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11月, 2020の投稿を表示しています

ご隠居の約束

亡父との約束、障害を持った子どもたちの保育園へサンタクロースに扮して伺う行事も、コロナの現状では今年は無理かなと思っていたら依頼をいただいた。25日に行って歌を歌わせていただくにあたり、選曲をしたのは「あわてんぼうのサンタクロース」とドラえもんの「ひまわりの約束」。秦基博のひまわりがしんどい。歌詞の一部「僕」を「ママ」に変えたらと細君の提案に従うと、練習なのに涙が出て止まらない。本番はどうなることやら。

前略、ごいんきょ様。

前略、ご隠居さま。ブログ開設1周年おめでとうございます。振り返ってみれば1年前会社による禁煙という私権の制限に抗って退職し、西雀荘をオープン。コロナ禍に遭遇したものの、無償で開業したことが幸いし細々だが利用者は絶えない。あれほど嫌だった組織にも、地域への恩返しと自分が手を染め苦しめた出向者への罪滅ぼしのため一年間の期間限定で回帰し塗炭の苦しみを舐めた。その間、読者諸氏の愛読と温かいコメントがなければ継続も叶わなかったであろう。この場を借りて深謝申し上げる。余生の過ごし方はひと様々である。正解はない。絶筆となるまで続けられるかどうかは別にして、皆様に共感を届け反面教師の役割を果たせれば無上の喜びである。

不学三十六回逃げるが勝ち

時短営業がどうして感染拡大対策になるのか相変わらず意味不明だ。夜遅くなると酒量が増え大声で騒ぐからなのか、ホステスが密着するクラブの掻き入れ時だからというのか。カラオケの飛沫飛散などスパコン富岳でわざわざシミュレートしなくとも知っている。時短営業の必要性こそスパコンに聞いてくれ。いったい第何波になったら人は学ぶのか、三十七波か?

モナリザの視線

昭和のレガシーにはいろいろあるが、観光などはその代表格だろう。モータリゼーションの普及や所得の底上げと相まって余暇は遠出して温泉にでも浸かり美味いものを食う。誰でも当たり前だと思っているのが怖い。実は中国人だけの流行り病ではなかったことに気づく。政府だ、自治体だなどと責任の押し付けあいをしているのは無視して、観光の意味でも勘考しといたほうがよさそうだ。

桜を見ながら音楽を聴く会

コロナで世の中大騒ぎになっているが、われわれおじいちゃんバンドは来年4月に野外コンサートを企画している。お膳立てしていただいてやらせてもらうだけではなく、自分たちで手作りでやれないものかと思ったがハードルは高い。器材のレンタルでなんと18万円だそうだ。ひとり1万円負担でも18人に協力を仰がねばならない。待てよアベ事務所に頼めばひとり5千円になるか。

西雀寺オープンか

無邪気な子どもが走り回る横で若い母親が先月離婚したという。そうかと思えば「どうやって払えばいいんですか!」と若い女性が周囲を憚らず大声をあげている。こんな世相にしたのは誰のせいなんだ。コロナか?世の流れか?手を差し伸べる身近な家族はどこへ行ったのだろう。いっそ寺でも開闢してよろず相談でも始めるか?

墓場で嘆くツタンカーメン

月命日に亡父の墓参りに行くと、なんとまあ造花を供してあるではないか。とぼけてはいたが母の知人が挿したものであろう。毎月花を取り替えるのに罰当たりな妻に父も浮かばれまい。なんでも小手先で済まそうとする世の風潮に辟易とする。桜でいよいよ司直の手にかかるかもしれぬ前首相と平然と裏切る現首相。議事堂というピラミッドに献ぜられているのも桜の造花であったか。

発想の壁を破る

我慢の三連休などと言われなくても、マスクしながら会食したり、宿主に叱られながら宿泊するとか、手足を縛られてイベント参加するのは真っ平御免だ。ならば飲み会、観光、イベントはもう卒業してもいいのかもしれない。そのために仕事をするとか金を使うことに飽き飽きしていたのだから。もしパスポートがなかったらと想像してみることが大事だとジョンレノンも言っていたではないか。発想の壁を破ってみようじゃないか。

普通のおじいちゃんに戻る

ようやく11月も終わりに近づき引退まであと4ヶ月を切った。最初の引退には会社の方針に対する抵抗もあったから、ジャニーズ退所みたいな気負いもあったが今度はそんなものは皆無だ。たんに「普通のおじいちゃん」に戻りたいだけなのだ。普通のおじいちゃんに戻ってなにをしたいかはよくわからないが、とにかくもう組織に縛られるのだけは御免だということだ。暑くなったら特製キャンディーでも考案して売るか。

