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3月, 2021の投稿を表示しています

一合一cm

このままのんびりした生活に慣れるとますます腹囲がオーバーサイジングしていくといけないので晩酌を隔日でやめることにした。早速一日空けてズボンに足を通すと余裕で入るじゃないか。酒一合やめて1cm腹囲が縮むのだから、10回晩酌をやめれば10cm凹む勘定だ。真剣に勘定していると聞こえてきたのはズボンにアイロンをかけながら机上のなんとかだと呟く細君の声だった。

靴笑う

おととし細君と常念岳に登山に行ったのはいいが、登山口に着く前に靴の底が剥がれて断念した。今日は今日で上がり4ホールを迎えたゴルフで、やはり靴の底が剥がれカポカポ靴を鳴らしながらゴールインした。「山笑う」は春の季語だが、「靴笑う」もありかもしれない。 靴笑う 山にゴルフに 背かれて

火の鳥 大地編(上)(下)

手塚治虫の遺稿の一部を手掛かりに構想された「大地編」だというので、「火の鳥」の愛読者として読まないわけにはいかなかった。繰り返される時間の巻き戻しが果たして近代日本の実像を活写し、問題提起するものがあったのかと問われれば残念ながら筆者の構想力を期待外れと言わざるを得ないだろう。内面と歴史的事実との相克を超えるには天才に頼るしかないということか。

根回しの勇気と根気

社員を他社に出向させる際に心配りすべきこととして、移植する大樹を根回しして移植先の土に馴染ませる作業が必要なように、社員の出向先にも事前の根回しが肝要だと説いたことがある。大木にはさらに根の先端に細根という養分を吸収する部位があり、人為的にそれを切って新しい細根を出させることが根回しの目的だそうだ。骨が折れる根回しの作業には勇気と根気が必要なようだ。

緑色の瀬戸電

小学校二年生のときいつも一緒に通学していた近所の女の子が背丈まで伸びた草木に紛れて緑色の瀬戸電に気づけず轢死したと後で知らされた。泣きながら弔辞を読んだ。まもなく電車は赤色になった。小学校六年生のとき弁論大会に出ることになった。毎朝父と暗唱するために近所の丘まで通ったことが突然思い出され泣けて発表できなかった。瀬戸電が緑色から赤色になったように泣くときは涙をながすだけになった。

ベルトと人生の落とし穴

ストレス発散にこじつけて一年間欠かさなかった晩酌のせいかズボンがきつくなり、サイズを大きくしたらベルトがないとずり下がる。手頃なベルトが見つかったがなんと穴がない。自分で開けろということかと諦めかけたら、試着した細君があらはまったわよと声を上げた。メッシュベルトというそうで適当なところにブスリと刺せばフィットする。人生もそんなものかもしれぬ。

常在戦場に在らず

中才は肩書によって現はれ、大才は肩書を邪魔にし、小才は肩書を汚す。山本五十六の言葉だが、退職前の有給休暇中だというのに、今度はシルバー人材センターから公民館の夜間留守番仕事をやってみないかと打診があった。もはや肩書が邪魔になることもないし、山本を産んだ長岡藩の藩是「常在戦場」に身を置く気もない。丁重に辞退させていただこう。

ウソのようなフォントの話

はるひ学園などというフォントがあるとは知らなかった。モリサワの国際タイプフェイスコンテストに入賞した際は「学園」というなまえだったが、その後作者の雅号「春陽」を冠してその名になったらしい。フォントを自由に駆使するには5万円も投ぜねばならず、オファーしたポスターの修正も諦めていたが、モリサワのスタッフブログを発見してお試しサイトで希望の文字を手に入れた。フォントに苦労します。なんちゃって。

泣きむしんちゃん

前日から泣くんだろうと細君に言われていたので昨日は意識した。泣かずにすんだので当日もこれならいけるだろうと淡々と仕事をこなし、昼休みにお礼のお菓子も配り終えた。退社一時間前に先日慰留を直訴してくれた女性二人に外へ連れ出され餞別を渡され感極まった。もうこれで充分かと思ったら退社のとき課員全員から花束を渡されノックアウト。泣き虫の男に退職は耐え難い試練であった。

