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6月, 2023の投稿を表示しています

一周回ってまた一塁

美人は花粉症になる、とはよく使った常套句だが、近頃は美人はマスクを外しているというのを定説にしたくなる。たしかにマスクをしていない女性は美しく輝いているように見えるから不思議だ。そんなことを声高に宣うと、今ごろコロナに罹った御仁に恨まれそうだが、ともあれ2塁打はあっても5塁打はないということだ。

地図と拳

およそ50年にわたる第二次大戦前の満州が舞台だ。地図と建築、国家と侵略、地平線の向こうにあるであろう未知の国。壮大なドラマが600頁の大部に緻密に描かれる。作者の周到な仕掛けが随所に散りばめられており、思わず唸らざるを得ない。さすがは直木賞受賞作である。今年一番の作品と言えるだろう。(330/1000)

人はパンのみにて生くるにあらず

今日の今日までベーグルとは小麦ではなく米粉で作ったパンだと思っていた。見た目はなんだかおいしそうだが、米粉では物足りないと口にすることなく過ぎてきた。聞けばベーグルも小麦だという。なんでも17世紀東欧のユダヤ人によって食べられたのが始まりだそうで、牛乳や卵を使わないパンだそうだ。こんなにうまいものを今まで食べずにきた自分が悔しい。

にんげんどっぐ?

昨年度で協会健保の任意継続も終了したので、今回から市の人間ドックを受診した。検査項目はほぼひと通り組合健保、協会健保と変わらないのに、なぜか自己負担額は夫婦合わせて三千円程度と格安だ。それだけ市が市民の健康に配慮してくれているとは驚きだ。こういうのが人間扱いの人間ドックなんだろう。

ドルビーアトモス

マイケル・ジャクソンのメイキング映画THIS IS ITをWOWWOWで見て、懐かしさにiPhoneで改めて聴き直そうとしたらドルビーアトモスなんという機能が付加されているではないか。設定で自動にしておけば、ドルビーアトモス対象音楽はなんと臨場感たっぷりの音響を味わえる。ビートルズもAbbey RordやLet it beは対応している。

拝啓、河野大臣様

悪戦苦闘しながら、ようやくデジカメの動画をSDカードや接続コードでパソコンに転送することに成功した。これだけやれれば、もういつでもシニアユーチューバーの仲間入りだ。というかすでにスマホでデビュー済みだから今さらだが。DAW、パワポ、デジカメとこのところデジタル漬けの日々だが、マイナンバーカードにケチばかりつけている石頭にいい加減にしろと言ってやりたい。

かんちゃんのパワポ旅

駅再開発プロジェクトで発表するパワポ資料をパソコンだけででなくスマホでも見れないものかとあれこれ方法を探した。ようやく見つかったのは、パソコン上の該当パワポの共有アイコンを押しスマホに転送する。スマホにはパワポを別途ダウンロードしておけば、なんとパソコンそのままに見ることができるではないか。時代に追いつくのは大変だ。 居酒屋バージョン

魚の棲む城

追悼コーナーが設けられていた中の一冊だ。剣客商売でも評価の高い田沼意次について、その幼少期から知己との交友を軸に人物像が描かれる。貨幣制度の統一、印旛沼干拓、利根川治水、蝦夷地開拓など失脚しなければ幕府の瓦解を先延ばしできたかもしれない政事手腕。教科書的な日本史がいかに脚色されたものかがよくわかる。(329/1000)

道具を使いこなせないドラえもん

DAWについても悪戦苦闘中だが、動画の記録も以前から課題だった。イベントを開けばどうしても動画に収めたくなるが、他人に頼んで撮影してもらうほかなかった。今更ながらコンパクトディスクカメラを持っていたなと探し出したものの、バッテリー消耗、編集ソフト不適合、SDガード容量不足と難問続きだ。のび太君も呆れてるよな。

雲霧仁左衛門 前編・後編

うーんと唸るしかない。テレビで続編まで含めて何度も放送されてほぼストーリーが頭に入っていたはずなのに、原本は結末も描き方もまるで違う。雲霧仁左衛門が常に中心をなすかと思いきや、火付盗賊改の組織網が存分に機能する様子が具に追跡される。ただの勧善懲悪ではない池波らしい人間の機微を捉えた名作に違いない。(328/1000)