アンラッキー正宗

お約束通りコロナ禍でも細君といつもの焼き鳥屋へ行った。常連さんということで福島の酒『ラッキー正宗』を出すと店長。こりゃラッキーだなと待っていると、ラッキーではなく『楽器正宗』だった。なんでも宮様に随行した『君が代』の作者奥好義が「酒造りも楽器の演奏も神への捧げ物」と言ったことに由来するらしい。勘定を終えて帰宅すると細君が飲んでもいないビールが2本入っていることに気づいた。慣れないバイトが間違えたようだが果たしてこれはアンラッキーだったのだろうか。

コロナ元年

なにが「静かなマスク会食」だ。そこまで言って毎朝毎晩秘書官とホテルで会食したいのか。自分一人じゃなにも思いつかないのか。よからぬ相談でもどうせひそひそやってるんだろう。ゴートゥーなんかやめたって、旅行に行きたい人間はコロナと無関係に行く。コロナが心配なら行かない。観光業界のことを真剣に考えるなら看板を掲げ直す相談でもすればいい。

不頂天ホテル

九州のホテルの朝食バイキングでトングがなかったので、通りかかった女性従業員に頼むとものも言わずに取りにいきトングの置き器に放り投げた。支配人らしき男性に苦情を言ったものの、考えてみれば彼女たちの待遇は楽ではなかろう。三交代で低賃金、傍若無人な外国人観光客相手に毎日嫌な思いをしていたことだろう。従業員満足なくして顧客満足なしと研修で言い続けたが、コロナでいっそう従業員満足は遠のいている。客としては有頂天にならぬよう己を戒めたいものだ。

令和のパンジャ

まわりを見るとほんとうに喫煙者は減ったものだ。喫煙どころか、禁煙の酒場に入り浸る人や時間も減っている。三密の典型のように見られる麻雀などは言うに及ばずだ。男の三道楽、飲む、(麻雀を)打つ、買う(タバコ)せずに令和の男たちはなにを楽しみに生きているんだろう。昭和の男が吠えていたいたジャパンも、抵抗力のない男ばかりがひっそり暮らす令和のパンジャになってしまったようだ。

宴たけなか直人

第三波のせいか旅館のコロナ対策はいっそう厳しくなった。ようこその一言もなく体温測定、除菌、注意事項の伝達。土産物売り場での話し声さえ声が大きいと注意される。朝食は時間制限され遅れると食べはぐれる。ご時世だと諦めるしかないのだが、許せないのは管理人の物言いと態度だ。コロナを押して来てくれた客に対する感謝の気持ちはかけらも伝わらない。マスクの下で怒りながら笑うくらいの芸当は身につけてもらいたいものだ。

昼神のおじいちゃん

星座の勉強をしておけばよかったと悔やまれるほど満天の星空。バンドメンバー全員で寝転んで見上げた星は圧巻だった。興奮冷めやらぬまま宿へ戻って温泉に入った後は、一部屋に全員集合して語り合い酔い潰れて寝たのが午前3時。翌朝予定していたストリートライブをする元気もなくわざわざ持っていった楽器類も出番なし。街灯にしがみついていたおじいちゃん人形がそんなわれわれに優しく微笑みかけてくれていたのが印象的だった。

言っとくがオレはあいつのモデルじゃないからな

自民党を飛び出した頃なんて豆腐のようなふにゃふにゃした存在だったが、今じゃ全国旅行業協会の会長だそうじゃないか。中国人の爆買いで濡れ手で粟の如く稼いだ旅行業会もコロナで青色吐息。洗浄され懐に転がり込むマネーも心細くなってきたんだろう。票を買収させて司直の手にかかった夫婦に注ぎ込んだ金もパーだからな。コロナより大事なのは自分の懐さ。

予算委員会生中継

総理、接待を伴う会食はやめましょうと国民に言っている一方で、なぜあなたは毎日ホテルで秘書官やら要人と会食しているんですか。その会食代はポケットマネーで払っているんですよね。あーちょっと、秘書官に聞かないでください。そんなこと自分の言葉で回答できるでしょ。総理が国民の模範となるような行動をとらなくちゃ誰もついてきませんよ。答えられないなら場所をホテルに変えましょうか?

禁止と放置の二枚看板

ゴートゥーを利用して旅行にでも行こうかと思っていたらまたコロナだ。テレビ画面から消えた医学者もゾンビのように復活してきたし、この男もダサい二枚看板を持たされて意味不明な記者会見をやりだした。側近が誰もやめましょうと言わないところが気の毒だ。核兵器禁止条約を積極的に批准すべき日本が、原料であるプルトニウムを溜め込んでいる矛盾を放置しているのと同じ構図だろう。

捨てられた星屑

毎日気になって見ているのが阿智村の星空指数だ。今度の土日にバンド仲間と打ち上げ兼解団式で行く昼神温泉の星空散歩。満天の星に囲まれて宇宙から降り注ぐダストを全身で感じてみたい。あまりにも微量な宇宙塵が何万光年も星間を移動して恒星や星雲を組成する。振り返ってみれば我が身も宇宙の屑のようなものだ。星になるとはそういうことなのだろう。

