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騏驎も老いては駑馬に劣る

愚痴のようだが自分の倅のような若い社員から物知り顔であれこれ指図されることに辟易とする。どうせ俺は1年しか世話にならぬと腹を決めているから我慢するだけだが、経験を積んだ老人が実社会で貢献するというのはそんなに容易いことではないとよくわかる。畢竟誰に対しても頭が下がり謙虚になるしかないから、これも隠居生活の深化に必要な試練だと弁えるとしよう。世阿弥は「風姿花伝」の中で父観阿弥について「(老年期は)さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし」と記したそうな。今更ながらそれを背中で示していた亡父が偲ばれる。

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