子供たちにやさしく接する心のゆとりがなかった。頭の中は仕事のことでいっぱいだった。今では後悔している。などと娘に愚痴ったら仕事一途の婿殿にそれが伝わったそうだ。娘に叱られたとこぼしても仕事一途をやめれない婿に「気持ちはわかるよ」と同情したが、男はそういう後悔を抱いて生きるものなのだ。

風渡る

連続してこの作者の作品を手に取った。改めて黒田官兵衛の偉才を振り返るつもりだったが、まさか本能寺の変が彼によって仕組まれたものだという推論を軸にするとは思いもよらなかった。宗教戦争を伏線にして、さらに関ヶ原の合戦まで官兵衛が予定調和させたとすると、彼こそ風に姿を借りた神なのかもしれない。(149冊目)

有りがちの壁

昨年やってみてこんなに苦労するならやらなければよかったと思った。所詮イベントというものは、参加する側は据え膳が当たり前だと思っている。司会者、出演者がひと通り決まってやれやれと思っていたら機材の調達に頭が痛い。学生時代は誰も指示しなくてもみんなが自ら動いたものだったが、アラシックスティ世代になると傍観、他人任せだ。今年も壁は分厚そうだ。

静と動

家電寿命説というのがあるそうだ。テレビが8年、冷蔵庫9年、エアコン10年だそうだが、御多分に洩れず当家の冷蔵庫も危篤に陥った。やれやれと思っていたら倅がポンと費用を拠出してくれたのがうれしかった。冷蔵庫じゃないが"回答"待ち状態だった音楽会への参加バンドもようやく見つかった。着手小局着眼大局がモットーだったが、静と動の隠居主義も悪くない。

古都再見

義仲の寝覚めの山か月かなし 芭蕉の句が紹介されているが、薄氷の張った深田に馬を乗り入れて身動きできない木曾義仲を詠んで還暦を過ぎた男の人生の幕切れを表していて切ない。作者は66歳で逝ってしまったのだった。まだまだ現役で仕事するのだなどと組織にしがみつこうとしている同輩の心境がますますわからなくなる。(148冊目)

荒法師 運慶

東大寺金剛力士像の内、阿形像が快慶、吽形像が運慶というのが筆者の解析だ。快慶は運慶の兄弟子でしかなく、慶派の頭領はあくまで運慶だったという。一人称で最後まで語られるのだが、天才仏師の生涯を余すところなく描き尽くしている。有名な空也上人像は運慶の息子康勝が製作したものだと知って、改めて東大寺や六波羅蜜寺を訪ねてみたくなる。(147冊目)

酔象の流儀 朝倉盛衰記

暗君に仕える賢臣の悲哀をとことん描いた作品だ。組織も愚昧なリーダーに率いられると部下が苦労する典型だろう。諫言しても聞き入れない暗君、配下が次々と寝返っても朝倉家存続のために戦い尽くした山崎吉家。プーチンの周囲に吉家のような幕僚がいるとしたらそれも怖い。(146冊目)

Split Coconut

だんだん近づいてきた野外コンサート。実力のあるバンドが昔の友人に見つかりオファーしたら予定が合わず見送りになった。がっかりしていたら探していた司会者が友人の親戚にプロがいて無料で引き受けてくれた。司会者が見つかったら出演できなかった友人が知り合いのバンドを紹介してくれそうだ 。ポスターをやめたら固かったココナッツの実が割れてくれそうだ。

つぶよりワイフ

職場でお世話になっている女性たちに配るようにと細君が持たせてくれた。何度か自分で買い求めた菓子を配ってはきたが、今回のように女性たちから絶賛されるのは初めてだ。果たしてそうかと自分でも一個食べてみるとたしかにおいしい。帰宅して細君に報告すると「あらそうなの?」と怪しい答えに、一個持ち帰ればよかったと後悔したのだった。

大人の見識

川路聖謨は部下に「これは急ぎの御用だからゆっくりやってくれ」 と指示したそうだ。「温故知新」の温は尋ねるの意だが、肉をじっくり温めてスープを取るように先人は智慧を後世に伝えていけばいい。海軍贔屓の筆者に頷くところ大だ。海軍の5分前集合を徹底して批判され会社を辞めた小生が、上場企業の役員や安倍等の保守層を嫌悪するのも大人の見識だと自己満足しても許されそうだ。(145冊目)

海老蔵君にも教えてあげたい

長いこと生きてきて海老の食べ方を初めて知るとは迂闊であった。そもそも海老の尻尾部分に肉が詰まっていようと、わざわざ皮を剥いて取り出そうという気がまるでない。根元で噛み切って放置していたのだが、実は半分くらい噛み切ったところで尻尾のついた残り半分を甘噛みすればスポッと肉がついてくるのだと知ったのだった。海老頭五郎参りました。

ぼっち読書

ヒロシのぼっちキャンプに最近ハマっている。なんでもないキャンプ風景だが観ているだけで癒される一時間だ。先月は仕事もいれたし読書も停滞するかなと思ったら、三国志7冊以外に8冊も読んで無職の時以上のペースだ。結局ひとりでなにかに集中する時間というものがかけがえのない至福をもたらすのだろう。忙しいだけの現役時代をなんと無為に過ごしてきてしまったことか。