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空き家や 光琳塀に 梅描く

2回目の俳句教室、投句2句はズタズタに添削されてしまった。冒頭の句は、毎週月曜日から木曜日まで剪定の練習に行っている空き家(いえ)の塀からまるで尾形光琳が描いたかのように梅の枝が伸びているさまを詠んだものだ。「描いた梅は季語ではありません。下五を梅の花として次回作り直していらっしゃい」侘しい空き家、華やかな梅、一層深まる侘しさ、芭蕉の名句に倣って弁証法的に止揚した一句だが光琳の次を埋める3字が浮かびません。

コメント

桑太郎 さんのコメント…
梅を見る
ご隠居 さんのコメント…
初コメントありがとうございました。
お礼が遅くなってすみませんでした。一気に問題解決です。

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