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11月, 2022の投稿を表示しています

鳳雛の夢

なんだかんだと多忙なひと月だったせいか、今月は9冊しか読めなかった。伊達政宗の戦乱の一生を俯瞰する500頁だった。とりわけ秀吉との息詰まる遣り取りのシーンは時間を忘れる。戦国武将の生き様はサッカーの試合に勝った負けたで悲劇だ歓喜だと騒ぐ現代人には共感してもらえそうもないか。(262/1000)

迷子の迷子のお客さん

モバイルwifiをレンタルしたいと大手家電量販店で相談すると、それはやっていないし新たに回線契約も必要だと説明を受けた。同じ量販店の他支店ではやっているとホームページに書いてあったと伝えた処、そんなはずはないという店員がその場で調べると書いてあった。自分が知らないことを平気で間違った回答をしてその場凌ぎをする若者が増えているのはなんとも嘆かわしい。

おんなの城

岩村の女城主珠子(おつやの方)、畠山義隆の母佐代、井伊直虎の3人の女性を描いた一冊だ。いづれも戦国の世に翻弄された女性たちの数奇で過酷な運命を題材にして、あっという間に読み終えさせてくれる秀作ばかり。フィクションも織り込まれているようだが、それはそれで楽しめる。(261/1000)

百年続きますように

結成3年を過ぎたわれわれのバンドにも新メンバーが加わりそうだ。10月初めの市民祭での演奏を見た観客の中に、加入希望の人がいると主催者から連絡があって一ヶ月。その後連絡がなく忘れかけていたら突然携帯が鳴った。歌が好きで一緒に歌いたいという女性だが大歓迎だ。メンバーが楽しんで参加できる集まりが新陳代謝しながら百年続きますように。

維新の肖像

薩摩長州の志士が立たねば経済に行き詰まった江戸幕府に引導を渡せなかったとは充分わかってはいるものの、その後の昭和の大戦に至る道程は日本人にとって維新で失ったものの大切さを教えてくれる。「しかしひとつの言葉が人を動かすこともある。学問を積むのは、その言葉を発する人間になって、人を正しく導くことではないのかね」と息子に語った宗形正澄の言葉は戦後の我々に重く受け止められるべきだろう。(260/1000)

薩摩燃ゆ

調所廣郷といえば島津斉彬登場前の薩摩藩を専横縦断した奸物家老としての印象しかなかったが、本書を通じて薩摩藩を維新の主役にお仕立てた影の功労者であったことが明かされる。財政を立て直し、異国の侵食に立ち向かえる実力を備えた後に非業の最期を遂げる。西郷や大久保を見出したのも彼だと知って、幕末の群像がまたひとつ豊かなものとなる。(259/1000)

天下布武 (上)(下)

信長の天下布武の軌跡をおさらいするつもりで手に取ったが、近習を務めた細川忠興の視点でその動乱の背景を独自の解釈で分析した600頁の大部だった。イスラエルを起源とするヨシュア軍団の野望、スペインとポルトガルに加えてイエズス会とフランシスコ会の覇権争い、果てはスペインによる明国植民地化構想までが絡んで、本能寺の変が起こされたと説く。歴史の闇と裏側を読み解くことの難しさを教えてくれる。(258/1000)

シールド・オブ・ドリームス

いつものバンド練習施設から生演奏中に電話が入った。間違えて施設の配線シールドを持ち帰ってしまったので、翌朝返しに行くと代わりに置いてきた自分たちのシールドが見当たらない。前日施設の管理者と確認した際にはあったはずのものがないとはまるで夢を見ているようだ。配信テストやら譜面入れの照明反射対策、クリスマスライブのお店との打ち合わせに追われる最中のシールド・オブ・ドリームスか。

To health, or not health.

麻雀ルーム「西雀荘」を作ってはや足掛け3年。コロナもあってなかなか利用者の裾野は広がらないが、さりとて高齢者受けする「健康麻雀」をアピールするのは麻雀を不健康だと認めるようなものだ。「健康経営」を標榜して喫煙室を撤去する企業の論理とどこか似ている。健全や健康を振り回して多様性を排斥する社会はどこかおかしい。(画像をクリックすると記事が読めます)

苦う節疲れたびー

いやあ参りました。土曜日のナイトライブは大盛況の内に終わりましたが、残念なことはYouTube生配信ができなかったことでした。そこで翌日の日曜日、名簿作りの作業にも出掛ける一方、PC内蔵カメラによる配信研究にも没頭してようやくできるようになったというわけです。苦節足掛け2年、年末のクリスマスインストアライブではYouTubeでご覧いただけるでしょう。

