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7月, 2021の投稿を表示しています

上手になろうよ

デジタルオーディオワークステーション(DAW)とオーディオインターフェースが接続できない。メーカーに問い合わせたりもしたが結局自分でインターフェースを再インストールして接続。ところが録音、再生しても音が出ない。またまたメーカーに問い合わせして異常なし。再度自分でやると音が出ない。インターフェースのPCボリュームを絞っていたとわかった。ようやくギターで伴奏を録音、それをヘッドホンでモニターしながらボーカルを多重録音できた。しかしひどいな、この歌。

風神雷神

いくらマゴのためとはいえ、これほど大きなプールに空気を入れることになるとは。100均のエアーポンプでふたりがかりでやり始めたが、細君の表情は雷神の如く険しくなる。なんとか一箇所満タンにしたが蓋が閉まらず空気が抜ける。困ってネットで調べると、なんとドライヤーで吹き込んであっという間に完成だ。風神様の威力に雷神様も笑顔になった。

イッパンドウソング

センチメンタルシティロマンスの中野督夫さんが67歳で亡くなるとは。学生時代、部活の演奏会ではトリのゲストにお招きしてシビれたものだ。あの甘い声が耳に心地よかった。青春時代にプレイバックする一方自分ももうそんな年齢なんだと思うと残された時間がしみじみと愛おしい。ハイウェイから降りて一般道を曲がりくねりながらゆっくり楽しめたらいい。

剣客商売

作品もさることながらグルメで有名なこの人の作風にはどこか粋な料理屋でこざっぱりした酒と肴を味わうかのような風情がある。連作となったこのシリーズの第一作でもあり、秋山小兵衛の老境を追体験して読み進めようとするには必読だろう。ついでにもう一作読んでおこう。

レジゴーレジゴー

店内に入るとなにやらスマホが立ち並んでいる。さては展示即売会でもあるのかと思いきや、これで買い物ができるらしい。面倒がる細君を説き伏せて「なにごとも新しいものに挑戦せねば」と専用カートにセットしていざ出陣。バーコードを読み込ませれば意外に簡単に次々とカウントされていく。買い物の女王になった細君、レジ横のアイスボックスが開けられず凍りついた夫、アナがあったら入りたい。

思い遣りと迎合

読書の最中に声をかけられ中断するのができない性分だ。挙句、細君の問いかけに生返事を返したり時に無視する事態を招く。没入癖が直らないとしたら、迎合と思い遣りを使い分けてきた会社員時代の悪習を打擲せねばならぬようだ。家庭においては迎合を拒絶する矜持など邪魔で、いかにして思い遣りを尽くすかが夫の価値か。

春秋山伏記

筆者は山形県鶴岡市出身だそうだ。庄内平野を懐に抱き、羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山は修験者の聖地。むくつけき山伏の手柄話かと侮りながら読み進むうちに、さにあらず情感豊かな藤沢ワールドに引き込まれる。人生の羅針盤のごとき武士ものもいいが、庶民を描いた人情噺には心を潤す妙薬が込められているようだ。

過ちては改むるに憚ること勿れ

恐ろしい世の中だ。いくらネット社会に身を置くからといって過去の過ちをほじくり出されて排除していいのか。大義が失われ、あれは殺戮だったと歴史に刻まれた国は永遠にオリンピックを招致する資格がないのと同じだろう。行き過ぎた正論が罷り通る風潮こそ時代の産物である。過ちは繰り返されるもの、改悛を尊重する人間力を身につけねばならない。

時雨のあと

歴史小説に耽溺していると思われてもいいから、今まで手にしたことのないこの作者の作品を味わうことにした。これまでに観た映画に表されたような人間の哀愁がやはり短編7作に貫かれているのが頷ける。やさしい気持ちになりたい時には読み返したい一冊だ。

勝海舟 (全六巻)

閑話休題。ストーリーの流れを一旦絶って余談を挿入する手法は司馬遷の史記が最初に用いたらしい。子母沢もこれに倣い、彼に師事した司馬遼太郎や藤沢周平も多用したという。全六巻3,700頁を10日で読破したということは一日370頁読み切ったことになる。小学校時代の旧友が絶賛して漸く手にした同書は、時の隔たりとしても読む量としても実に長いひとつの旅であった。

鷸蚌之悔

安全、安心と工事現場の監督並みに念仏を唱えて、ゴリ押しで五輪を強行開催した挙句、ワクチンは足らない、緊急事態宣言は無視される、感染者は拡大、内閣支持率は30%を割る。なんのことはない、自分で自分の外濠を埋めているようなものだ。選手に感染者が続出し、国許へ帰してデルタ株を各国に蔓延させてしまったらいよいよ落城だろう。漁夫の利を得るのはバッハか。