ご隠居の酒場放浪記〜瀬戸編

日曜日に瀬戸のArtwalkホウボウなるイベントを覗いてきた。路上ライブを見る前にまずは腹拵えだと商店街にある居酒屋へ入って昼飲み。この店は元は魚屋だそうだが、おでんと串カツがうまい。ビール、日本酒と進んでしこたま酔っ払い、店を出てから神社の境内にある焼きそば屋で締めた。イベントで陽気に歓声を上げたのはいうまでもない。

運と実力

夜9時ごろ試合を終えて帰ってきた倅に「お疲れさん」と声をかけると、何やら興奮して喜んでいるではないか。聞けば我々がTwitterでチェックしていた戦績以降も対局があって、激戦のすえ再試験のボーダーラインを潜り抜けたという。とりわけ3試合目では凡ミスをしたことで背水の陣に追い込まれたとか。こんな人生経験もあるのかと頷く父であった。

ヂヂの日

孫一家が朝寄ってくれるというので、なんだろうと思ったら孫とお揃いのTシャツをプレゼントしに来てくれた。父の日ならぬジジの日ということだ。婿に似て4歳でも大盛りのご飯を食べる孫だけにこんなTシャツはドンピシャでウケる。一方倅は本日のプロ麻雀戦でトップを2回取るなど好成績を収めたようだ。今時の父はなかなか複雑な立ち位置だ。

おっさい!

コロナ明けて約4年ぶりに地元の天王祭が行なわれ、スクールガードとして半日ついて回った。この間に子供たちの数も増え、彼等の無病息災を祈りながら町内各家を周りご祝儀をいただく。およそ2時間、獅子頭を翳し笛や拍子木を打ち鳴らしながら「おっさい!」と掛け声を合わせる。子供たちにも自然な連帯感が芽生えたようで日常が戻ってきた。

アナログ+デジタル

ステージをいくつも踏むのもいいが、せっかく手掛けた曲をそれなりに録音再生できる成果物として残してはどうかとメンバーから提案が起こされた。そこで登場するのがDAW(Disital Audio Workstation)なのだが、これを使いこなすのがまた難しい。各楽器ごとにトラックを分けて同時に録音したいのだが、それがなかなかうまくいかない。当分悩みそうだ。

旅路 (上)(下)

人の世とはそれぞれの人の勘違いによって成り立っている、という作者の言葉は実に当為を得た隻句だが、さすがにこの作品のヒロインの生き様だけはいただけない。女というものはそういう性なのだと単純に割り切るより、勘違いが人生を支配しているのだと謙虚に向き合いたいものだ。敵討ちを助けた男がまさか盗賊の棟梁であったのはその典型かもしれない。(327/1000)

プレゼンへの挑戦

駅の再開発プロジェクト活動は来月地権者向けにアイデアをプレゼンすることになっている。プレゼンといえばパワポのスライドショーを背に、発表者が手振り身振りを交えて聴衆に語りかけるのが定番だが、そんな手垢のついた手法には愛想が尽きている。いっそ地権者自身にテーマの必要性を体感してもらう手法を取るつもりだ。はたして仲間や主催者の理解が得られるものか楽しみだ。

風林火山

読み進めばかつて大河ドラマで放送された山本勘助を中心にした原作そのものだったから、ストーリーは筋立てを辿るだけでよかった。できれば信玄その人について詳しく知りたかったのが叶わなかったのは残念だった。昭和33年に発表された時点での作品としては時代小説として斬新であったようだ。(326/1000)

孫娘からのメール

誕生日に市役所で再開発プロジェクトの議論をし、午後は孫と遊んで充実した一日を送ることができた。振り返ればこの一年、自分のやりたいことだけに集中して過ごせたともいえる。齢66、次の一年をどう送るのか、どんな出会いがあるのか、どんな障壁にぶつかるのか、兎にも角にも一日一日を大切に送りたいものだ。

駅前のエンドウ豆

まさかの二週連続のライブとなったが、音響は専門家がやってくれ、メンバーを欠いた状態でも楽しく演奏できた。音響を整える側の苦労が身に染みているだけに、専門家の方に感謝する気持ちで一杯になる。なにかを作りだそうという気持ちのない人とは所詮溝は埋まらない。