For Whom the Bell Tolls

アメリカの裁判や議会でよく見る判決や議決の時の木槌をガベルというらしい。証券取引所で取引終了を告げる鐘はクロージングベル。サッカーの終了の際のホイッスルは長吹きされる。格闘技ではゴングが開始と終了を示す。ゴングは追悼ではテンカウントだ。ゴングといえば家康の厭離穢土欣求浄土だが、明日から浄土が待っているかと思うと鐘の音は開始の合図にしか聴こえない。

見逃し三振より空振り三振

思えばいろんな失敗や挫折を繰り返してきたものだ。もう立ち直れないんじゃないかと打ちひしがれたことも一度や二度じゃない。反骨精神が豊かなのと根が楽天的な性格がそれを乗り越えさせたのかもしれない。この世で起きたことはこの世で解決する。一晩寝れば明日は愉快な明日が待っている。いよいよ明日で仕事人生に幕を引く。

ユーキューサンキュー

申告敬遠制というのがたしかプロ野球に導入されていたっけ。守備側が強打を警戒して勝負を避けるのはわかるが、攻撃側が自分の方から敬遠を望むシーンは想像しづらい。あと2日勤務して有給休暇を消化するのはバッターが自ら申告して一塁に歩くみたいでなんとなく気恥ずかしい。そうは思いながらもありがたくユーキュー消化させていただこう。

ポップガード

始めは飛沫がマイクに飛んじゃいけないから拡散防止のためのマスクみたいなものかと思ってました。でもよく聞くとノイズ除去のためのポップガードとかいうものだそうですね。だったらこんなにくっついて歌わなくてもよかったかもしれません。録音に入る前にちゃんと説明してほしかったです。北村匠海

April Come She Will

昨年暮れから仕込んだ野外自主コンサートの日がだんだん近づいてきた。いよいよ仕事からも解放され全力投球できるわけだが、解除される緊急事態宣言でコロナのリバウンドは果たして大丈夫なんだろうか。解除してもしなくても効果がないというのは政府の無作為の証だろう。「4月になれば解除は」やっぱり早すぎたなどとは口が裂けても言わないでほしい。

ヤホーで調べました

便りがなければ調べないのだが、メールや手紙が届いたばかりに、なんで今までこんな支払い見逃してたんだということがある。Yahoo!プレミアムなんぞなんの恩恵も被っていないのに毎月1,047円も払っていた。請求元に電話するとサービス提供先に聞けということだが、どう調べても連絡先は見つからず手段はメールだけ。ネット社会は便利なようで不便なものだ。

消費期限切れで何が悪いの

消費期限は昨夜の11時だ。朝ならまだいけるだろうと昆布入りおにぎりを食す。なんだか飯粒はパサついているが好物は捨てるに忍びない。30分も経たず腹が反応したのは消費期限切れの食べ物のせいだったのか、消費期限切れの男が消費期限切れの物を食したせいなのか。賞味期限はとうにすぎて消費期限すら越えた男にしかできないあざとさである。

虹の外側

外側には何があるのか。虹の赤色の外側に赤外線、紫の外側に紫外線がある。赤外線の外側には遠赤外線、テレビやラジオの電波が続く。紫外線の外側にはエックス線やガンマ線がある。目に見えない光や電磁波にも優しさと攻撃というエネルギーの違いがある。円満な家庭の外側にも諍いや人情という見えない葛藤がある。虹はそんな外側同士に掛かる架け橋かもしれない。

COSMONAUT

重力に縛りつけられて地上に喘ぎ続けた1年がようやく終わり、大気圏外へ脱出する瞬間がいよいよ迫っている。酸素はないはずなのになぜか宇宙服を纏う必要はない。軽装もしくは裸で宇宙空間を漂うことを想定すれば良い。好きな時間にタバコが吸え読書ができギターを抱く。未知の天体や銀河に向かってワープ走航だ。