おサライの空へ〜

土曜日は初のお店を借りてのナイトライブだが、来られない人のためにYouTube配信しようと遅まきながら気付いた。OBSという配信ソフトを使えばスマホやビデオカメラですぐにも対応可能だが、画像をPCに取り込むキャプチャーボードが必要だ。PCのウェブカメラだけで簡単に配信しようとすると、YouTubeの認証に24時間もかかるとはサライのふたりもビックリだろう。

放置ピック

早めの忘年会をやろうと金山の居酒屋に半年ぶりに集まった。定番の茹で蛸に舌鼓を打っていると女将が、前回忘れていったからとギターのピックを返してくれた。飲み仲間のご子息夫妻も招いての宴会も兼ねて一曲披露した際どうやら忘れていったようだ。いつのまにかなくなったなあと思っていたが、半年も放置していたとはギターの女神も呆れていることだろう。

主役は玉ちゃんだった

ゴルフの前日に打ちっ放しへ行ってあれこれ注意点を書き出した。肩は水平に、軸は動かさないように、トップで一旦スイングを止める、5番ウッドの球の位置等々。書き出した紙を帽子の内側に貼り付けて、野球投手のように途中で帽子を取って読もうと試みたが読むまでに至らなかった。読まなくても注意事項は頭に入っていたものの、肝心なボールを見ていないことに後半気付いた。時すでに遅し。

インピーダンスにゴン

クリスマスのインストアライブに向けてあれこれ頭を悩ましている。使用するミキサーに楽器をどう接続させるのかは意外と難しい。インピーダンス(抵抗)の高い楽器は一旦これを下げて(ロー出し)、それを上回るミキサーに繋げる(ハイ受け)。ミキサーが受ける限界以上の楽器を直接接続すると高音部分の減衰や音の歪みを生じさせるらしい。ただ音が出ればいいじゃ満足できない自分が面倒くさい。

歪んだ時間

そもそも労働者はなぜ時間に縛られるのだろう。時間をかければそれだけ生産が増える産業や一定時間開けておかねばならないサービス業は時間を基準にする必要はあろう。そうでない業態は別に8時間拘束されなくても生産性さえ上げればいいではないか。喫煙タイムは就業忌避だと批判する嫌煙家にはそう反論したくなる。世界の成長に伍していくためには、時間的な固定観念からそろそろ脱するべきだろう。

冬を待つ城

豊臣政権下の奥州が舞台だ。九戸政実の乱などというものがあったことさえ知らなかったが、北条を平定した秀吉が朝鮮出兵を前に寒冷地でも闘える兵力の確保の為に6万の大群を向けて3,000の将兵が籠る九戸城を包囲する。政実以下4兄弟が死力を尽くして籠城戦を挑み、秀吉や三成の野望を阻止する。冬を迎える前に炬燵に足を入れてじっくり読みたい一冊だ。(257/1000)

頭の中もシェイクしてるか

ナイトライブで演奏する曲にシェイカーを追加することにした。シェイカーとマラカスとの違いはよくわからなかったが、マラカスはシェイカーのひとつというのがどうやら一般的なようだ。この曲にマスカラを使いたいと言って細君に通じなかったのはマラカスとマスカラの言い間違え。エッグマラカス型のマスカラを製作したこの会社の遊び心は面白い。

ほんとうのことには音が鳴る

衝撃的なドキュメンタリー映画だった。天才作家が同時代を生きる左翼的な若者と人間は何を求めて生きるのかについて真剣勝負の議論を戦わせる。50年を経て彼の真実が見えて、真実や正義は存すれば鳴動するものだと知る。コロナ、政権、宗教について正論を語る者が排斥されるメディア界の封殺現象を危ぶむのは健全な思考だろう。

ココロコロン

とりあえずヒール作戦にめざましい成果はなかったが、一緒にラウンドした初対面の方々と地元の居酒屋へ繰り出しとりあえず「ビール」で乾杯した。ドライバーには芯をとらえるためドラえもんの秘密道具「ココロコロン」のシールを貼ったおかげでナイスショットが連発した。捨てられた人形の持ち主を探すためしずかちゃんに用意して人形の心を読ませた道具だが、同伴者が私の心を読んで誘ってくれたのもシールの力だろう。

とりあえずヒールね

月一回でラウンドしてる割にはちっとも上達しないゴルフ。そもそもアイアンで打つ時にボールをどこに置くべきか研究してみた。フェースの中央にボールを定めて振っていたのを、ヒール側に置いたらどうなるのだろう。練習場で試してみると全ての番手でまずまずのナイスショットだ。明日実際に芝の上でやってみて、うまいビールが飲めるといいのだが。

