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11月, 2025の投稿を表示しています

がいなもん 松浦武四郎一代

若くして日本全国を歩き回り、蝦夷地と呼ばれていた旧幕時代に北海道を何回も探索、アイヌ人のよき理解者であった人の一代記だ。40歳頃までに登り詰めた人生の山も、山頂にとどまり続けるのもありだが、武四郎のように下山しながら頂上からは見えない景色を愉しむというのに同感だ。膨大な蒐集物が本人の手元から散逸していくことを死の形だと喝破できる作家はそうはいないだろう。(520/1000)

禁忌の子

凍結融解胚盤胞移植というちょっと理解しにくい不妊治療問題が根本にある物語だ。30年前にはドナーも経緯も秘匿対象だったことが、現在では「知る権利」として子が知ることができるようになったことから起こる悲劇。結末は本当にこれでいいのかというやり切れなさの残る形だが、もし自分が当事者だったらと考えると答えは見つからない。(519/1000)

どぜう屋助七

今年細君に浅草の「駒形どぜう」を見せて食べさせてやりたいと行ったものだが、まさかこんな本に出会えるとは思わなかった。3代目助七の短くも粋な生き方と駒形どぜうの一徹な商いの仕方にますます贔屓が募るというものだ。江戸の名残りを感じながらもう一度どぜう鍋をつつきたいものだ。(518/1000)

ニッポンチ

歌川国芳といえば、骸骨が印象的な「相馬の古内裏」や、15人の人体を寄せ集めて男の顔を描いた「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ(見かけは怖いがとんだいい人だ)」の浮世絵が有名だが、その国芳の次女「芳女」や弟子たちのそれぞれの人生を、江戸もしくは明治の情緒たっぷりに描き切ってくれる。昔の男たちは本当に粋だったのだ。 (517/1000)

スピノザ エチカ抄

エチカというのは「倫理学」のことのようだ。「知者は、自己と神(小生注:自然)と物とをなにがしかの必然によって意識し、在ることをけっしてやめず、心の本当の充たされた静止をいつでも所有する」死という精神と体の時間的限界に向き合う上でスピノザのこうした考察は難解だったが大変参考になった。(516/1000)

対馬の海に沈む

巨大組織農協の末端JA対馬を舞台に繰り広げられた職員による不正を追い求めたドラマだ。欧米人は自己の基準を軸とする「罪の文化」に対し、日本人は周囲の目をひたすら気にして同調し、悪事にも加担する「恥の文化」だと喝破したベネディクトの『菊と刀』の一節を引用する。まさにこの国の組織は国も民間も、国民共々自己弁護と自己主張の塊になっている。(515/1000)