100でもキレないゴルフ

仕事という束縛から解き放たれて即ゴルフツアーのスタートだ。地元のゴルフ場でなんと3月1回、4月2回、5月1回と4回も同じところでプレーすることになった。メンバーはそれぞれ異なるが、どれも大事な友人ばかりだ。あいかわらず100は切れないゴルフでも、途中でキレて大叩きしないゴルフをしたいものだ。

歩荷しあわせだな

山小屋まで物資を運ぶ「歩荷(ぼっか)」を生業にしている人は今では尾瀬にしかいないそうだ。およそ100キロの荷を担ぐというから想像を絶する。重心をどこに定めるかがこの仕事の奥義であろう。毎日仕事や私生活で、その日のうちに片付かない事情を翌日以降も抱えたままキャリーオーバーするのはしんどい。しんどいけど荷物の山を加えながら行くぞう。「加山行くぞう」だ。

優しい注射器

ワクチン接種用の画期的な注射器かと思ったら液体のりの注入器だそうだ。退職7日前になって役席から継続勤務を懇願されたが辞退しホッとしていたら、女性社員2名から直接慰留を受ける羽目になった。あまりにうれしくて物陰だったせいもあり涙が出た。もう自分の席はないのだが少なくなった液体のりを補充したのはそんな彼女たちの優しさへの恩返しである。

読書三昧

仕事に夢中になる傾向が強くて、この一年間好きな読書に向かう気持ちの余裕が生まれなかった。漸く本に飢えていることに気づいたのはゴールが見えてきたからだろう。早速Amazonで上下巻3,600円はたいて読みたい本を注文した。読書三昧の日々が手に入る、それを幸せだと思えるのはそれだけ 仕事に集中していたからかもしれない。

ただの人になるために

最後の最後までなんだかんだと顧客対応に頭を悩ます日々だ。とりわけ中高年の居丈高な難癖には閉口する。電話で顔がみえない、名を名乗らないのをいいことに言いたい放題だ。こんな中高年にはなりたくないものだと自戒しながらも、あと8日に迫ったゴールまでとにかく脚を引き摺りながらでも歩き続けるしかない。ただの人になるということはこういうことだったのだ。

うっかり六十代

偉そうに黄門様に倣って西山荘をもじって西雀荘と麻雀小屋を名付けてみたり、ひとさまの言動にいちいちケチをつけたりと近頃の我が身を振り返って恥じいるばかりだ。倅が大事にしている雀卓を面白半分にいじって部品を破損してみて漸く気付かされた。黄門様どころかうっかり八兵衛ではないか。世間という助さんや友人という格さんから愛想を尽かされないよう漫遊せねば。

結果として飛べねえ豚は

接待汚職で追及される当事者からよく聞くセリフが「結果として」だ。始めから相手の企みを百も承知で応じたくせに「結果として」倫理違反になってしまったとまるで被害者を装う。接待だと思わなかった、相手に騙されたと言いたいらしい。新ブランドに乗り換えさせられただけで料金値下げを享受できたかのように錯覚している国民こそ「結果として」被害者だと使うべきだろう。

バカ舌のタラバガニ

世に格付けほどあてにならないものはあるまい。当地に唯一あるミシュランガイド店に行くと、歓迎の言葉もおざなりに55分待てるかと詰問する。待つというと手を消毒したかと指示する。注文をとって30分後客席に通され25分後漸く配膳だ。飲み干した茶をお代わりすると順番がありますからと言われて流石に呆れ果てた。どんなに味がいいかは別にして、接客態度を加味しない格付けは金融機関とよく似ている。

漢検準一級問題

窓口に印鑑の忘れ物。見ると「樗澤」と刻まれて いるがだれも読めない。漸く突き止めた木の正体は曲がりやすく建設材に不向きなことから木では無いとまで表され、代わって植林された大量のスギは山の保水力を落とし花粉を撒き散らした。じっくり地面に染み込んで水資源を蓄える自然の営みを涵養と表するそうだが、人の教養や徳性もこの木のごとくにありたいものだ。