寿司屋の怪談

頼んだ寿司が電車に乗ってテーブルに届いた。要領がわからず皿を取る前に返却ボタンを押して慌てて電車を停めたら寿司ネタがひっくり返った。満腹になって意気揚々と席を立ち通路を歩くと行き止まりだ。そうかここはいつもの寿司屋じゃなかった。細君が「どこへ行くの?」としきりに声をかけたらしいが気がつかなかった。寿司は食っても歳は食いたくないものだ。

ハルクになる

男は世の中の人間のみんなに嫌われるようでなくちゃあ本当の仕事、命がけの仕事、値打ちのある仕事はできないものだ、と勝海舟は言ったそうだ。こんなに役に立つ研修は後にも先にもないと信じて実施しても誰も支持しない。馬鹿馬鹿しくなったのが退職の最大の動機かもしれない。貧乏籤でもそういう生き方には後悔がないのは不思議だ。

人生の楽園

この数週間、彼の歌をマスターすることばかりに集中している。ギターを奏でながら口ずさんでいると、いつの間にか細君が現れて「そこは音程が違う」だの、「歌い方が違う」だのとチェックが入る。原曲の譜面を手に入れたものの、キーを変えたりするとお気に召さないようだ。カラオケでも行って原曲通りに歌えるよう特訓するか。彼女と誕生日が同じだなんて聞いたのがいけなかった。

ビートルズの安全、安心。

髪型はどうされますか?と聞かれたが、前回からの坊主頭、いまさら髪型もあるまいと思ったのにスポーツ刈りはどうかと言う。おおそれはありがたい、懐かしいワードが出てきてお任せしますと答えた。時まさにオリンピックだ、テレビ観戦だけでは片腹痛いので、せめてヘアスタイルで抵抗を示すのも一興だ。ビートルズの長髪もそうだったに違いない。

毎度馬鹿馬鹿しい話を一席

酒の肴に焼き魚を選ぶとしたらやはり秋刀魚か鰯、どちらもあの苦味が酒に合う。家来が日本橋魚河岸で仕入れた秋刀魚の油や小骨をすっかり落として殿様に差し上げるてえと、前に目黒で食った焼いただけの秋刀魚と違って不味かった。この時期秋刀魚は鰯に比べて本数にして五倍も高い。かみさんにぶつぶつ言われながらも食卓に載せてもらった秋刀魚が美味いわけだ。

良い事をしないのあ悪い事をしていると同じでんしょう

お前さん達あ、もう今の日本国は、なんでもかんでも幕府に背負わせて、あっけらかんとしている時勢でない事は知っていられるでんしょう。大抵は知っていながら矢張り、それもこれも幕府に押しつけて、自分はいやな事や苦しい事からは、逃げよう逃げようとしているのが現状です。日本人なら、誰になんと云われなくとも、自ら苦しみの中へ飛び込んで、真剣に幕府の片棒を担いでやるのが当たり前だ。それ位の事を知っている、知っていてやらねえのは悪事をしていると同じでんしょう。 と語った勝海舟のことばが耳に痛い。

累卵の危うき

今全六巻を読んでる最中の勝海舟じゃないが、政府のお偉方はまったく肚が座っていない。金融機関や酒販業者に自粛警察の役目を仰せつけたかと思えば、国民の反発を招いてすぐ引っ込める。よくよく考えて出したものなら、おいそれと退かず頼む、俺が責任を持つと言えばよかろう。卵を積み上げるようなやり方じゃもつまいよ。

1泊2食500円

マイレージ会員対象に全国のリゾートホテルに1泊2食付500円で泊まれるという勧誘がきた。ただしホテル会員権斡旋の話を1時間聞かなきゃならんそうだが別段買わなくてもいいそうだ。そんな詐欺みたいな話、応募しても絶対当たらんと豪語する夫の制止を振り切って細君が申し込んだら当たってしまった。粗末な食事のようだが、ここは細君の顔を立てて行ってみるとするか。

棚に上げる

タクシー乗り継ぎ旅を観ながら 「そんな名前に数字の入っている人なんかそうそういるわけないじゃんねー」 「運転手の年代のおじさんには多いわよ」 「そうかなあ」 「自分がそうじゃない?数字入ってるよ」 「・・・⁉︎ホントだ!」 爆笑する夫婦であった。

これでおしまい

生涯独身、107歳の天寿を全うした書道家。老境に達して自然、無為である生き方を是とするに至る。生まれた時も死ぬ時も所詮人は一人だとわかってはいるが、なかなか孤独に耐えられるものではない。芸術は生み出すものではなく、生まれてくるものだという。そんな心境に近づきたいものだ。

柳生宗矩 (一)(ニ)

大河ドラマ「春の坂道」として観たころのストーリーや内容はとっくに忘れてしまった。改めて家康、家光について宗矩との関係で読んでみると、師弟、主従、親子とはいかにあるべきか学ぶことが多い。「おまえも俺の歳になればわかる」と言っていた亡父の言葉が、生死一如を今になって教えてくれる。

コストコどっこい!