孔子

天平の甍や氷壁以来約50年ぶりの作者だった。83歳で亡くなる最期の作品だったそうだ。魯の国を出て高弟3名とともに楚の国を目指す旅。途中から一行に加わった架空の弟子蔫薑(えんきょう)が、孔子の死後弟子たちとともに子の遺した言葉を解析する。逝くものは斯くの如きか、昼夜を舎かず。大河を見つめて孔子が発したとされるそんな言葉に惹きつけられる。(325/1000)

七十にして矩を踰えず

五十歳にして天職を知り、天の命ずるままに天職を全うするにしても、挫折や失敗から逃れられるものではないそうだ。なんの見返りも得ることなく続けている音楽イベントも、同じ志を持って協力しようという気持ちのない者にとっては傍迷惑なのだろう。それでも天職と信じて困難を乗り越えていく気概は失いたくないものだ。

まぼろしの城

沼田城というのは、真田昌幸が終生拘った要衝の城であることは周知のことだ。その城がそもそもなぜ沼田城として築かれ、元々の主人は誰だったかは殆ど知る由もない。まさか、この物語に描かれたように謀臣に翻弄され、城主一統が悲劇に飲み込まれてしまうとは想像を超えたものだった。人の欲とは時代と関わりなく果てしないものだ。(324/1000)

伊藤一刀斎 (上)(下)

上下巻合わせて900頁を5日間かけて読了したが、まるで剣豪同士の壮絶な死闘をその場で観戦するかのような迫真の読み応えだった。無駄な描写や遠回りな場面拵えは省かれ、すいすいと読んでいけるのがうれしい。現代も警視庁剣道に受け継がれるという一刀流の開祖伊藤一刀斎とそれが徳川家指南役となった小野次郎右衛門に伝えられた流儀に、人生の生き方を学べる。(323/1000)

祇園精舎の鐘の声

忘れ物や借り物をすべて関係者に送り届けるために東奔西走した一日だった。苦労して届けても当たり前のような顔をされてはたまったものではない。非常識が常識のように罷り通ると、異常が異常に思えなくなるから不思議だ。所詮諸行は異常だと達観するしかないのだろう。

仏の顔も三度まで

絶好の好天に恵まれ、会場に到着してセッティングに取りかかるが、頼んでいたギターアンプ2台が到着しない。なにかの行き違いかと頼んだ本人に連絡を取るが電話に出ない。結局30分遅れで到着したものの、サウンドチェックもせずスタート。出演バンドからモニターが聞こえないと散々お叱りを受け、音響に詳しい方に聞くと接続箇所が間違っていた。課題を残した3回目であった。

森の舞台

ドイツでは毎年6月後半にベルリン・フィルを招いてヴァルトビューネ野外コンサートが開かれるらしい。別名ピクニックコンサートとも呼ばれているそうで、来場者は各自お弁当やワインを持ち込んで鑑賞するとか。雨なら傘をささずにレインコートを着て他の観客に迷惑にならないようにするとも。明日で第3回の野外コンサートも終わる。あと何回できるかわからないが、いつかはそんなふうにしたいものだ。

晴天の辟易

思えばいろいろあったものだ。雨天順延の決定に周囲から非難の嵐、順延したらしたで順番を変えろだのなんのと勝手な申し出。ようやく決まったら機材を貸す貸さないでバンドは解散の危機。なんとかバンドの体制を維持したら台風が迫る。たった一日の差で本番の日が晴天に恵まれるとはまさに奇跡といえよう。

井戸端会議のファシリティト

駅前再開発プロジェクトメンバーになって、次回のミーティングではまとまった意見を出そうとおまとめシートを作ってみたが、リーダーの大学教授からダメ出しばかり喰らう。自由な意見吸収を阻害するというのが理由だそうだが、主婦の井戸端会議じゃあるまいし、非生産的な議論に終始していては市民代表としての責務が果たせまい。教授もさすがに折れて折衷案を出してきたが先が思いやられる。

うらめしや〜

だんだん雨天順延した野外コンサートの日が近づいてきた。なんの因果か台風がのんびり近づいてきていて、テレビ各局の予報から傘マークは消えない。ネット情報ではからくも日曜日だけは晴天予想だがどうなることやら。さんざん周囲から批判された前回に懲りて、早めに結論を出したいのはやまやまだが、台風ばかりは意のままにならずだ。トホホ。