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鬼神の如く

栗山大膳は黒田如水、長政に仕えたあの栗山善助の子だそうだ。どおりで深慮遠謀はあながち小説の虚構ばかりとも言えない。将軍家光に敢えて能の演目「調伏曽我」を披露しておのれを罰しやすくせしめんとする場面などは、保身しか頭にない近頃の世相を嘲る如くだ。能の「西行桜」で「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」と詠んだ西行と桜の精とのやりとりがまた味わいがある。



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亥子ころころ

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