深川駕籠 クリ粥

御神酒徳利以来の深川駕籠シリーズだ。新太郎と尚平の駕籠かきコンビが一杯のクリ粥を求めて東奔西走し、同じ長屋に暮らした職人の遺志を桜に開花させる。江戸の町人の粋と人情を余すところなく描いてくれている。新太郎が誂えてもらった五紋の羽織とは、 背紋(背中心)ご先祖様に守ってもらえるようにと願い、 袖紋(外袖)兄弟姉妹、親戚との繋がりへの願い、 抱き紋(胸)いつも両親のことを思う願いだそうだ。 (256/1000)

お弦さんといっしょ

だんだん19日のナイトライブが近づいてきたし、年末にはクリスマスライブも控えている。張り替えてからまだ4ヶ月しか経っていないギターの弦だが、さほど期待もせずに替えてみた。なんじゃこれ!音色も響きも恐ろしいほど変わったじゃないか。自分が上手くなったような錯覚さえする。弦さん、恐るべしである。

妻の背中

定年後細君と歩いていてどうも気になっていたのが、ふと気がつくと彼女が夫より前を歩いている瞬間だ。かつてはどんなに広い道でも彼女は後ろを歩いていたはずだった。並んで歩いていても狭くなれば進んで後退したはずなのに、今では押しのけるかのように前に出る。だが考えてみれば7つも年上の夫は彼女からすれば労わるべき老人なんだろう。妻の背中に描かれた千変万化の絵巻物でも眺めながら歩くとしよう。

星落ちて、なお

およそ3ヶ月も待って借り出せた人気の作品だ。明治期を生きた父河鍋暁斎と娘の暁翠という画家親子を描く。偉大な父を超えられない娘の葛藤が、この作者らしい客観的で洞察力のある文章で表現され尽くす。苦しみもあるが、喜ぶために人は生まれてくるのだという箴言が老境を迎えた読者には天から降る星のような贈り物に思える。(255/1000)

拾う神あり

さあ帰ろうか、勘定はいくらだと飲み代の精算をしようと尻ポケットに手を入れると財布がない。ややトイレで落としたかと慌てて戻るがない。後に入った誰かが持ち去ったかと蒼ざめながら店員に訴えるとレジの女の子が預かってくれていて、レジそばで飲んでいた若者が拾って届けてくれたと教えてくれた。お礼にこれで飲んでくれと寸志を差し出したが、まさにトイレに拾う神ありだ。

さしこみかしこみ〜

ひょんなことから名簿作りに手を貸すことになったので、久しぶりにエクセルシートと対峙した。ソートをかけ重複を削るのまでは苦もないが、ハガキに差し込み印刷するとなると手が止まった。ワードでハガキウィザードを立ち上げ、エクセルファイルを読み込んで住所や名前を差し込みフィールドの挿入で特定していく。やれやれやっとできた。パソコンに向かって二礼二拍一礼。

どうするJアラート

知人の逝去を共通の知人に知らせたら、聞いたら行かねばならぬと通夜に参列させることになった。知らせた自分がなんとなく後ろめたくなる。テレビ各局がJアラート画面に染まれば、知らなきゃそれまでなのにとあてこすりたくなる。となりの葬式も無関心な時代は自分の命だけが関心事で、知らされて「どうする」と悩むのは自分以外の誰かのことに思いを馳せる時だろう。

亀の甲より蟹の甲

君のおじいちゃん、また来年も短期バイト頼まれたけど断ったらしいね。そりゃ無理もないわな、もう65だもんね。俗に「亀の甲より年の功」なんていうけど、万年生きるおいらの甲羅より、たかだか65年でも豊富な人生経験は蟹みたいに全身を覆っているからね。そんな蟹も横歩きしかできんから、おじいちゃんはきっとそんな不自由さが嫌なんだろう。君もいたわってあげるといいよ。

藪医ふらここ堂

連続する八つ目まではこのところ愛読している作者らしい江戸の町人の清々しい生活ぶりや人情話が盛り沢山だ。圧巻は最終話の九つ目で、この作者の常套とわかっていながらタオルかハンカチが離せない。ふらこことはぶらんこのことだそうだが、正邪を往還する人の生き方を例えて妙だ。ここに描かれるような人の気持ちで過ごしたいものだ。(254/1000)

こんな形で終わることしかできない私を許してください

カラオケボックスではうまく歌えるのに、原曲キーで生バンドに合わせると高音部分など声が続かない。調べてみるとカラオケでは歌いやすいキーに自動的に変換されてしまっていたとわかった。機械の側が寄り添ってくれてることに気づかず、人間の側が自己否定する構図は身近に多いのかもしれない。夫の都合に合わせてハモってくれた妻の存在は偉大である。