渋滞だって、と細君。何が?と例によって主語を尋ねると呆れたように「コストコ!」と厳しい声が返ってきた。ああそうなんだ、そういえばコストコがオープンするとか言ってたな。首都圏では緊急事態宣言だ、無観客だとか大騒ぎしているのに、この非常時に新規開店とは間の悪い話だことよ。国民の意識とはこんなものなんだろう。

一日一生

新聞の読み方がいつの間にか変わってきているのに気づく。経済や社会問題にではなく訃報に目がいくようになったのはいつからだろう。ああこの人も逝ったか、えまだ70歳なのにと愕然とする。あと6年しかないではないか。我儘言って好きなことをさせてもらえる境遇を与えてもらったのに、なんと一日一日を無為に過ごしていることか。一日一生、朝起きたらそう念じて過ごしたいものだ。

踏切でマゴマゴ

踏切が大好きなマゴのために、プラレールの踏切セットを買おうとなった。新品を買うのも思いやられるので中古を買い、帰宅して細君と組立し始めると、⭕️の専用レールが4本不足。別売りで買えるかと思ったらメーカーに問い合わせするしかないとのこと。諦めて返品することになったが、とんだ踏切に遭遇だ。

失敗の本質

組織は環境に適応すると自己変革できなくなる。大東亜戦争における日本軍の組織的失敗はそこにあるというのが結論のようだ。司馬遼太郎の坂の上の雲を30年以上前に読んでいたから、執筆者に学生時代に講義を受けた教授もいたりしたので、遠ざけていた著名な作品。戦力の逐次投入、精神論といったマスコミが飛びつきそうなテーマより、ドラッカー的な分析自体がもはや古典かもしれない。

習近平と孫の名誉

二歳の孫が話せるワードは「ない」と「プラレール」だ。プラレールは巻き舌で発音も外人レベルだ。「ない」の使用範囲は無限で、すべての欲望から感情表現までをカバーしている。どういう意図の「ない」なのかを読み解くのがジージの真価である。習近平が演説で連発していた「メイヨー」は「没有=ない」という意味だそうで、「中国共産党ほど優れた組織はメイヨー」とでも言っているんだろう。

ドクターイエロー

窓口で診察、投薬を申し込むと今日は担当医がいない曜日だという。転院してきて以降そんな曜日があるとは知らされず出直しとなった。それにつけても受付の対応は冷たい。細君の人間ドックも市の制度では検体キットも送られてこないので取りに行った上で持ち込むのだそうだ。なんと二度手間なことか。コロナでも露わになったが、この国の医療体制はイエローじゃなくもはや赤信号なのかもしれない。

太宰治全集7 右大臣実朝他

金槐和歌集の歌が好きで、模擬試験で試された右大臣実朝の文章に改めて親しみたいと太宰を選んだ。吾妻鏡から引用された原文に手を焼いたが、実朝の諦観や厭世とは何かがよく理解できる。全集の後半西鶴の諸国咄を基にした12短編は、そのまま落語の演題にしてもよい出来栄えで、太宰を通して西鶴の才能を窺える。

雨中大作戦

スポック、このゴルフ惑星というのはいったいいつからこんな惨めな惑星になってしまったんだ。朝御飯やコーヒーを飲むレストランもやってない、ゴルフバッグは自分で積み降ろし、ラウンド後にクラブを拭きすらしない、風呂場に衣服をしまうビニール袋さえ置いてない、精算も自動機だ。それでいて料金はコロナ前と変わらない。雨の中わざわざ転送してもらったが、もう行く気はしないよまったく。

喫煙化の謎

うーん、この貼り紙はどう解釈すればいいのだろう。「喫煙化」に伴い?待てよ、この店はもともと喫煙できたじゃないか。客席面積が30坪以下なら改正健康増進法に拠っても禁煙措置を免れる。ただし20歳未満立入禁止の表示が必要らしいが。にしても「喫煙化」が意味不明だ。愛煙家には誠に有難いはからいだが、一杯やりながら細君とともにしきりに首を捻った。