修学旅行のお土産

西雀荘へ出入りしてくれている高校生から「渡したいものがある」とLINEが入った。夜8時過ぎには来るとのことだったが待ちくたびれて寝る支度に入ったところチャイムが鳴った。いつも一緒に来るもう一人の高校生が買った修学旅行のお土産をわざわざ持参してくれたのだった。距離をとっていく知人が増えていく昨今、高校生からカステラをいただいて神様に感謝だ。

年の暮れクイエム

年末の締めくくりにふさわしい歌は何かと考えた。来年3月で東日本大震災から10年。今年はコロナコロナで振り回された。ウィルスも自然界の領域に属するとすれば、自然の脅威に人間はなんと無力なものかとまたまた思い知らされた。いろんな悲しみに立ち会わねばならなかった人のために、おじいちゃんバンドから届けるレクイエムとなるよう年末に向けて猛練習だ。

カベニミミあり

分断は他人事じゃない。トランプを擁護するような発言をするコメンテーターがいるこの国も、既に充分分断状況だなと心配だ。トランプの手前、そういうふりをしなくちゃ相手にしてくれないから右傾化してきたのかもしれない。慌てて方針転換してお友達、忖度、独裁政治に終止符を打たないと、今度はこの国が孤立化するだろう。

羊を山羊と言う

連日羊を数えて眠っちゃいそうだった。開票率99%にまできているのに、残りの1%を数えるのに2日も3日もかかっている。100%に達してしまうと数え直しを迫られるのが嫌だったのか、敗者に心の準備をさせる武士の情けだったのか。どっちにしても羊を山羊だと言い張っているようにしか見えない大統領選だったが、郵送投票用紙を食べる山羊だと言いたかったんだろうな。

毛むくじゃらの天使

心配していた長女のもとに天使が現れた。子供にせがまれて飼うことになったこの犬がおそらく長女の心を癒してくれるだろう。早速スマホで愛犬と対面して「ジージだよ」と挨拶する自分も考えてみればじじバカだが、マゴが一人増えたような気がして悪くない。心の支えは案外身近なところにあるのかもしれない。

たんたんとたんたんめんについて考える

いやなことがあっても「たんたん」と受け止められるようになった自分に驚いていたら「たんたんめん」が食べたくなった。スマホに「たんたんめん」と入力すると坦々麺と担々麺があるとわかった。その昔中国で天秤棒に「担」いで売っていたから「担々麺」がどうやら正しいようだ。人生は重荷を背負って歩く遠い道だなどと考えながら昼食にスガキヤへ行くとなんと担々麺が新登場だ。トランプは多分食べないだろうなあ。

新しい独裁

プーチンしかり、習近平しかり、敵前逃亡の安倍しかり。大国の指導者はみな安定という名目で長期政権に居座る。横車はなんでも通ると思っている。愚民はそんなリーダーを頼もしいと思っているのだからたまらない。そんな安定を独裁と呼ばないのは余程見識のない大衆に成り下がったからだろう。自分のことしか考えない、多様性を受け容れない、そんな国がまた四年間も世界をリードするかと思うと辟易とする。

感動を与える仕事とは

築40年以上を経て建て付けが悪くなり、開け閉めに大音響を響かせていた玄関の扉。いよいよ隣家から苦情が届いたと聞いて馴染みの建設会社に修繕を頼んだ。社長が連れてきた棟梁があっという間に直してくれたのだが、その手際のよさに職人技の凄さをまざまざと見せつけられた。そういえば今朝床屋で髭を剃ってくれた男も神業の持ち主だった。それにひきかえ我が身はなんと芸のないことよ。

ご隠居の酒場放浪記〜特別編

日曜日に久しぶりに栄まで細君と繰り出した。馴染みの酒津屋へいくと、いるわいるわ真っ昼間から飲んでるおじいちゃんたちが。ここでビールとグレープフルーツサワー(ナレーションではジュースになっているが)を4杯。さらにリフォームされた久屋公園に出てビール。最後は英国パブでまたビール。ヘロヘロになって野外コンサート見物もしたら、翌日のテレビのニュースに観覧する細君が映っていたのには驚きました。

靴を磨く

履き慣れた靴は歳を重ねた老人に似ている。自分だけの足型に靴が合わせてくれているから、靴を履いていることを忘れるほどだ。人間関係という靴は、おろしたての浅い関係ほど時に窮屈で痛みさえ伴う。履き慣れればいいかというと、感情の機微に鈍感になる。無意識に他人を傷つけてしまっていることさえある。靴を磨くようにこころも磨いておけたら毎日が幸福なんだろう。

年末調整助成金

そうか、所得税はその年の収入に対して賦課されるのに、住民税は前年の収入なんだよね。その年に起きたことをリアルタイムで所得税に反映させることはできないから年末調整が必要ってことか。じゃあ所得税も前年収入にすればいいのに、さまざまな控除は申告しないと反映されないから結局やることは同じってわけか。あーめんどくさい。