下山の心得

登山は降りが難しい。40年かけて登った山を降りながら、1年かけて途中の小山にも登ってみたがやはり降りの困難を味わっている。コロナという高山病に怯えながら、職場での禁煙という酸欠にも耐えよくぞここまで無事に辿り着いたものだ。降りてしまえば音楽、麻雀、ゴルフ、剪定、読書とお花畑が咲き乱れている。登山道ではない散歩道をゆっくり降っていきたいものだ。

ふたば幼稚園から中継です

延長、延長って延長ばかりに責任を押しつけないでほしいな。延長もいいが、スガ先生やユリコ先生はいったいなにやってんだ?東京だけでも全員PCR検査を受けさせて実態把握をするとか、感染防止に向けた動きをすりゃあいいじゃないか。組長と呼んでたしんのすけまで近頃じゃ延長、延長と呼ぶ始末だ 。ったく、いい迷惑だぜ。

遠くに矢を放つ

大動脈瘤の病に倒れ俳句教室や主宰していた会誌も閉じられた檜紀代先生を慕う仲間から「菜の花いろは歌留多」をいただきました。俳句は人生だと思える至言ばかりです。 いつも身近に句帳と鉛筆 ろぼうの石にも春夏秋冬 はいくの基本は客観写生 にちじょう茶飯事すべてが素材 ほれた俳句に理屈はいらぬ へたも上手も勉強次第 とおくはなれた句友に手紙 ちからあまって余すな字かず リズム覚えよ音読百回 ぬいでしまおう心の鎧 るい句できても盗作するな をひれはぶいてズバリと一句 わかりやすくて胸打つ俳句 からだで覚えよ頭で書くな よその俳句も大事な肥料(こやし) たよりになるのは己の努力 れいぎ正しくいたわりあって それから先は自分で悟れ つねに閉ざすなこころの窓を ねごと言っても泣きごと言うな なまえ売るよりおのれを磨け らくしてさぼってよい句はできぬ むしんに無欲に真剣に うらみ残すなよい句を残せ ゐどの蛙もなく音(ね)は本音 のびのび自分の言葉で詠う おくぎは初心しょしんは奥義 くらしのうるおい庶民の俳句 やすまずくじけず欠かさず投句 まけずぎらいもほどほどに けんきょに素直に驕らずに ふっと浮かんだ感じを掴む こうをあせるな俳句はマラソン えがお並べて仲よく勉強 てまえ勝手は他人の迷惑 あまえすぎるな厳しく学べ さんにんよればまず一と句会 きごも切字も重ねぬように ゆるがぬ基本が生み出す個性 めぐりあったも俳句のご縁 みじかい俳句に無限の天地 しぜんのいのちに触れ合うこころ ゑを描くつもりでよく見てかこう ひゃくねんたっても消えない一句 もじは正しく字引をひいて せんじゃ泣かせは類想類句 すすんで仲間のお世話をしよう

99枚の名刺

若者が、とコロナの元凶のように言われ続けて、大学も通えない、友人にも会えない、ひとり旅さえできない二十歳の若者よ。通算100回訪問して取引を成立させた時、99回追い返されたことが無駄ではなかったことを経験したおじいちゃんからすれば、人生のこの1年もきっと無駄ではなかったと思える日が来るだろう。頑張れ若者、すべてが人生だ。

走れメロメロ

連日の忙しさで先々週は腰、先週は歯茎が痛み疲労が溜まっている。歯茎が収まったかなと思ったら今度は肩がパンパンだ。朝起きてバンテリンを貼ろうしたらテープがうまく剥がれずくしゃくしゃに。まるで競技場に帰ってきたマラソンランナーだ。押し寄せる顧客の要望、人柄を一瞬で見分けて引き出しにある対応方法を変幻自在に引っ張り出す。疲れるわけだ。

出世と会食と女と仕事

女性の社会進出だ、管理職登用だのと世間は騒々しいが、近頃の若者は男女とも管理職などになりたがっていまい。得られる報酬に比べて責任は重すぎるし、プライベートを充実させた方が余程人生は豊かだ。この際組織に社長、役員、管理職など必要なのか考え直すべきだろう。働く人の働き方だけが重要なのであって、役職などどうでもよければ比率など気にしなくていい。